tag:blogger.com,1999:blog-23057100634201191672024-03-06T11:23:26.915+09:00アートレビューサイト ロプロプeggsアートファンによるアートレビューサイト。<br>
生息地: 名古屋を中心とした東海圏(ときどき遠征)<br>
好物: 美術・ダンス・演劇・映像など(雑食系)Unknownnoreply@blogger.comBlogger84125tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-87815399446267713752015-05-16T17:23:00.000+09:002015-05-16T17:23:35.502+09:00米山和子の「つむぐけしき」米山和子・祖父江加代子 「つむぐけしき よむこころ」
2014年10月18日~12月14日
古川美術館分館為三郎記念館
名古屋市内の幹線沿いから少し奥に入ったところにある、古川美術館の分館為三郎記念館は、実業家で美術コレクターの故・古川為三郎氏が、晩年を過ごした邸宅を美術館の分館として公開したものです。椎の木が繁る庭園に囲まれた、築80年になる数寄屋造りの「爲春亭(いしゅんてい)」では、米山和子と祖父江加代子の《つむぐけしきよむこころ》展が、お客様の為の憩いの場を作ります。
中庭を望む「間想の間」では、米山さんの手漉き和紙による白い女性立像作品「いろはなく」が、赤い壁と対比を成してたたずみます。肩から胸にかけては、和紙を水で解いてから再び固めた羅(うすもの)にして、柔らかな肌を思わせる曲面に仕上げ、左の肩紐から足元までのドレス部分は、しっかりした和紙で女性像を自立させます。頭や腕Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-78057869206713947842014-12-22T13:00:00.000+09:002015-05-16T17:15:25.300+09:00春の祭典 F/T白神ももこ(演出・振付)×毛利悠子(美術)×宮内康乃(音楽) 《春の祭典》
2014年11月12日
東京芸術劇場プレイハウス
フェスティバル/トーキョー
《春の祭典》は、ロシア人音楽家のストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽である。振付家の中には「いつかこの作品に挑みたい」と目標の一つに掲げている者も少なくないだろう。人間が古代から行っている祭や儀礼、神との関係をよきものとするため捧げられるいけにえ。そのためのいけにえ選びなど社会の仕組みをあぶり出すような物語性や、人間が何処から来たのかを探るような神秘性が、創作する者や鑑賞する者を魅了しているのだろう。やりたい作品を自由にできるわけではない現代の舞台芸術の創作環境の中で、タイミング良くこの作品に挑む機会を与えられるというのは名誉だと言えるかもしれない。しかし、これまでに発表されてきた偉大な人物たちの振付と否応なく比較されるのだからUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-2437999037729192422014-12-21T01:04:00.000+09:002015-05-16T17:14:14.064+09:00森下真樹×束芋 《錆からでた実》森下真樹×束芋 《錆からでた実》
2014年11月8,9日
京都芸術劇場 春秋座
森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)のコラボによる、コンテンポラリーダンス作品《錆からでた実》の公演が、京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場・春秋座で行われた。振付は森下、舞台美術は束芋、構想はふたりで行い、ダンサーは、きたまり、川村美紀子と森下の3名だ。初演は、昨年、東京の青山円形劇場だが、舞台構造がかなり異なっていたので、今回に向けて若干の作品修正もあったようだ。 森下は、これまで映像を作品の中に取り込んだ事はなかったが、束芋とは、年齢や家族構成(3姉妹)等が同じことから交流が始まり、映像を入れた舞台に挑戦するに至った。束芋も振付家とのコラボは2回経験しているものの、従来作品のアレンジに留まっており、構想からつくり始めるのは今回が初めてだ。また、ダンサーの2人は、共にコレオグラフィーや横浜Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-7414323154689211442014-12-18T12:16:00.000+09:002015-02-10T13:02:19.344+09:00悪魔のしるし:演劇《わが父、ジャコメッティ》―虚と実のトポロジー―劇団 悪魔のしるし:公演《わが父、ジャコメッティ》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月16日(木)京都芸術センター講堂
劇場に入ると、既に3人の俳優がなにやら雑談している。観客がまだ入場中の場内はざわついているので、耳をそばだててもその小声は何を話しているのかはっきりと聞き取れない。だが、それはオーケストラの音合わせのような、期待感で胸が膨らむ時間でもある。じきに観客が全員着席し静まってくると、舞台上の柱時計が開演の午後8時を告げる。その瞬間、我々は現実の時間から演劇の時間へとするりと滑り込んだ。
この導入部は、この劇が現実と地続きであることを暗示している。しかも舞台上では、3人の俳優がそれぞれ、登場人物と自分自身を同時に演じるという入れ子構造が展開される。主宰の危口統之は矢内原伊作を演じると同時に演劇人である自分自身も演じる。木口敬三はアルベルト・Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-13052551096298079032014-12-16T12:11:00.000+09:002015-02-10T13:02:29.359+09:00ルイス・ガレー振付《Mental Activity》―物体と関わる身振り。テクスト化する身体―ルイス・ガレー:振付《Mental Activity》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月11日(土)京都芸術センター講堂
《Maneries》で洗練されたミニマムな身体表現を追求したルイス・ガレー。今回、《Mental Activity》では一転、粗暴なまでに生々しい舞台を提示した。
暗い会場に入ると、ちょうど観客の目の高さからのライトに照らされて、舞台だけが浮かび上がっている。墨があちこち塗りたくられ、水もまき散らされており、それらが導線となって何かが起こりそうな不穏な予兆が漂う。 すると突然、周囲の暗闇から舞台に投げ込まれる、ネックレスひとつ。それを合図に、ペットボトル、ボール、長靴、ハイヒール、自転車のサドル、土管、タイヤ、レンガ、岩、発泡スチロール、丸太等々、ありとあらゆる大量のガラクタが次々に投げ込まれる。たちまち舞台一面ガラクタで埋め尽くされ、足の踏み場もUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-9794647782680051252014-12-15T16:18:00.000+09:002015-05-16T17:16:22.464+09:00archaiclightbody実験目撃メモarchaiclightbody #3「抱きしめあうと眠りづらい」
2014年10月8日
ユースクエア(名古屋市青少年交流プラザ)プレイルーム
日が短くなった夕方の住宅街を急ぎながら、この道のりにもすっかりなじんだな、と思った。北区役所に程近い、青少年育成を目的とした名古屋市の施設ユースクエア。その一室「プレイルーム」は、演劇やダンスの発表会などに若者が格安で優先的に利用できる。いかにも行政の運営らしい保守的な健全さにあふれているため、やさぐれた大人には縁遠い場所だが、この2年ほど数カ月おきに行われているコンテンポラリーダンスの公演が見逃せなくて、せっせと足を運んでいる。
仕掛人は名古屋を拠点に活動するダンスカンパニーafterimage(アフターイマージュ)のメンバーたち。ここではカンパニーとしてではなく、各メンバーが独自に活動を展開している。面白いと思ったダンサーを東京から呼Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-31830015498681687502014-12-14T11:59:00.000+09:002015-02-10T13:01:34.988+09:00金氏徹平、横山裕一ほか:ライブペインティング《トレースのヨーカイ》―木に竹を接ぐ。創造的誤解の連鎖―金氏徹平:展示《四角い液体、メタリックなメモリー》における、ライブペインティング《トレースのヨーカイ》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月4日(土)京都芸術センターギャラリー南
“木に竹を接ぐ”という言葉がある。性質の違う物をつなぎ合わせること、転じて、物事がチグハグで前後関係や筋道が通らないことのたとえ。金氏徹平は、日用品や安物の玩具の部品などのガジェット同士の接合を主たる作風としており、文字どおり木に竹を接ぐ趣を呈している。 ただし、金氏のそれは、同じく脈絡のない物体どうしを組み合わせるシュールレアリズムのデペイズマンとは明らかに違う。デペイズマンは組み合わされた物体それぞれを異化し、観者にイメージの不意打ちを食らわせるのに対し、金氏の作品は双方の物体を同化させ、あるいはその物の用途や意味を無化する。
ライブペインティング《トレースのヨーカイ》は、金氏の作品群を舞台Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-83478017202698975862014-11-30T12:23:00.000+09:002015-02-10T12:48:51.873+09:00もみじ葉を 風にまかせて見る風景 菱田春草展菱田春草展
東京国立近代美術館
2014年9月23日~11月3日
人生を四季にたとえるなら、春はただその存在だけでも美しく輝くが、未熟さゆえにもがき迷える修行の時代。夏は依然失敗などしながらも、その情熱とあふれるエネルギーで突き進み、秋は過ぎ去りし日々を愛しく思いながら、人生の美しさを思いやれる時。そして冬はたくさんの思いを胸に次の時代へとつなぐ仕事をし、春の訪れを思い描く穏やかな時。そうありたいと願い、秋をひしと感じる十月、紅葉の色鮮やかな季節に「生誕140年 菱田春草展」を訪れた。自然の美しさ、季節の移ろいを詩情豊かに描いた日本画を見ることで、現代を生きる我々に、忘れかけた自然へと促してくれる。菱田春草の《四季山水》、《落葉》を体感することは、自分が日本の自然の中で生きる一人であることを気づくことでもあった。描かれた四季の花鳥・風景に、古の和歌を思い浮かべる。
奥山にUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-2041763761318884672014-11-25T00:45:00.000+09:002015-05-16T17:19:56.895+09:00トヨタコレオグラフィーアワード2014~次代を担う振付家の発掘~
トヨタコレオグラフィーアワード2014~次代を担う振付家の発掘~
ネクステージ―最終審査―
2014年8月3日(日)15:00開演
@世田谷パブリックシアター
トヨタコレオグラフィーアワードは、次代を担う振付家の発掘と育成を目的に2001年に設立され、本年で9回目を迎えた。8月3日に行われたネクステージでは、203組の応募の中から映像と書類選考で選ばれた6名のファイナリストの作品が上演された。同日に審査委員とゲスト審査委員の討議・投票により「次代を担う振付家賞」1名、観客の投票により「オーディエンス賞」1名が決定。今回のアワードでは、川村美紀子がともに受賞した。
川村美紀子の作品は憎らしいくらい素晴らしかった。ダンサーの動きは洗練され、照明はストロボ等を使いカッコよく、音響はスタイリッシュ。その一方で、電車がホームに入って来る前に流れるメロディーや地震速報のアナウンスに振りをUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-24900646905847351532014-11-23T22:44:00.000+09:002015-05-16T17:20:30.355+09:00現代アートと能楽と ―能面と能装束展能面と能装束――みる・しる・くらべる――
2014年7月24日~9月21日
三井記念美術館
「お能?高尚過ぎてちょっと……」「お経みたいなアレ?」「100%寝る自信がある」―――私はここ数年能楽にはまっているが、周囲の反応は大体そんなところである。文楽や歌舞伎など他の日本の伝統芸能と比べ、誘った相手のテンションは格段に低い。「お囃子がロックなジョン・ケージなんだよ!」などと力説しても、返ってくるのは生返事ばかり。
そんな能のイメージを払拭する展覧会が三井記念美術館で開かれている。能面と能装束の二本立て、つまり芸能である能楽の生身の部分(演者と実際の上演)と文学性を除き、造形と意匠に焦点を当てたものだ。能面は15点中14点が重要文化財で、金剛流宗家旧蔵の名品を大公開している。
まず目を奪われるのが、洗練された展示方法だ。奥に長い展示室に入ると、暗い室内にスポット照明で照らされた能面Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-80200947121189238662014-11-20T21:30:00.000+09:002015-05-16T17:21:10.823+09:00山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法」を見て山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法―」
一宮市三岸節子記念美術館
2014年7月19日~8月17日
この展覧会を反芻していたら、子どもの頃見たアニメ「魔法使いサリー」を思い出した。サリーが樋口一葉の『たけくらべ』を読んで熱中するあまり、小説の世界に入ってしまうエピソードだ。サリーちゃんが現実に戻れなくなったらどうしようと心配しつつも、架空の世界に入っていく物語にたまらなく魅了された。そういえば山田純嗣は、創作の原点の一つとして、キン肉マン消しゴム(キン消し)を使って空想する遊びに熱中した子どもの頃の経験を挙げている。
今回作家が発表したのは、ここ数年取り組んできた東洋西洋の名画をモチーフとする一連の仕事を、さらに追求した作品。会場には白い壁に白を基調としたパネルが並び、思わず「きれい」という言葉が浮ぶ。描かれているのは雪舟の《天橋立》やミレイの《オフィーリア》、モネの睡蓮Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-60184246879876946182014-11-19T22:00:00.000+09:002015-05-16T17:18:29.936+09:00質感の動きを求めて~ジャン・フォートリエ回顧展
ジャン・フォートリエ展
2014年7月20日~9月15日
豊田市美術館
時代とともに変遷し、たどり着いたフォートリエの抽象画はジャズに重なる。
豊田市美術館で没後日本初の「ジャン・フォートリエ」の回顧展が開かれている。代表作と言われる「人質」連作を始め、彫刻・版画を含む90点に及ぶ作品を時系列で見ることができる。1898年生まれのフォートリエは幼少期、アイルランド人の祖母にフランスで育てられ、その後ロンドンの母の元へ行き、のちにアカデミーで学んだ。初期作品は当時のレアリスムの影響を受けた肖像画が並ぶ。緻密な描写だが、そのどれもが人間の内面まで見抜いたような表情。暗い色調も、悲しげで苦悩に満ちた表情を増幅させる。彼の身近な人物を描いているとされるが、それらは実在する人物というより彼の心に映った人々である。
フォートリエの作品はその厚塗りの絵の具の物質感Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-58144687942647320902014-11-19T21:50:00.000+09:002015-05-16T17:21:20.699+09:00自分だけの一点に ―ジャン・フォートリエ展ジャン・フォートリエ展
2014年7月20日~9月15日
豊田市美術館
ふと出会った一枚の絵に強く惹かれて、まるで自分だけの作品のように思う、自分だけがその絵のことを分かっているかのように大切に胸にしまっておく――特に美術ファンでなくてもそういう経験がある人は多いと思う。例えば人生の転機に出会うべくして出会ったような作品や、近しい人との思い出と強く結びついた作品。何かの折に誰かがふとはにかみながら、そんな一点について話すのを聞くのが好きだ。
フォートリエはそんな思い入れを誘いやすい作家の一人だと思う。私自身、20歳前後だったろうか? 何かの本でたまたま見た《人質》シリーズの小さな白黒の図版に強く惹きつけられた。若さ特有の茫洋とした不安と傷つきやすさからまだ抜けきれない年頃で、剥き出しの自我と自傷的な内省が共存するようなそのイメージと、距離がひどく近いような気がしていた。
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-66043939112160616482014-11-18T23:49:00.001+09:002015-02-04T16:03:40.752+09:00札幌国際芸術祭 宮永愛子 《そらみみみそら》宮永愛子 《そらみみみそら》
札幌国際芸術祭
2014年7月19日~9月28日
札幌芸術の森美術館
以前、宮永さんの作品を拝見した事があります。長い透明なアクリルのケースの中に、白いナフタリンで作られた時計、ハイヒール、コーヒーカップ等が置かれていました。それらナフタリンのオブジェは、時間の経過と共に徐々に形が崩れていきます。昇華という物理現象が、固体状態にあるものを気体へと変えるのです。短い時間でその変化を目にする事は出来ませんが、1日という時間のスケールで見れば、形あるものが、その姿を失っていく様子がよくわかります。同時に、アクリルケースの内側には、ナフタリンが白い雪の様な結晶として、再び姿を現します。気化と再結晶化を繰り返す様は、時間の流れを感じさせてくれました。
今年、夏も盛りの頃、札幌国際芸術祭のメイン会場のひとつで、札幌郊外にある芸術の森美術館を訪問しました。そこに展示さUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-54903017666526154432014-11-17T00:47:00.000+09:002015-01-13T16:40:10.441+09:00挑戦する日本画展挑戦する日本画展―「日本画滅亡論」を超えて 1950~70年代の画家たち2014年7月5日~8月24日
@名古屋市美術館
静寂の中、和室でじっくりと鑑賞するために描かれる花鳥風月。というのが、私の「日本画」に対するイメージだ。理想的に美しいものしか描かれていない。もちろん、風神雷神などの荒々しい神々が描かれた襖や、柳の下に女が不気味に立っている掛け軸などがあるのは知っている。しかしそこには、たとえ恐ろしくても、伝統的な様式美を感じることができる。それゆえ今回、『挑戦する日本画展』で目にした「日本画」はとても新鮮だった。私が第二次世界大戦後の日本画を知らないからだ。 私は日本画家を多く知らない。美術の教科書などでなんとなく名前を知っている画家が何人かいるくらいで、その中でも作品と作者を一致して記憶している自信もない。その程度の知識しか持たない者にとって、50名の「日本画家」の作品を一挙Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-662430946797825112014-11-10T23:04:00.000+09:002014-11-10T23:18:52.772+09:00華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある ~ヨコトリと、その周辺で
<ヨコハマトリエンナーレ2014>
2014年8月1日~11月3日
横浜美術館+新港ピア他
<あいち国際女性映画祭2014>
生きものの記録(黒澤明)/ 1955年
2014年9月5日
ウィルあいち・ウィルホール
<ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー>
2014年7月5日~9月15日
神奈川県立近代美術館鎌倉別館
2011年を経た現在の日本人が忘れたもの、それを思い出させるのは芸術の力だけなのかもしれない。政治、経済を取り巻くグローバル化のうねりは、正義とは、人間とはという哲学を我々から忘れさせている。大国の論理、武装した国の圧力、宗教を取り込んだ殺戮を目の当たりにする今、何かが地球に生きる者に静かに迫りつつある。我々にもう一度立ち止まり、その何かを考えさせてくれる、アートの体験には確かな力があった。
ヨコハマトリエンナーレのテーマにある「華氏451」Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-47239305798084230902014-11-10T21:00:00.000+09:002015-02-04T15:57:13.797+09:00藤原泰佑 展 《Re:Born》
藤原泰佑 展 《Re:Born》
2014年6月22日(日)~7月20日(日)
ギャラリーM
以前から気になっていた藤原泰佑の個展。風邪にめげず、オープニングパーティには行くべきだった。
春に行われた、同ギャラリーでの作家6人展を見て以来、藤原さんの異形ともいえる構築物を描いた作品は、若手作家の中でも異彩を放ち、脳裏に焼付いたままでした。その奇妙なものは、10階建以上のビルディングに相当する大きさだけれど、きちんと設計・施工されたわけではなく、レトロな看板の商店や古い家屋を無造作に積み上げたようなものです。「松崎商店」「○田ふとん店」等の商店名、「ブリジストン」や「ナショナル」などのよく知られた商標の看板も見える。まるでモクモクと湧き出た積乱雲が、建築物の姿を借りて地上にデンとそびえ立つ様な、周りを圧倒する程の存在感を醸し出しています。
顔を近づけて絵の詳細をUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-65076413746961879102014-11-09T00:31:00.000+09:002015-02-04T15:59:20.059+09:00夢見るテレーズバルテュス 《夢見るテレーズ》
2014年4月19日~6月22日
東京都美術館
蝶は、サナギから成虫へと羽化する時、短時間でその体を変える。サナギの背中に出来たひとすじの割れ目から、成虫が顔をだす。太い体に小さく縮んだ翅(はね)。もそもそと這い出して、サナギの殻の近くの枝にとまってじっとする。小さく折りたたまれた翅が、徐々に広がっていく。翅の中には、翅脈(しみゃく)があって、体液がそこに流れ込む事で、やわらかな皺だらけの羽が、ピンとのびていく。
春、東京都美術館でバルテュス回顧展を見た。その中で注目の作品をひとつあげるならば、《夢見るテレーズ》だ。片膝をたてて長椅子の上に座り、両手を頭の上で組みながら軽く目を閉じ微睡む少女。バルテュスが少女を描いた中では、最もよく知られている作品だ。
長椅子にのせた足の間から下着が見えるポーズのために、思春期の少女のエロスを描Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-49111437402944488772014-10-26T16:33:00.000+09:002015-02-04T16:36:48.806+09:00「和歌祭・面掛行列の仮面」展
2013年12月7日~2014年1月19日
和歌山県立博物館
企画展「仮面の諸相―乾武俊氏の収集資料から―」に合わせて行われた常設展。企画展が日本と世界各地の仮面を広く一望する内容なら、こちらは地元の和歌祭の民間仮面に絞った展示で、ぴったり照応していた――と言いたいところだけれど、「常設コーナー」と呼ぶ方がふさわしいほど小さなスペースなのに、呆気にとられるようなインパクトでもって仮面の世界の魅力を増幅していた。
和歌祭というのは紀州東照宮の祭りで、その中に仮面と仮装で練り歩く面掛行列という行事があるらしい。その祭りで使用されてきた98面のうち、今回は23面が展示された。古い神事面や能面、狂言面、神楽面など貴重なものばかりで、ずらりと並んだ様子はもう壮観。中には天下一友閑など江戸時代前期の超一級面打師の銘を持つ面もある。通常ならお宝として長年手厚く守らUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-82446032143245362772014-10-25T00:59:00.000+09:002015-01-13T16:26:18.763+09:00大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
第18回アートフィルム・フェスティバル
2013年12月4日
愛知芸術文化センター アートスペースA
大野一雄は「手」で踊る。
《ラ・アルヘンチーナ頌》は、大野が10歳のころ、フラメンコダンサー、アルヘンチーナの来日公演で受けた感銘を50年近くもの後、58歳になって初演した大野の代表作だ。
彫刻にトルソという形式がある。頭や四肢を欠く胴体だけの彫刻形式をいう。彫刻に元々そうした形式があったわけではない。ギリシャ彫刻やローマ時代の彫刻を発掘したとき、頭や腕などが欠けた状態で掘り出されたものは不完全なものと見なされていた。その後、その欠けた姿が美しいという発見があった。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが修復されないまま展示されているのはそのことも理由のひとつだという。そして、はじめから胴体だけの新作がトルソと呼ばれて制作され始めた。
一方、絵画Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-34576625605583170342014-10-25T00:35:00.000+09:002015-01-13T16:26:35.236+09:00未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
2013年11月9日(土)~12月23日(月)
名古屋市美術館
夜空に輝く星の姿。それは遥か昔にある一点から放たれた光が、今ここに届く瞬間瞬間の残像である。たとえ今もうその星が存在していなかったとしても、光は届き続ける。私たちは未来から、その痕跡を眺める目撃者であるとも言えるのだ。
戦後の日本、1960年代の社会において、際立った活動を展開した前衛芸術家のグループがある。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名を中心とする「ハイレッド・センター」だ。街中でゲリラ的に展開された「山の手線のフェスティバル」「首都圏清掃整理促進運動」等の「直接行動」と呼ばれるパフォーマンスを通し、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで「日常」を「撹拌」しようと試みたという彼らの活動の全貌を紹介すべく、内容を詳細に追った展覧会「直接行動の軌跡展」が、名古屋Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-11506039909265752672014-10-24T22:45:00.000+09:002015-01-13T16:26:03.726+09:00★更新情報: 2013年度アートレビュー講座の課題一挙掲載2013年度のアートレビュー講座「アートレビュー筋トレテーブル」の課題として書いた文章を、すべて掲載しました。「黒田辰秋・田中信行―漆という力」展について受講生全員がレビューを書いた後に、挑戦したものです。
●あいちトリエンナーレ2013(会期:2013年8月10日 ~10月27日)のレビュー等26本
まとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ。
・あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!………計10本
作品解説プレートを自分で書いてみよう!という課題でした。
・レビュー………計16本
自由課題として書いたレビューです。
●あいちトリエンナーレ以外のレビュー……計15本
幅広いジャンルや地域の展覧会・イベントのレビューが集まりました。
開催日が新しい順に並んでいます:
・大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
・未来に掉さす光のUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-11936546495297165492014-10-23T23:46:00.000+09:002015-02-04T16:53:09.923+09:00新たな彫刻の向う先名和晃平《Faom》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場
暗い通路を抜けて、展示場に入る。そこには、漆黒の闇が広がり、中央に白い泡の山が浮かび上がる。床には黒い小さな砂利のようなものが敷き詰められ、固められている。艶消しの黒い塗料が、床と壁、天井の境目を曖昧にし、見る人に、暗闇がどこまでも続いているかの様な錯覚を与える。泡の山は、部屋の中央にある池の上に浮かんでおり、耳を澄ますとブクブクと音が聞こえる。白い泡は、常に作られ、消えていく。その日の気圧などにより、泡の生成と消滅のバランスが変わる事で、山もその姿を変えていく。
名和晃平が、鑑賞者の為に解説テキストを提供した。
「絶えず湧き出る小さな泡(Cell=セル)は、次第に寄り集まって液面を覆い尽くし、泡の集合体(Foam=フォーム)として、有機的な構造を自律的に形成しUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-81009318911414761442014-10-23T23:42:00.000+09:002015-02-04T16:52:42.731+09:00子どもに託す「未来の希望」ヤノベケンジ《サンチャイルド》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場
栄地下街からオアシス21を経由する地下通路を通ってきた人々は、愛知芸術文化センターの地下入口を入ると、地上2階までの吹き抜け空間で、ヤノベケンジによる巨大な立像、高さ6.2mの《サンチャイルド》を目にする事になる。黄色の放射能防護服を身に付けた胸にはガイガーカウンターを装着しており、その数値は、ゼロを表示している。左手には脱いだヘルメットを抱え、右手には「小さな太陽」を持ち、顔に傷はあるが上を向き、大きく見開いた目で、未来を見詰めている様だ。来場した家族連れや若いカップル、年配の方々が、《サンチャイルド》を取り囲み、しきりに記念写真を撮っている。彫刻と言うには、いかにも人形っぽい見かけだが、いろんな世代の方々に受け入れられている様だ。ヤノベはUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2305710063420119167.post-77487364342552714382014-10-23T23:41:00.000+09:002015-02-04T16:52:19.315+09:00「生きる意味」を考えるアルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場
名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できUnknownnoreply@blogger.com0