2014年12月14日日曜日

金氏徹平、横山裕一ほか:ライブペインティング《トレースのヨーカイ》―木に竹を接ぐ。創造的誤解の連鎖―

金氏徹平:展示《四角い液体、メタリックなメモリー》における、ライブペインティング《トレースのヨーカイ》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月4日(土)
京都芸術センターギャラリー南



“木に竹を接ぐ”という言葉がある。性質の違う物をつなぎ合わせること、転じて、物事がチグハグで前後関係や筋道が通らないことのたとえ。金氏徹平は、日用品や安物の玩具の部品などのガジェット同士の接合を主たる作風としており、文字どおり木に竹を接ぐ趣を呈している。
 ただし、金氏のそれは、同じく脈絡のない物体どうしを組み合わせるシュールレアリズムのデペイズマンとは明らかに違う。デペイズマンは組み合わされた物体それぞれを異化し、観者にイメージの不意打ちを食らわせるのに対し、金氏の作品は双方の物体を同化させ、あるいはその物の用途や意味を無化する。

 ライブペインティング《トレースのヨーカイ》は、金氏の作品群を舞台装置に、4人の造形作家が琳派の創始者俵屋宗達の代表作《風神雷神図屏風》をそれぞれ解釈してトレースするというパフォーマンス。金氏のほか、横山裕一、板垣賢司、森千裕が、屏風状の透明なアクリル板の向こうに風神雷神図屏風の原寸大レプリカを見透かしながら、観衆の目の前でトレースを画いて見せた。
 琳派は、直接師弟関係を結んで系譜となった狩野派とは対照的に、時代を隔てつつも作品をリスペクトすることだけによって引き継がれてきた。ある意味、木に竹を接ぐがごとく、断続してきたものだ。日本絵画史においては、江戸琳派以降、明治に入ってからも、速水御舟、山本丘人、加山又造など日本画家が私淑して連なり、また、永井一正、田中一光などのグラフィックデザインにもその感性が受け継がれるなど、琳派は現代にもアクチュアルな影響を及ぼしている。
 今回、4人の現代アート作家が《風神雷神図屏風》に接ぎ木を試みたという趣向だ。金氏と板垣、森が、わりとオーソドックスにトレースしたのに対し、横山は自身の良く使うキャラクターに大胆に引き付けて変奏した。レイヤーを成しつつも同化する宗達のレプリカと4人のアクリル板上のトレース。おまけに、その様子を写真家の梅佳代がさかんにカメラに収めていたのだが、梅自身もアクリル板越しにさながらトレースの中の人物となっていた。

 そもそも美術史は、木に竹を接いできた歴史であるともいえる。それも誤解による接ぎ木だ。例えば、セザンヌの「円筒形と球形と円錐形」をピカソが誤解しキュビスムが生まれた。カンディンスキーの場合は自分の作品を誤解し純粋抽象絵画に至り、関根伸夫の《位相―大地》を李禹煥が誤解し「もの派」が誕生した。先人の作品の企図を創造的に誤解して、それを受け継ぐ。いわば誤解の連鎖である。ライブペインティング《トレースのヨーカイ》は、そうした誤解の美術史を踏まえた、いわば木と竹の溶解と解すべきだろう。

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