2014年10月26日日曜日

「和歌祭・面掛行列の仮面」展
2013年12月7日~2014年1月19日
和歌山県立博物館


 企画展「仮面の諸相―乾武俊氏の収集資料から―」に合わせて行われた常設展。企画展が日本と世界各地の仮面を広く一望する内容なら、こちらは地元の和歌祭の民間仮面に絞った展示で、ぴったり照応していた――と言いたいところだけれど、「常設コーナー」と呼ぶ方がふさわしいほど小さなスペースなのに、呆気にとられるようなインパクトでもって仮面の世界の魅力を増幅していた。
 和歌祭というのは紀州東照宮の祭りで、その中に仮面と仮装で練り歩く面掛行列という行事があるらしい。その祭りで使用されてきた98面のうち、今回は23面が展示された。古い神事面や能面、狂言面、神楽面など貴重なものばかりで、ずらりと並んだ様子はもう壮観。中には天下一友閑など江戸時代前期の超一級面打師の銘を持つ面もある。通常ならお宝として長年手厚く守られている面だ。でもここの面はどれもずっと祭りの中で使われてきており、時の流れがもたらす存在感がひときわ強い。つまり保存状態が良くないのだが、しかも一部はかつて布テープや黄色いペンキで補修されていたという。その事実に唖然とした――いや、もう絶叫しそうになった好事家もきっと大勢いるに違いない。それなのに、同時にその在り方に深い感慨を覚えた。
 このある意味ショッキングな仮面を見て思い出したのは、若桑みどり著『聖母像の到来』で知った長崎県生月島の聖母子像である。隠れキリシタンが厳しい弾圧の下、数百年に渡って納戸の中で守ってきたお掛絵と呼ばれる聖母子像は、元々は宣教師が伝えた西洋カトリック圏の図像だった。しかし古くなると信者の手で描き直される「お洗い」を繰り返したため、次第に日本化され、極度にプリミティブになっていった。絵画の極北のようなその在りよう、その強さが、和歌祭の面と重なって見えたのである。ただしこちらの面にはお掛絵とは真逆の明るさがあるのだが。
 美術工芸品として優れているかどうかや来歴が貴重といった価値観とは別のところで、ある造形物を捨て去ることなく守り継ぐということ、その造形物に人が並々ならぬ何かを仮託するということ。それが遠い古代や未開と言われる地ではなく、近世から現代にかけての日本で行われてきたという事実。他にも事例はたくさんありそうな気がするのだが、虚を衝かれた思いがした。日本的アニミズムの一種というよりは、ここに普遍的な祈りと造型の根源を見て取りたい。
 でもそう言えるのも、今は博物館がこれらの面からペンキやテープを除去し、修復して大切に保存しているという安心感があるからかもしれない。このように同館には和歌祭との関連で面の研究の積み重ねがあり、乾武俊氏が寄贈する仮面にとっても幸福な終の棲家になるのだろう。

                                 egg:神池なお


2014年10月25日土曜日

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
第18回アートフィルム・フェスティバル
2013年12月4日
愛知芸術文化センター アートスペースA


 大野一雄は「手」で踊る。
 《ラ・アルヘンチーナ頌》は、大野が10歳のころ、フラメンコダンサー、アルヘンチーナの来日公演で受けた感銘を50年近くもの後、58歳になって初演した大野の代表作だ。
 彫刻にトルソという形式がある。頭や四肢を欠く胴体だけの彫刻形式をいう。彫刻に元々そうした形式があったわけではない。ギリシャ彫刻やローマ時代の彫刻を発掘したとき、頭や腕などが欠けた状態で掘り出されたものは不完全なものと見なされていた。その後、その欠けた姿が美しいという発見があった。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが修復されないまま展示されているのはそのことも理由のひとつだという。そして、はじめから胴体だけの新作がトルソと呼ばれて制作され始めた。
 一方、絵画の場合はどうか。人物画で当然一番難しいのは顔である。顔がうまく出来れば、あとの胴体などは無造作に画きなぐっても絵になる場合もあるくらいだ。そして、顔以上に難しいのが手である。手は関節が多いこともその理由だが、手の表情が、目以上に「ものを言う」のである。
 大野一雄は、そういう比喩で言うと「手」のダンサーだ。58歳というと一般の人間であれば、とうに働き盛りを過ぎた年齢で、体力や気力、運動神経、柔軟性などは既に下り坂になっているはずである。そうした中で、この代表作を生み出した。手だけで踊り全体を表現したのだ。
 大野は95歳のとき、華道家中川幸夫とのコラボレーションとして「空中散華/花狂」を踊った。中川は20万本ものチューリップの花びらをヘリコプターから撒き、それが雨のように、雪のように舞い落ちる中、大野は踊った。そのとき、大野はもうすでに立ち上げることが出来ないほど体力が衰えており、椅子に座ったまま舞った。それでも素晴らしかったのは、中川のおかげでもあるが、大野が「手」の踊り手であったからに他ならない。

未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)

ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
2013年11月9日(土)~12月23日(月)
名古屋市美術館


 夜空に輝く星の姿。それは遥か昔にある一点から放たれた光が、今ここに届く瞬間瞬間の残像である。たとえ今もうその星が存在していなかったとしても、光は届き続ける。私たちは未来から、その痕跡を眺める目撃者であるとも言えるのだ。
 戦後の日本、1960年代の社会において、際立った活動を展開した前衛芸術家のグループがある。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名を中心とする「ハイレッド・センター」だ。街中でゲリラ的に展開された「山の手線のフェスティバル」「首都圏清掃整理促進運動」等の「直接行動」と呼ばれるパフォーマンスを通し、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで「日常」を「撹拌」しようと試みたという彼らの活動の全貌を紹介すべく、内容を詳細に追った展覧会「直接行動の軌跡展」が、名古屋市美術館で開催された。
 展示は主に、当時の彼らの活動の様子を記録した写真や資料と、実際に使われたものも含めた彼らの作品を中心に構成されていた。まるでポスターか雑誌の記事のような奇抜なデザインの解説キャプションや、1点で無造作に釘打ちされた作品キャプションといった演出的効果も手伝って、展示を巡っていると、自分自身が事件を追う新聞記者にでもなったかのような昂揚感・面白さがある。それは何よりも、ここで次々と紹介される活動のひとつひとつが今の私たちにとって新鮮であり、また、常識を揺さぶるような小気味よい刺激に満ちているからであろう。
 中でも作品として私の印象に残ったのは、高松次郎の《点》シリーズ、そして会場の最後に数点展示されていた、《影》のシリーズであった。この作品群が、何よりも今回の展覧会の性質を的確に表しているように思えたからだ。それはまさしく、過去のどの時点かで始まった「一点」が動く軌跡と、その痕跡=残像であった。
 《点》シリーズでは、まず水彩で描かれた黒い線と点の集まりが額装され並ぶ。その後、今度は立体として、ラッカーで黒く塗られた針金が絡まり合い、いびつな球状になったものが表れる。そのモチーフは次に「紐」として作品の中に表れ、当時の写真の中にも表れる。また、グレーの塗料でキャンバスに描かれた《影》の一群は、人やモノの影のみを描くことでその宿主―実体-の「不在」を強く意識させるという点で示唆に富んでいる。それまで紹介されてきたハイレッド・センターの活動の数々が、過去のどこかで起こった「点」のひとつひとつであったこと、言い換えればそれらの「影」でしかないことを、ここで私たちは現在に引き戻され、思い知らされるからだ。それは翻って、私たちの信じている「常識」や「日常」といったものもまたこのように儚い、僅かの刺激でも揺るがせにされるような社会の一側面でしかないことをも暗示しているかのように思われた。
 「ハイレッド・センター」という、過去のある一点において放たれた光は、時間を越えて未来の私たちにこのような形で届いた。夜空の星の光のように魅力的なその残像が、今、私たちの心を捉えるその理由はなんだろう。未来に掉さす光の一閃を、私たちはこの展覧会で目撃する。
egg:加々美ふう

2014年10月24日金曜日

★更新情報: 2013年度アートレビュー講座の課題一挙掲載

2013年度のアートレビュー講座「アートレビュー筋トレテーブル」の課題として書いた文章を、すべて掲載しました。「黒田辰秋・田中信行―漆という力」展について受講生全員がレビューを書いた後に、挑戦したものです。

●あいちトリエンナーレ2013(会期:2013年8月10日 ~10月27日)のレビュー等26本

 まとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ。

 ・あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!………計10本
  作品解説プレートを自分で書いてみよう!という課題でした。

 ・レビュー………計16本
  自由課題として書いたレビューです。

●あいちトリエンナーレ以外のレビュー……計15本

 幅広いジャンルや地域の展覧会・イベントのレビューが集まりました。
 開催日が新しい順に並んでいます:

 ・大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
 ・未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)
 ・大西康明『垂直の隙間』
 ・フランシス・ベーコン展 ―マンネリズムを超えて夢のベーコン展へ―
  フランシス・ベーコン展―目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。
  フランシス・ベーコン展
 ・久野利博展
 「まなざし」の邂逅(芝川照吉コレクション展)
 アントニオ・ロペス・ガルシア――ワーク・イン・プログレスとしての写実絵画
 プーシキン美術館展 フランス絵画300年
 森山大道というメディア
 冷静と情熱のあいだ?―フランシス・アリスのメキシコシティ
 円山応挙――江戸期のインスタレーション
 『したいからする・したいようにする』それはアートの原点だと信じる。
 昭和40年代への憧れを表現した屋台インスタレーション

この画面左側の「ラベル」から、レビュアー別、エリア別に表示することもできます。

2014年10月23日木曜日

新たな彫刻の向う先

名和晃平《Faom》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 暗い通路を抜けて、展示場に入る。そこには、漆黒の闇が広がり、中央に白い泡の山が浮かび上がる。床には黒い小さな砂利のようなものが敷き詰められ、固められている。艶消しの黒い塗料が、床と壁、天井の境目を曖昧にし、見る人に、暗闇がどこまでも続いているかの様な錯覚を与える。泡の山は、部屋の中央にある池の上に浮かんでおり、耳を澄ますとブクブクと音が聞こえる。白い泡は、常に作られ、消えていく。その日の気圧などにより、泡の生成と消滅のバランスが変わる事で、山もその姿を変えていく。
 名和晃平が、鑑賞者の為に解説テキストを提供した。
 「絶えず湧き出る小さな泡(Cell=セル)は、次第に寄り集まって液面を覆い尽くし、泡の集合体(Foam=フォーム)として、有機的な構造を自律的に形成してゆく。立ち上がったボリュームは、互いにつながり合い、飽和し、膨らみ続け、時には鈍く萎えてしまって地面に広がる。個々の泡(セル)は、生成と消滅というシンプルなプロセスから逃れることはなく、代謝や循環を支える細胞の本質的な振る舞いと似ている・・・」
 説明を読むと、生物細胞の代謝や循環の概念の様なものを、泡の“彫刻”で表現した様に思えなくもないが、そうではないだろう。以前、インタビューで語った事がある。
 「自分の中の物語を作品化することも試みたが、手応えがなく、逆に何かどんどん狭い方へ、
袋小路に進んでしまう気がした。もうこれはやめようと・・」
 物語やコンセプチュアルな何かを表現するのではなく、彫刻に於けるジャクソン・ポロックのような、新たな表現形式の提示が、自分のやるべき事と考えたのだろう。
 名和作品の特徴のひとつは、新しい表現形式を実現する為の新しい彫刻素材の発掘だ。今回は、Foam-泡の塊だ。これまでにも、ビーズやら、発泡樹脂など様々な素材を扱ってきた。もうひとつは、これら素材が作品全体をどう構成し、どう組み込まれるのか、その基本的な概念の整理だ。構成要素の最小単位を「Cell」と呼び、全体の表現形状との関係を以下の様に説明している。

<構成要素>    <全体>
Picture + Cell   = PixCell
Object ÷(Cell×n) = PixCell [BEADS]
Object ÷(Cell×1) = PixCell [PRISM]
(Cell×∞) = PixCell [LIQUID]
(Cell×n) = AirCell [GLUE]
Void × (Cell×∞)  = Scum [SCUM]
Object ÷(Cell×∞) = Villus [SCUM]

 今回の泡(Foam)の作品については、[LIQUID] 若しくは、[SCUM]の分類になるのだろうか。
これらの彫刻表現を実現する為に、名和は、製作工房-SANDWICHを運営する。ここに様々なエキスパート達を集め、作品を作り上げていく。新たな素材が、作品の製作に活かせるかの実証実験をしたり、大型作品の製作では、今では不可欠となったCAD(コンピュータ支援設計)を活用する。最近の大型作品、韓国チョナン市の「Manifold」や瀬戸内国際芸術祭の「Biota」等は、この工房の人材と技術がなくては実現できないものだ。SANDWICHは、名和の創作活動に必要不可欠なものだ。しかし、この工房を維持する為の代償も大きい。多くの大掛かりな作品を作り続けなければならない、といったジレンマに見舞われる事だ。これまでの作品、ミュージシャン「ゆず」のコンサート向けの「Throne」や、西部百貨店のウィンドディスプレでの「POLYGON」などを見ていると、「消費されるボリューム」の懸念を拭えない。
 今回の「Foam」を見て思ったのは、従来と比べて若干、ローテクなところ。展示室をブラックアウトしたり、泡発生ポンプの音を遮音材で密閉して、静かさを実現するなど、作品クオリティの維持は相変わらずだが、ハイテク感が薄れてきた。泡の塊は、思う様にコントロールできず、日によって形が変わるといったアナログ感が、逆に、これまでにはない面白さを醸し出している。 


子どもに託す「未来の希望」

ヤノベケンジ《サンチャイルド》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 栄地下街からオアシス21を経由する地下通路を通ってきた人々は、愛知芸術文化センターの地下入口を入ると、地上2階までの吹き抜け空間で、ヤノベケンジによる巨大な立像、高さ6.2mの《サンチャイルド》を目にする事になる。黄色の放射能防護服を身に付けた胸にはガイガーカウンターを装着しており、その数値は、ゼロを表示している。左手には脱いだヘルメットを抱え、右手には「小さな太陽」を持ち、顔に傷はあるが上を向き、大きく見開いた目で、未来を見詰めている様だ。来場した家族連れや若いカップル、年配の方々が、《サンチャイルド》を取り囲み、しきりに記念写真を撮っている。彫刻と言うには、いかにも人形っぽい見かけだが、いろんな世代の方々に受け入れられている様だ。ヤノベは、東日本大震災を受け、被災した方々や復興に携わる人々の心に、夢と勇気を与え続けるものとしてこの作品を企画した。2011年10月に最初の像が完成、その後2体追加し、全部で3体製作した。今回展示しているのは、2番目の「No.2」である。
 ヤノベは、子供の頃、大阪万博跡地の近くに住んでいた。残念ながら万博自体は終わっており、ヤノベ少年が目にしたのは、多くの建造物が取り壊された後の廃墟であった。未来都市をイメージして作られた万博建造物が破壊された様は、「未来の廃墟」というイメージを想起させ、それがヤノベの創作活動の原点となった。
 その後、ヤノベは、いまサンチャイルドが着用している放射能防護服「アトムスーツ」を製作。これを自身が着て、アートで社会問題を提起すべく、「アトムスーツ・プロジェクト」を実行に移す事になる。1997年、アトムスーツを着たヤノベは、当時、史上最悪の原発事故を起こした、チェルノブイリを訪れた。そこはまさに「未来の廃墟」だった。事故を起こした原発から半径30kmは、居住禁止区域となっており、街はゴーストタウンと化していた。誰もいない街中の遊園地をはじめ、原発火災の消化に使われたヘリコプターやタンクの墓場を訪ねているうちは良かった。驚いたのは、無人の廃墟であるはずの居住禁止区域に多くの老人が住み着いていた事だ。一時は強制的に退去させられたものの、不慣れな土地では暮らすことが出来ずに、元の地に舞い戻ってきたのだ。その中には、母親に連れられた3才の子供も含まれていた。「サマショール(自発的帰村者)」と呼ばれる人懐こい人々に歓迎される度、自身の表現行為が、如何に薄っぺらなものであったかを思い知らされ、ヘルメットの中の顔は、苦渋で歪むのだった。
 芸文10階にあるヤノベの作品の展示室の入り口には、ひとつの写真が、掛けられている。チェルノブイリの廃墟となった保育園で、人形を手にするアトムスーツ姿のヤノベケンジである。瓦礫が散乱する部屋の壁には、以前、保育園児が描いたであろう小さな太陽の絵がある。これが、《サンチャイルド》の原点である。以後、ヤノベの作品作りは、変化を見せる事になる。シニカルで批評的な製作が、よりポジティブな表現へと変わるのである。そうすることがヤノベにとっての贖罪だったのだ。
 3.11の震災・津波と原発事故に衝撃を受けたヤノベは、今アートに可能なのは前向きなメッセージを発することであると考え、「恥ずかしいほどポジティブ」な作品の構想を練る。《サンチャイルド》の製作である。
 正直、初めて《サンチャイルド》を見た時は、そのあまりに玩具的な表情や作りが、安易な製作態度に思えて、好きにはなれなかった。しかし、ヤノベのこれまでの創作活動や、チェルノブイリでのエピソードを知った時、作品が別のものに見えてきた。ヤノベが、あの保育園で手にした人形の顔が、重なってくる。右手には、子供達が描いた「小さな太陽」、顔のすり傷や絆創膏は厳しい現実と対峙する事を恐れぬ勇気、そして大きく見開いた目は、「未来の希望」。ヘルメットを脱いでも放射能の不安が無い、安全な未来への期待だ。

※参考文献:「ULTRA」「SunChild」「YanobeKenji 1969/2005」「トラやんの大冒険」


egg:多田信行




「生きる意味」を考える

アルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場

  
 名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
 彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できなくなった石巻市の小学校から提供されたもので、反戦詩人・栗原貞子の詩からとられた「生ましめんかな」の文字は、愛知県の小学生によって書かれた。
 この詩は、広島に原爆が投下された夜、地下防空壕に避難していた被爆者のひとりが突然産気づき、赤子を取り出す為に、同じ地下壕内に非難していた1人の産婆が、自らの怪我を省みずに赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。

生ましめんかな   (栗原貞子詩歌集 1946.8)
  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう。
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも

 この詩は、学校の平和学習の時間で取り上げられる事があり、栗原さんもその様な場に参加し、説明をする機会があった。-「『生ましめんかな』は、平和を生むの意味」「『産婆さん』は、平和の日を知らずに死んだ20万人の人々」-
 ここで、A.ジャーの作品の特徴、「イメージの背後にある社会的な関係についての問いかけ」が、始まる。命を賭して新たな生命を送り出した産婆の行為が、3.11後の私たちに問いかけるものは何なのか。地震と津波という自然の猛威の前になす術も無く、一瞬の内に、家族や最愛の人、これまでの人生で築き上げてきた全てを失い、絶望の淵に立っている人に、何を語りかけるのか。
 私は、ビクトール・フランクルの言葉、「どんな人生にも意味がある」を思い出した。ユダヤ人で精神科医だった彼が、ナチスの強制収容所での体験を記録した著書「夜と霧」にある言葉だ。
今も続く仮設住宅での暮しは、被災者の心を蝕み、孤独死の話も珍しくはない。「いったなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな悲惨な人生には何も期待できない」と嘆く。それに対し、フランクルは、それでも「意味はある」と答える。人がなすべきは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」のではなく、困難な状況に直面しながらも「人生から問われている事」に全力で応えていくこと。「誰か」が、「何か」が、あなたを待っているのだと。
 重傷者がひしめく地下室の暗闇の中で、苦痛に呻いていた産婆は、「赤ん坊が生まれる」との言葉で、自分を待つものがいることを知る。彼女は、与えられた使命を果たすべく、全力でぶつかった。自分の人生に届けられた「意味と使命」を全うしたのだ。
 「生ましめんかな」は、生きることがつらい人に対する、「あなたの事を待っている誰かが、あなたによって実現されるのを待っている何かが、きっとある筈」とのメッセージなのだ。


egg:多田信行



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:宮本佳明《福島第一原発神社》

宮本佳明《福島第一原発神社》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 宮本の建築家としての代表作であり自身の建築事務所の《ゼンカイハウス》は過激である。阪神淡路大震災で、神戸市の木造の実家は全壊判定を受けた。普通であれば全て取り壊して建て直すことになる。しかし、そうせずにまるで骨折用のギブスのように鉄骨で補強し、内装も外装も元の木造部分をできるだけ残しリノベーションした。したがって、デザインとしては全く美しくない。畳の部屋から、斜めに貫いている鉄骨が剥き出しで見えるほど異観だ。
 《福島第一原発神社》はそれ以上に過激であり、異様である。宮本は、これを発表すべきかどうか、かなり悩んだという。当然だろう。世間から事故を起こした原発を神としてあがめるのかという批判を受けるかも知れない。
 しかし、崇高なものを礼拝することと、祟(たた)るものを鎮魂することは裏表である。「祟」という文字が共通しているからだけではない。その典型的な例が、菅原道真である。日本最強の怨霊は結局神様となった。人間が生み出した最強の力が人間の制御を超えて暴走する。人々はそれをまるで自然からの祟りとおそれる。「おそれ」も畏怖と畏敬の二重の意味がある。
 原発事故に対する多くの日本人の整理しきれない心情は、「原発」を「神社」にすることを意外にも自然に受け入れるかも知れない。


egg:武藤祐二




あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:丹羽良徳

丹羽良徳
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場、長者町会場、岡崎会場


 丹羽良徳は「へそまがり」である。
 丹羽は、今回のあいちトリエンナーレ2013において複数の作品を展示した。それらは一見何の脈絡もないようにも思えるが、作品に通底する独特の作家像が浮かび上がる。
 《デモ行進を逆走する》は、福島第一原発の事故をきっかけとした反原発デモの中を丹羽がひとり、デモの流れに逆らって歩き進む映像作品。
 《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》は、モスクワの市街で一般市民に対し、レーニンにちなむ物を持っていないか尋ねてまわるもの。中には、怒り出す市民もいる。それでも丹羽は淡々と受け流しながら次の市民に問いかける作品。
 《日本共産党でカール・マルクスの誕生日会をする》。カール・マルクス生誕195年目の誕生日を祝うため、日本共産党名古屋支部に出かけて誕生日会への参加を働きかけるもの。
 《自分の所有物を街で購入する》は、長者町のスーパーマーケット「シモジマ」で自分の所有物をレジに持って行って買うという行為の映像。
 何か流行のような様相も呈する反原発デモ、ソビエト連邦の崩壊によって既に過去の思想となったと思われている共産主義、スーパーマーケットで物を買うという半ば無意識化された日常行動、そうした物事に対し、あまのじゃくな行為を仕掛ける。多くの人々が無批判に自明と考えていることに対し、丹羽はとりあえず逆らってみるわけだ。
 アーティストはカナリアである。多くの人々の同調的行動や熱狂、流行に潜む少量の毒に敏感に反応する。感じないほどの微量であっても、何か危ういと思えば、踏みとどまったり、逆方向に進んだりする。丹羽はわずかな違和感を嗅ぎ取って、世間を撹拌する。
 オウム真理教の事件以来、公共空間が公権力あるいは市民の相互監視という形で管理強化されている。そうした真綿で首を絞められるような閉塞感ただよう現代の空気を、丹羽は切り裂くように世間を挑発する。丹羽は、社会風潮に棹さす孤独な偏屈者なのだ。


egg:武藤祐二



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 円環状に並んだ40台のスピーカーから、トマス・タリスの合唱曲《我、汝の他に望みなし》が流れている。トマス・タリスは16世紀のルネッサンス音楽の作曲家である。メロディ、リズム、ハーモニーという音楽の三大要素のうち、ハーモニーを重視した西洋クラシック音楽の歴史の中でも、特にルネッサンス音楽は音どうしの純粋な響き合いを大切にした時代の音楽である。
 合唱曲は一般的には4声(声部)であり、モーツァルトが二度聴いて楽譜に書き起こしたという伝説がある、バチカン教会の秘曲、グレゴリオ・アレグリ作曲の《ミゼレーレ》でさえ9声部である。40声の音楽を実際に40人が歌うことは極めて困難で、各声部を個別に録音したものをスピーカーから流しているという。
 40声部もあると聴き分けることさえ難しい。個々の旋律やハーモニーが聴こえてくるというよりも、その歌声による空気の振動がまるで羽毛のような柔らかい塊、現代音楽技法のトーン・クラスターのようになって聴く者を包み込み、それが皮膚を通して身体に浸透してくるかのようだ。
 10階に展示されているコーネリア・パーカーの《無限カノン》は金管楽器を円環状に吊り下げている。パーカーの作品は、影は見えるが音は聞こえない。一方、カーディフの作品は、声はすれども姿が見えない。だが、双方とも静かな祈りのような情感によって共鳴しあっている。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》

ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼女の創作の原点は、偶然見つけた航空機事故の写真である。航空機ショーで航空機どうしが接触し爆発する瞬間。その写真に決定的なインスピレーションを受けた。それ以来、ドイツの美術館や韓国の売春宿などの建物を発泡スチロールで原寸大でかたどり、それらが爆破されて四方八方に飛び散る瞬間を再現した作品を制作している。
 今回の作品《ある時点の総体Ⅲ》のモチーフは、名古屋市市政資料館の地下1階に残る留置所独房。かつて長らく裁判所として使用されていたものである。それが旧作と同様、爆破されたようにかたどられている。
 彼女の作品で、真っ先に目を引くのは発泡スチロールの白色である。色彩を消去することにより、特定の建物というよりも普遍性が強調されている。また、氷山も想起させることから、凍結という意味も含まれているのかも知れない。
 市政資料館が裁判所として使われてきた長い時間、独房という退屈な時間、それが凍結し爆破される瞬間。スパンの違う複数の時間が重層している。
 歴史の記憶が濃厚に浸み込んだ市政資料館と、被告人の記憶をたっぷり吸い込んだ独房、それが一気に浄化されるかのように白色化する。様々な時間軸が今この一瞬交錯し、そしてそれが再び違う時間軸で拡散していく。そんなイメージを具現化した作品と言えよう。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:水野里奈《シュヴァルの理想宮を》

水野里奈《シュヴァルの理想宮を》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 9月16日(月)
長者町会場 企画コンペ


 水野の絵画作品の特徴は、平面性にあるが、ただ単に画面上で平面性が強調されているだけではない。そこに奥行があり、正確なイリュージョンが画き出されている。それぞれの色面は舞台空間の垂れ幕のように正面性を伴ったレイヤーをなしており、それが庭に見立てた構図にきっちり収まっている。
 しかも、そのイリュージョンを陰影法や透視図法ではなく、絵の具の塗り重ね方だけで現前させているのだ。それに、それぞれ一筆である。横のブラッシュストロークに縦のそれを重ねたり、地を塗り残したりすることによって、レイヤー間に精緻な距離を表出させている。それはオーソドクスな絵画空間とも言えるが、その印象は鮮烈である。
 タイトルになっている「シュヴァルの理想宮」は、最も有名なアウトサイダーアートのひとつである。フランスの郵便配達人シュヴァルは、配達途中で拾った小石などを33年間かけて大量に積み重ね、自分ひとりで宮殿のような建造物を1912年に完成させた。
 小物を収集する水野と小石を集めたシュヴァルの行為は近しい。シュヴァルは積み重ねた小石類を宮殿に見立てたが、彼女は小物類を配し宮廷風の庭に模し、更にそれを絵画へ投射した。今回、絵画作品の横に実際にモチーフの小物類が設置されることにより、それと彼女の絵画のレイヤー的な平面性とが対比される展示となっていた。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》

トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼がいつも使う素材は、日常にありふれた安物の材料や日用品である。この《涙の回復室》でも、ガムテープ、アルミホイル、ビニール、段ボール、ブルーシート、日曜大工用の華奢な木材などが用いられている。そして、常に作りが雑だ。特にガムテープなどは、わざと不器用に貼っているのではないかと思えるほど無造作である。
 しかも素材がむき出しなので、何を象ったのかわからない。全体的には野戦病院の手術室のような感じがするが、アルミホイルの長い管状の物や玉状の物、段ボールの敷物状の物が何を意味するのかは不明瞭である。
 しかし、何か大変な事態が起こり、その緊急対応のため、あり合せの物で準備したような印象だけは漂う。ただし、その大事件、大事故が何なのかを想像する手がかりはない。《涙の回復室》という題名から、何か極めて悲惨な出来事が起こり、その心の傷を癒すための場所と推察できるのみである。
 乱雑な造作は、その作品のイメージの抽象度、多義性を高める。解釈は最大限、観者に委ねられている。ただし、作者は、何か大きな出来事を記憶するためのモニュメンタルなものとは違ったものを示そうとしていることだけは確かだ。我々は、何かを強く記憶にとどめようとするとき、往々に記念碑を作りがちだ。記念碑は頑丈だが、威圧的で押し付けがましい。それに対し、ヒルシュホルンの作品は、あまりにも安っぽく粗雑で脆弱だからこそ、かえって心に深く沁み入るのだ。
 《涙の回復室》は再制作である。この作品は、何度も繰り返し様々な場所に仮設されることで、世界のどこかで絶え間なく起こる様々な災厄から我々の心を、時間をかけてゆっくりと回復させる効用を持っている。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:アーノウト・ミック《段ボールの壁》

アーノウト・ミック《段ボールの壁》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 アーノウト・ミックの映像インスタレーションは、いつも決まって何かもどかしい。このもどかしさは、今回の《段ボールの壁》の2面のスクリーンに中途半端な角度がつけられていること、また、天井から吊りさげられた段ボールがスクリーンを囲み、観者が近づくのを阻んでいるからだけではない。
 《段ボールの壁》は、東日本大震災において実際に避難所として使われた福島県郡山市の「ビッグパレットふくしま」という国際会議場を使用し、数人の俳優と500名以上のエキストラを動員して今年4月の2日間に渡って収録されたもの。
 その映像は、電力会社の役員や職員、政府の役人が避難所を訪れ、被災した住民に対して謝罪している場面で始まる。音声はなく、ふたつのスクリーンに同時刻の別アングルからのシーンが映し出される。事実の再現にも、フィクションにも見えることも、もどかしさを増幅させる。
 約1時間の映像だが、中盤から終盤にかけて部分的におかしなシーンがいくつか発見される。電力会社の社員が段ボールの区画の中で一夜を明かすため雑魚寝する。しかも、電力会社の社長と思しき人物は、なぜかマンガ本を握ったまま眠りこけている。そして、映像の中盤では、被災者も電力会社の社員らも皆、次々と津波のように段ボールの壁を倒し、抗議行動のDie-inさながら身を横たえる。さらには、女性の被災者が電力会社の制服を着たイケメン人形で遊ぶシーンもある。
 電力会社や政府の役人対被災者という単純な構図とは見えない。最後は皆で段ボールを中央にうず高く積んで塔のようなものを作るシーンで終わる。
 アーノウト・ミックはそれら不可解なシーンが何を意味するかを明示していないが、その解釈を急いではならない。ただ、原発が事故を起こしたこと、人々が避難を余儀なくされていること、それを解決するめどは立っていないことだけは確かだ。我々は、これらの映像を澱のように記憶の底にとどめ、もどかしい気持ちを整理しきれないまま、展示を後にすることになる。


あいちトリエンナーレ2013で「 影 」を見つける。

あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


日々朝から夕方にかけ我々はアクセくと日々の生活に追いかけ回されている。
体調を気にする時に、痛みを伴ったところから身体は意識にのぼる。
トリエンナーレ会場も愛知芸術文化センターも多層階からなり、疲れ入りながら
隈なく作品を見ようと駆けずり回るわけである。
そんな中で、自分の「影」を見せつけられる作品が何点かある。

「影」は都会生活を送っていると、照度の高い照明下にいると意識することがない。
ダン・ペルジョヴスキ「The Top Drawing」は芸文センター11階西側展望回廊にある。
77mのウォールドローイングである。名古屋栄地区デパートからテレビ塔までを一望とし、名古屋の玄関に聳えるツインタワーまで見渡せるロケーションにガラス面各所にまるで落書きのように水性マーカーでドローイングが描かれている。
作家がサイトスペシックなアートを得意とする彼にとっては、またとない場所である。
彼の紡ぎ出す作品は「言葉みたいな絵を描くのである」それは、言葉以前に「絵」である。見たもののこれまでのいろんな体験を元に、社会風刺として受け止められる。ある人にとっては「可愛く」見え、ある人にとっては「解る」と見える。
これが、夜の帳と共に、私の「影」がもう一方の壁に写し出される。
街を見ていた自分 ドローイングを手探りで「読んでいた」自分の影が刻然と映し出されるのである。
もともと、いつでも消せる水性マーカーで描かれた絵と同じように、自分もその絵と一体になる。
いつでも消えいる人生 読み解こうとしたその言葉も絵も 同じささやかな記憶のなかに消えてゆくのだ。

コーネリア・パーカー「無限カノン」は明るい展示室のあと、中心の柱から放たれる光によって、慣れるまでしばらくの時がある。
イギリスの作家で、各地方都市には必ずブラスバンドがあったが、しかし、すたってゆき、使われなくなった楽器をプレスしてテグスで使った作品である。
「見ることができないもの聞くことのできないものー不可視と不可識」
実際の楽器は歪んでいるのに、虚像である影は「わたしたち現役よ」っていってるみたいに楽器たちの記憶 そして、その楽器たちと共に巡る 私の「影」
私の人生にとって楽器は遠いところにあった触れることなく生きてきたが、音楽は人生に喜びを与えるものであった。こんなに近くに影として寄り添う楽器たちに愛おしさを感じられるとは思いもしなかった、
見入る子どもたちもまるで演奏するように行進するのである。
美しい作品だ。

「影」にもっとも惹かれたのは、クボクワリョウタの「10番目の感傷(点・線・面)」である。
その作品は国立国際美術館で初めて見た。暗い展示室を走り回る強い照度をヘッドに付けたNゲージの列車である。進みゆく線路に覆いかぶさるようなザル、ペン立て、ウラ置きされたゴミ箱 それら諸々の影を壁面に映し出してゆく。その中に見ている私の「影」もある。
もうこの作品には魂を奪われた。いわゆるその場を離れられないのである。

絵画を含む美術体験とは、このように自分の「影」を見る旅だと思うようになった。そのまま、今に至っている。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ミハエル・カリキス&ウリエル・オルロー《Sounds from Benearth》

ミハエル・カリキス&ウリエル・オルロー《Sounds from Beneath》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 手や顔に刻まれた深い皺と白髪を蓄えた黒服の老人たちの映像。彼らが立っているのは、かつて労働者として過ごした、炭鉱跡地である。今では荒涼とした、無機質な場所から遠い過去を甦えらせるのは彼らの声である。低いがしっかりした男達の声は当時の炭鉱のサイレン、機械音、水の音、爆発、蒸気などを表現し、映像のなかで響きあう。また、アイルランド民謡を思わせるハミング、遠い日を追悼するような祈りに満ちた声。それらは長い年月を自らの肉体によって戦い抜いた栄光の者だけが紡ぎだすことのできる魂の叫びなのかもしれない。
 カリキスは1975年テッサロニキ(ギリシャ)生まれ。建築を学んだ後、音、映像、写真、パフォーマンスなどを使った横断的な表現を展開している。オルローは1973年チューリッヒ(スイス)生まれ。マルチメディアのインスタレ-ションやサウンドの研究を行なっている。今作品の制作は「記憶と歴史のランドスケープ」に興味を持ったオルローがカリキスと共同して実現した。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:アンジェリカ・メシティ《Citizens Band》

アンジェリカ・メシティ《Citizens Band》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 四角い部屋の中の真ん中にいすがおかれ、そこに座ると四面のスクリーンにそれぞれ映像が映っている。まず都市の電車の中、キーボードを肩に一人の青年が奏で、自ら歌う。その声はたくましく、身体の中から湧き上がる素直な声である。またその歌の持つ情感からは哀切さえ伝わってくる。周りの乗客は明らかに耳にしているのだが、誰も気付かないように、彼の前を過ぎて行く。
 次の面は、都会の片隅、聴衆がいるのかどうかわからない場所で、一人パフォーマンスする青年。馬頭琴を奏でながらその音にうながされるように繰り出すホ―ミー。その独特の音質、まるでモンゴル草原の大地のうねりだ。広大な故郷を思い歌う声は哀調を帯びている
 次のスクリーンはタクシーの中のドライバーを映し出す。彼の口笛はどの楽器にも劣らない、研ぎ澄まされた人間の技だ。彼の奏でる音もまた故郷を追慕するようだ。
 最後は紅一点、若い女性パーカッショニストのプールの中でのパフォーマンスだ。美しい肉体を持つ水着姿の女性が自らの手で水面を叩き、作り出す力強い音。水しぶきと巧みに繰り出される複雑な水音の競演だ。最後は4人の演奏を合わせた、迫力の音で終わる。
 故郷を遠く離れた者たちの都会での孤独、自らのアイデンティティへの確かな思いが微妙に混ざり合い、ひとつのシンフォニーになる。鮮烈な映像と人の作り出す音によって現代社会を切り取っているのだろう。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:オノ・ヨーコ《生きる喜び | JOY OF LIFE》

オノ・ヨーコ《生きる喜び | JOY OF LIFE》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)


 あいちトリエンナーレ特徴の一つとして、パブリックアートがある。ビルの壁面や地下街といった公共空間を利用し、会場へ行かずとも無料でアートを楽しめるというものだ。
 オノ・ヨーコ《生きる喜び | JOY OF LIFE》も、そんなパブリックアートの一つである。この作品は、東日本大震災への祈りと未来への言祝ぎとして製作されたもので、市民によるポスター掲示などを通じ、街の様々場所で見ることが出来る。
 名古屋のシンボル、テレビ塔に掲げられた「生きる喜び」は夜ともなれば、ライトアップされたテレビ塔にこの文字が浮かび上がり、「生きる喜び」を高らかに謳い上げているようだ。テレビ塔も含めた大きさでいえば、出展作品中で一番規模が大きく、スペクタクル性の高い作品である。多くの人が行きかう栄の街に在って、トリエンナーレの祝祭性を深く印象付けている。
 混沌とした現代社会において、「生きる」という生物の根源的営みに、「喜び」をみいだすことは、決して容易な事ではない。それはオノも十分承知の上で、敢えて恥ずかしいほど直球な言葉で投げかけている。それを楽観主義者の戯言として、無視する事もできる。しかし街のいたる処に貼られた「生きる喜び」は、嫌が応でも目に入り、我々にそれを問うてくるのだ。
 以前、居酒屋のメニューの下に貼られた「生きる喜び」を見たとき、軽い脱力感とともに、小さく笑ってしまった。案外、そういうものかもしれないと思ったからだ。
 テレビ塔以外での主な展示場所は、明治安田生命ビル屋上電光掲示板、大名古屋ビルヂング工事看板、東岡崎駅北口広告掲示板、中日新聞夕刊、街なかでのポスター展開などがある。

egg:長良かおり



2014年10月22日水曜日

レビュー あいちトリエンナーレ2013

あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)


 すべての作品と呼ばれるものは、それらが置かれる背景や文脈によっては、思いもよらない力を持った『化け物』に変化する。そしてそれを作り出すのは、ほかでもない、作品を受け止める者たち―鑑賞者たる私たち自身である。
 今から2年半前に起こった東日本大震災、その数日後に上演されたとある演劇は、作品が有していたメッセージ―『日常』というものの素晴らしさと脆さ―を、本来のそれよりずっと強く深い内省的な感慨をもって、観る者それぞれの心を揺さぶるものとなった。それは上演側の意図を越えて、すべての台詞、すべてのシーン、すべての歌詞の解釈を、それ以前とは違うものに完全に変質させていた。当時演じる側としてその舞台に立った自分自身、その空気をひしひしと感じ、同時に、思いもよらないその効果(自分たちの言いたかったことがあまりにも鮮やかに変質して伝わってしまったこと)に恐怖すら感じたものだ。
 その変化の裏に潜んでいるものは、一体なんだったのだろう。
2013年あいちトリエンナーレの作品で、印象深かったものが2点ある。まず、ミカ・ターニラの作品《the most electrified town in Finland》。これはフィンランドのとある町に原発が建設される過程を10年以上にわたって撮影し続けた記録映像で、3面のスクリーンに別々の視点からの映像を映し出すというもの。重低音の不穏な音響が流れるなか、早回しで建てられてゆく発電所の様子は、いわずもがな日本の原発と重なる。
 そしてもうひとつ、建築家宮本佳明による空間インスタレーション、《福島第一さかえ原発》だ。これは会場である愛知芸術文化センターの地下2階から地上10階までを使い、青や赤、黄色などのテープを建物内部に貼り巡らせ、格納容器や原子炉圧力容器まで含む福島第一原発のフォルムを実物と同じ寸法で示す、スケールの大きな作品だ。それらを観て回る観客の頭の中で、実際の建築物の大きさを体感してもらおうというわけだ。
 たまたまこの展示を一緒に観に行った友人が、このテープを貼る作業にボランティアとして参加しており、作品を観ながら前述のターニラの作品と絡め、興味深い話を聞いた。それは以下のようなものである。
「自分はこの作品の一部を為す黄色や赤のテープを貼る作業をしたが、やっている間はただただその『作業』に没頭していた。テープをいかにまっすぐ綺麗に貼るかということ、うまく貼れていなかったり、線がゆがんでいたりしたらやり直し、そのうち、うまく線が貼れると達成感があり、嬉しく思った。けれど、今、このターニラの作品を観ていてはっとした。ここで原発を作る作業のため動き続ける人たちひとりひとりも、まさに自分と同じような状況ではないか」。
 つまり、ひとりひとりは目の前にあるパーツをあやまたず、あるべき場所に設置していくこと、組み立てることを自分のすべき作業としてやっているにすぎない。結果的に出来上がるものが何なのかということは、そこでは二の次である。そうして完成したのが、宮本のもうひとつの作品《福島第一原発神社》の意味合いで言えば、時に人間の力では御しがたく荒ぶる神そのもの=原子力を使った発電所ということになる。   
 この話は非常に示唆的で、同時に、この構造は、今回の展覧会の性質そのものとも呼応するものではないかと思えたのだ。
 つまり、個々の作品は、与えられたテーマを意識して作られ、または選ばれて、会場に設置されるという「作業」の延長線上にある。そのテーマとは、「揺れる大地―我々はどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」という言葉に象徴される、「未曾有の災害後の日本」への問いかけだ。そして出来上がった展示の全体を巡る時、観客がひしひしと感じる、胸を締め付けるようなある種の重苦しさは、その深淵に当事者にしか想起し得ない痛みの記憶をたたえているが故に深く、鋭く、我々自身の「生」への向き合い方を考えさせるものだったのではないだろうか。
 あいちトリエンナーレの総体が、おそらく各作家が思っていた以上に、御しがたい力を持った化け物に変化している。それはテーマという「枠」を予め設けたことも大きく作用しているのではないだろうか。各作品が反射するその問いは、現在のこの国の持つ文脈を背景に、より強く人々の心の内に刻み込まれてゆく。私たちはもう、好むと好まざるとに関わらず、そこを無視して鑑賞することはできない。そのことに気付かされる体験であったという点で、この国際展は自分にとって切実なものであり、稀有なものになっていたように思う。
egg:加々美ふう





イリ・キリアン振付《East Shadow》を見て

イリ・キリアン振付《East Shadow》
あいちトリエンナーレ2013 パフォーミングアーツ公演
2013年9月16日
愛知芸術文化センター小ホール

あいちトリエンナーレ2013は、テーマを「揺れる大地われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」とし、東日本大震災とその後の世界を強く意識して、日本では好かれにくい政治的・社会的な作品も多く並んだ。数ある芸術祭の中でも稀と言われるほどテーマ性が強く、その文脈から浮かび上がる展示のストーリーや出展作品の特質に揺り動かされたが、同時に個々の作品と丁寧に向き合い、本展のテーマと各作品・作家固有の文脈がどう交わっているのか、そして自身が「どこに立って」作品を、社会を見ているかを慎重に測りたくなった。未だ進行形のカタストロフィからカタルシスを得ることへの罪悪感ゆえである。
その意味では、カタルシス不在の作品で知られるサミュエル・ベケットがパフォーミングアーツ部門のサブテーマに据えられたことは適切だった。世界的な振付家、イリ・キリアンが東日本大震災を受けて制作した《East Shadow》も、ベケットの不条理劇に着想を得た新作である。舞台装置は左半分が寒々とした無彩色の部屋。右半分にはそれと同サイズで同じ室内が映写されたスクリーン。舞台はまず右側の映像上で、壮年を過ぎた2人のシックな男女が、ありふれた日常の交々を半抽象的に踊るところから始まった。
この映像だけのパートはダンス作品としては異例な長さだが、やがてこの男女が実際に登場して舞台の左半分で踊り始めた。映像と実体が併置されることで、「記録対象は常に過去に属する」という映像の性質が痛いほど際立ち、生身の身体のかけがえのなさが煌めく。映像(=過去・死)の比重は実体(=現在・生)を上回るかに見えたが、サビーネ・クップファーベルクとゲイリー・クライストという年齢を重ねた優れた踊り手は、間もなくその2つの世界の境目を見失わせた。
そのイメージを押し広げたのは、劇中で使われたベケットのテキスト『いずれとも知れず』である。
影の中を行きつ戻りつ、内なる影より外なる影へ
不測の自我より不測の無我へ、いずれが先とも知れず……
舞台上のイメージを増幅する言葉。さらに、向井山朋子のピアノが最初から最後まで鳴り続け、轟音が響き破滅が訪れても、過去と現在、またいつとも知れぬ時間をも繋ぐようにリフレインを刻んだ。こうして映像、生身の踊り手、音楽、テキストのすべてが共鳴したとき、舞台と客席の境も決壊し、舞台上に現れた生/死、自我/外界の境目が曖昧な世界が会場全体を浸した。「われわれはどこに立っているのか」という本展の問いが否応なく立ち上がる世界だ。その余韻は終演後も長く続き、今も心のどこかに沈殿している。
 上演中、前述したような3.11に関わるテーマと作品に抱く慎重さを脱ぎ捨てるようにして作品世界に入っていく自覚があった。この慎重さは、非当事者が計り知ることができない経験の大きさに対する恐れにも由来する。キリアンは遠くオランダからやって来て明らかに津波を思わせる映像を直截に使ったが、この作品をあらゆる人生に起こり得る悲喜劇として描くことで、その恐れを超えさせることに成功していた。陸前高田出身の写真家・畠山直哉が、他者の体験を共有できないという事実を飛び超えさせる想像力を喚起できるのが芸術の力だと語っていたことを、祈りに似た気持ちとともに思い出す。
 《East Shadow》が持ち得た力はキリアンとパフォーマーたちの深い思慮と丁寧な思索の結果だろう。自身らが上演するものが「最高の形」と言いながら「そのすべては無意味だ」と断じるキリアンの言葉にそれが滲む。今回のトリエンナーレのテーマ設定を外した場所でも、震災の記憶が薄れた遠い将来でも、色褪せない作品となるに違いない。

egg:神池なお

青野文昭《なおすシリーズ》

青野文昭《なおすシリーズ》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 青野文昭は1968年仙台市生まれ、宮城教育大学大学院卒業、現在も仙台市を拠点として活動する作家である。
 1990年代から漂流物や廃棄物を拾い集め、それらに様々なものを補完し、「修復」したモノを作品化している。自身も東日本大震災で被災し、そのことが製作姿勢において大きな変化をもたらしたという。震災後は積極的に震災瓦礫を用いて製作を続けている。
 青野の修復という概念は芸術への真摯な問いかけからであった。ゼロから全てを作ってしまう作品では自然や実在する空間、時間との関係性が希薄になってしまい、作品を現実離れした別世界の物にしてしまう。そういった関係の希薄さを嫌い、「現物と融合させる」ことで作品をより強いものにしようとしたのである。
 激しく前面が潰れた軽トラックと箪笥が合体した《なおす・代用・合体・侵入・連置(震災後東松島で収集した車の復元)》、廃船とに食卓テーブルが継足された《なおす・代用・合体・侵入・連置(震災後石巻で収集した廃船の復元)》。壁面には、カセットテープや時計、ノートなどの修復物がそれらを取り囲んでいる。
彼の手により修復された作品は到底実用に供するモノではなく、時として得体の知れぬ、ある種グロテスクとさえ感じるモノへと変容される。
そのことについて青野は、「震災ゴミに刻印された震災の記憶、自然力の波動、ノイズ、泥、歪みが、代用物の家具を通して、ある意味「余剰分」として際立ち浮き上がりながら、「補完」され「延長」されえる。場合によっては、刻印された傷跡・その「変化」がより増長され、視覚的に強化され、造形的に半永久化されうる。」と述べている。
 愛知県美術館10階展示室廊下の突当り、中庭を望む出窓に私の好きな青野作品がある。宮古の衣料品店の床面と、テーブルを合わせた作品である。晴れた日は木漏れ日がテーブルに淡い影を落とし、中庭の緑と相俟って静穏な空間を生み出している。
 「造形的に半永久化されうる。」テーブルは、震災の記憶を内包しながらも、新たな意味をも持ち始めているのかもしれない。 



egg:長良かおり


青野文昭ホームページ:http://www1.odn.ne.jp/aono-fumiaki/
 アスアーク美術館:http://www.riasark.com/yomubi/body/9-aono_fumiaki.html

トリエンナーレと演劇

ままごと《日本の大人》 2013年8月14日
やなぎみわ《東京ローズ 最後のテープ》 2013年8月30日
あいちトリエンナーレ2013 パフォーミングアーツ公演
愛知芸術文化センター小ホール

 2010年から始まったあいちトリエンナーレの特徴は、パフォーミングアーツ公演がトリエンナーレの一部として劇場で上演されることである。ダンス、演劇、現代音楽など、国内外のパフォーマーやカンパニーが代わる代わる会期内の週末に登場する。普段、劇場には足を運ばない現代美術ファンの中に、これを機に劇場デビューしたという人もいるとのこと。愛知芸術文化センターが、美術館と劇場を併設している物理的な理由からであろうか。あるいは、トリエンナーレという祝祭性が、ジャンルごとに専門化された鑑賞者たちに境界線を飛び越える勢いを与えるからであろうか。というわけで、さまざまなジャンルの専門家や鑑賞者が一挙に愛知を訪れるという不思議な現象がおきる。そんな環境の中で上演される演目に求められる条件は、パフォーミングアーツだけのフェスティバルとは違うと言ってよいだろう。そこで今回のトリエンナーレの演劇公演で重視された条件は、初めて劇場に足を踏み入れる人にとっての見やすさ、演劇というジャンルへの入り易さにあったようである。その演劇作品は、《日本の大人》(作・演出:柴幸男)と《ゼロアワー 東京ローズ最後のテープ》(作・演出:やなぎみわ)の2作品だ。
 《日本の大人》は、子供と大人が一緒に楽しめる作品を、と柴氏がトリエンナーレのために創った。ある日、小学6年生の主人公のクラスに、小学26年生(32歳)の男が転校してくるところから物語は始まる。男は、大人になることを拒み子供であり続けていた。一方の主人公の少年は、母子家庭であるために料理などの家事や妹の世話など、大人のように振る舞わざるを得ない。そんな二人のやりとりなどから、観る者に「大人とは?」「子供とは?」という問いが投げかけられる。柴氏の演出は、背景として置かれた舞台装置の本棚を左右に動かすだけで、場面や登場人物の切り替わり、ときには時空をも操作した。それは、観客の想像力を信頼し、観客と共に作品を創りあげているようである。場面転換やそれに伴う暗転などは、物語のリズムを狂わす恐れのあるポイントだ。しかし、柴氏はそのマイナス面を逆手にとり、場面転換を機に舞台上の動きをさらにスムーズにさせているようであった。柴氏の創作活動は、《わが星》でセリフにラップを取り入れたように、演劇が越境するのではなく、他ジャンルを演劇の中に取り込み、演劇の枠を膨張させていっているようである。
 《ゼロアワー…》は、太平洋戦争末期、米軍に向けた謀略ラジオ放送番組『ゼロアワー』の一人の女性アナウンサー“ローズ”をめぐる物語である。英語の話せる日系の女性たちがラジオ局に集められ、番組の製作に協力させられていた事実を元にしたフィクションだ。やなぎみわの演出は、とても“王道”という感じがあった。役者の発声、動き、立ち位置、会話。どれもそつなく、きれいにまとまっていた。“美術家のやなぎみわ”の演出というのはもちろん、装置デザインのトラフ建築設計事務所、音楽のフォルマント兄弟、と演劇が専門ではないスタッフ陣が、演劇の枠をはみ出ることなく1つの作品におさまる。なんとも皮肉のような気がした。
 このようにあいちトリエンナーレ2013の2つの演劇作品は、何か新しいもの、実験的なものというよりも、初めて劇場に足を踏み入れる人にとっての見やすさ、演劇というジャンルへの入り易さが重視された制作、創作であったようである。演劇を普段から観ている鑑賞者としては、トリエンナーレならではの、“何か新しいもの”を観たかったという感想を持たざるをえない。 



「北釜」なるものを撮る

志賀理恵子《螺旋海岸》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
岡崎会場


 訪れた人は、展示会場入口で、戸惑ったのではないだろうか。白い壁に、作品が横一列に架かっている美術館とは、全く異なる世界だ。くすんだ灰色の壁と天井に囲まれた薄暗い部屋、少し傾いた姿見の様に床に置かれた作品群は、どれも違う方向を向いている。所々スポットライトの光が作品に当たり、その反射が作る床の上のさざ波が、写真の森のけもの道を案内しているようだ。


 入口から部屋の中を見ると、黒い背景に眩しい程真っ白な石の作品が何枚も見える。作品は皆ほとんど同じサイズだが、写っている石の元の大きさは様々だ。小さな砂粒を拡大したり、大きな岩を縮小したりして同じ様な大きさの石に見せている。表面の眩しい程の異様な白さは、消石灰の粉を振りかけ、更に強力なフラッシュライトを当てた為だ。砂や石は、北釜の土地から拾い上げられた、言わば北釜の地そのものではあるが、白い化粧を施されると、石ではない何か違うものに見えてくる。何に見えるのかは、その人の記憶やその時の感情により、まるで違うものなって来るのだろう。この事を志賀は、「写真が鏡になる」と表現していた。

 作品には、人物を写したものも多いが、所謂、ポートレート風のものではなく、何かを演じている。人が、体を反らせて上を見上げ、片腕を上にあげた片足の妙なバランスで立っている写真がある。地面は砂地の灰色、上半分は夕焼けの様な真っ赤な空、半分は闇に包まれた夕暮れも終わりの時間。重苦しい雰囲気の中で、人は何を見上げているのか、踊っているのか、叫んでいるのか。一見しただけでは、わからない。志賀の説明では、地元の高校生で、野球部のキャッチャーをやっている男の子だそうだ。この時は、真上にボールを投げてもらったところだが、ボールは画面の遥か上までいったので写らず、おかしな格好の人が残るのみ。説明が無ければ、鑑賞者は、この作品をどう見るのか。そこでは、人の想像力が要求される。奇妙な場面のイメージがトリガーになって、人の心にある記憶を元に、いろんな物語を紡いでいく事を、志賀は期待している。

 作品の間のけもの道をぐるりと回って行くと、最後は中央のスペースに入る。作品は、中心を取巻くように配置されているが、どれを見てもその面は、同じ方向のものは無い。ここでも鑑賞者は、作品の間をぐるぐると歩き回ってみる事になる。

 なにやら動物の屍骸の様なものが、砂浜に打ち捨てられている写真がある。先端は頭部のような形状、その下には短い足、反対側には、短い足か尾びれのようなものが付いている。宮城の海岸には、時折、クジラやその仲間が来るそうだ。中には運悪く砂浜に打上げられ、そのまま死んでしまう事もある。その様な場合、屍骸の処理は、その地区で行なわれる。北釜の浜辺では、過去、3頭のクジラの屍骸が埋められたそうだ。先程の動物の屍骸らしきものは、志賀が毛布の中に砂を詰めて作ったイルカだそうだ。
 志賀は、仙台メディアテークで「螺旋海岸」の展示を行った時、北釜の人々を招待した。皆、作品を見ながら、様々な写真にまつわるエピソードや出来事を話題にして楽しんだそうだ。見た人、それぞれに「螺旋海岸」の物語があるのだろう。それでは、志賀は、「螺旋海岸」で何を表現したかったのだろうか。聞くと、「自分でもわからない」と言った答えが返ってくる。この地に住みつき、北釜のカメラマンやオーラルヒストリーの記述係と言う役割を得て、地元に溶け込みながら何を撮っているのか。それは、志賀にとっての北釜そのものなのだろう。とても言葉では言い表せないものを、写真を撮る事で、その表面をなぞっている。写真の1枚毎の“説明“は、あまり意味をなさない。多くの写真をもって、北釜の輪郭をぼんやりと、つかむ様なものだ。志賀自身にとっての「北釜」は、その土地や風景だけでなく、そこに住む人々とその歴史、これまで紡いできた風土・風習等、それら全てなのだ。東日本大震災で大きな被害を受けた北釜。その風景は一変したが、「北釜は残っている」と志賀は言う。これからも、「北釜」なるものを撮り続けるのだろう。



志賀理江子の“写真” ―イメージが身体性をもつとき―

あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
岡崎会場


 今や現代アートにおける重要な媒体のひとつとなった写真は、彫刻はおろか絵画に比べても物質感に乏しく、いわば「イメージ」そのものに近い。志賀理江子は、写真に独特の方法で「身体性」というマチエールを与えることに成功している。
 志賀理江子は1980年、愛知県岡崎市に生まれた。子供時代、岡崎市の中でも平凡な住宅がどこまでも続く特徴のない地区で育った。水や電気など何ひとつ不自由のない世界が昔からそこにあったかのような日常に違和感を持っていたという。その空虚を埋めるかのように西洋クラシックバレエにのめり込み、バレエが生活の全てのような暮らしを送っていたと語っている。
 このエピソードに象徴されるように、志賀は自分自身や自分を取り巻く世界に確たる実感を持つことができなかったのではないか。自身の身体を含むこの世界に何かつかみ所のない物足りなさのようなものを感じていたに違いない。
 その後、志賀は17才ごろ、正統バレエの美しい頂点ともいえるシルヴィ・ギエムに敗北感を覚え、バレエをぷっつりとやめることになる。それは自己の身体が思うままにならないという違和感と同時に、矛盾しているようだが、あまりにも簡単に身体が操作可能であるという希薄感の双方に引き裂かれていたのだ。言い換えれば、常に自分自身が自分の身体から裏切られることが決定的に不可避であることを悟ったのである。
 ところで、舞踏家の土方巽は、かつて「命がけで突っ立った死体」とか、ダンスと身体障がいとの通底性を示唆する言説を記した。これも志賀が感じていたのと同質の、自分の身体への抜き差しならない違和感と希薄感を意味している。土方は舞うことによって自分の身体をかろうじて精神に繋ぎとめる手応えを模索していたのだ。重力からの解放を理想としたバレエに対し、土方の踊りが地を這うような“舞踏”であったのが、その何よりの証拠である。志賀は、後に「当時、ピナ・バウシュを知っていたらバレエを諦めなかったかも知れない」と告白していることからも察せられるように、従来のダンスとは別の身体性を求めた土方やピナと同じ問題意識を、写真という表現媒体で具現化しようとしたとも言える。
 そんな志賀の写真は、いわゆるスナップショット写真とは正反対の構成写真である。まず被写体を徹底的に演出し作り込んで撮影。さらに、一度プリントされた写真にカッターナイフや針で切り込みや穴を開け、裏から光を当てながらそれを再び撮影するなど入れ子状の手法をとっている。
 このように写真に切れ込みや針穴を穿ってマチエールを生み出す作業は、直截にいうと、自傷行為のような気がしてならない。自傷行為とは、身体の不確かさ、世界の不確かさに対し、自分を傷つけることによって確かな実感を得ようとする行為である。そうすることによって志賀は、写真という単なる薄っぺらな皮膜に、血を通わせ息を吹き込もうとしたのではないか。志賀の写真を見たときの第一印象が不気味であるのは、そのイメージがまさに観者の皮膚感覚に迫ってくるからなのだ。
 さらにそれにとどまらない。例えばゲルハルト・リヒターや荒木経惟は写真の表面にペインティングを、清川あさみは刺繍を施すことで、それぞれ写真に身体性を持ち込んでいる。それらとの決定的な違いは何か。それは、志賀が最後はあくまでも写真として仕上げていることだ。つまり、再度、イメージの中に身体性を周到に封じ込める。それは、観者がすぐには作品の中の身体性に気づきにくくする効果を持つ。そして、イメージがあたかも観者の身体にゆっくりと突き刺さってくるような凄みを作り出しているのだ。
 志賀理江子の写真の滑らかな表面に仕込まれた鋭い刃に、志賀のただならぬ情念を感じざるを得ない。
egg: 武藤祐二

原発神社が語りかけるもの

宮本佳明《福島第一さかえ原発》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 あいちトリエンナーレ2013の特徴のひとつは、建築家の参加だ。そのひとり、宮本佳明は、福島原発に関連した2つの作品を展示している。ひとつは、愛知芸術文化センター8階の展示室に置かれた、《福島第一原発神社》の模型。もうひとつは、芸術文化センター各階(B2F~10F)の床や壁・天井にテープを貼って描いた、原発建屋や格納容器の1/1図面だ。
 8階の展示室入口には、鉄筋が剥き出しになり崩れかけたコンクリート壁のオブジェが、中に入ろうとする者に覆いかぶさる様に配置されている。淡い青を下地に千切れた白い雲を描いたその外壁から、水素爆発によって破壊された福島第一原発を思い出す事はたやすい。重苦しい雰囲気の中を進むと、その内側に、原発の敷地とその周辺を含めた《福島第一原発神社》1/200スケール模型が、展示されている。原発の建屋4棟は、山形県米沢にある上杉家廟から着想を得た和風の大屋根に覆われており、幅82m、高さ88mのまさに巨大神社の様相だ。
 原発問題の要点は、その建屋内に残る、高レベル放射性廃棄物の処理にあるが、現状ではそれらを最終処分する技術的目処が立っていない。結果、廃棄物は、放射線の危険がなくなるまでの、1万年という長きにわたり、その場に安全な状態で保管するしか他に方法はないのだ。難しいのは、1万年という時間だ。宮本は、放射線の危険がなくなる時まで、既に日本人とは言えないであろう未来の人々に対し、この地が危険であると明示する事が必要だと考えた。一見して異様で神秘的な巨大神社建築が、そこに収められている物が何かわからなくとも、危険なもの、近づき難いものとして伝承されていくのだ。
 展示室を出て、2階のフロアを見てみる。黄色のテープが、床の上に何本も貼られて、原発建屋の外壁断面を表している。西入口付近から、南入口までが、原発正面の外壁で、幅は47m程。芸文センターの約半分。また建屋の屋根部分は、丁度、芸文センター10階フロアと同じで、高さ46m。原発建屋は、芸文センターの中にすっぽりと納まる程度の大きさの箱だ。フロア中央付近に、核燃料棒が入る「圧力容器」やそれを囲う「格納容器」の断面も黄色テープが貼られている。格納容器の高さは、33mなので、4Fフロア付近までの高さになる。
 今まで、新聞やTVで何度となく原発事故のニュース写真や映像を見てきたが、実際、そのスケールを体感する事ができず、時折、仮想空間の出来事を見ている感覚にも襲われていた。今回、床に貼られた黄色のテープを見て、ようやくその大きさを実感出来た。建屋や圧力容器、その中の核燃料棒なども、想像していたよりも小さく感じられた。核燃料棒の集合体は、3m角×高さ4.5mの直方体だが、この程度の大きさのものが、半径20kmの地域を人の住めない死の土地に変えたのかと思うと、今更ながら驚きである。
 原発のリスクを考えるとき、2つの側面がある。放射性廃棄物が無害化するまで、1万年またはそれ以上と言われる時間面のリスク。そして、核燃料のメルトダウンが、半径20kmの範囲を人の立ち入れない土地に変えてしまう、空間面のリスクである。これらの問題は、誰も気付かなかったわけではない。ネットで検索すると、容易に、原発に関する様々な情報を収集できる。
 アメリカの心理学者ロバート・J・リフトンは、「心理的感覚麻痺(Psychic numbing)」を提唱している。人間が、大規模な破壊や変動-核兵器の巨大化や深刻な地球環境問題、等-に直面した時、そうしたものの本当の巨大さ・恐ろしさを、直視することから逃避する現象だ。
宮本の作品は、目を閉じ自分の世界に篭っている私たちに向って、現実を見つめよ、目を逸らすなと語りかけてくる様だ。

egg:多田信行


ハン・フェン 《浮遊する都市》

ハン・フェン 《浮遊する都市》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


私は運命について考えていた。
展示室いっぱいに広がった都市の模型。大地にがっしりと立っているはずのビル群が、フワフワと宙に浮かんで、ゆらりゆらりと揺れている。
テグスで吊ったトレーシングペーパーの建物は写真がラフに貼ってある。2000棟もの 在る都市であろう。
ハン・フェンは中国の巨大都市 上海の近郊に住み、都会を見つめている。
 
私はその揺れる都市を天空からテグスが気になって仕方が無いのである。
照明を浴び、私の目線と共にズレるその輝き

そのとき、あの一文が何故かしらよぎるのである。
芥川龍之介「蜘蛛の糸」である。
 
「ところがある時の事でございます。何気なにげなく陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛くもの糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。陀多はこれを見ると、思わず手を拍うって喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。」
 
私たちは「揺れる大地」に立っているのではなく、「運命の糸」の元に吊るされているのだと
ハン・フェンの作品を這いつくばって、糸の先を見上げる。
神様がいてどの糸を切ろうとしているのか。
本当に恐ろしい「糸の輝き」さっきまでピンと張り詰めていたのに、瞬間で意図も容易く消えてしまうのだ。周りは何事もなかったかのように

人間の無常の運命を見つめさせられる作品である。



egg:古橋和佳



「受け止めて生きる」とは

あいちトリエンナーレ2013 
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知県芸術文化センターほか
風間サチコ 展「没落THIRD FIRE」
2012年12月8日(土)~2013年1月19日(土)
無人島プロダクション

ほか


 美術には「アートの力」があるから、政治とも距離をおく。では、見る側は「原発」を表現した作品をどう見ればいいのだろう。
 2013年の年初 東京 清澄白河にある 無人島プロダクションギャラリーでは、風間サチコの約2年ぶりの個展「没落THIRD FIRE」が開かれていた。狭いギャラリーの壁には2mを超える新作版画が掲げられていた。風間が提示するのは「原子力産業とそれをとりまく力の没落」であると。
核分裂による発熱と発電を第三の火(THIRD FIRE)と呼ぶ。風間の作品は4mを超す新作木版画《噫!怒涛の閉塞艦》と、2m近い作品2点《黎明のマークⅠ》《獄門核分裂235》の3点である。
  この国は被爆国からアメリカのクリーンなエネルギー政策にすっぽり乗っかり、未来の安全性を軽視した姿勢と拙速な建設を選び、1972年福島第一原子力発電所建設と向かう。その後のことも考えず、見事にそれを狙い撃ちするかのように事故という悲劇が起きる。
「記録画は【忘却】の【防波堤】である」という風間は、《噫!怒涛の閉塞艦》で描いたのは広島、長崎、ビキニ、福島の核と原子力にまつわる年代記である。

 作品《黎明のマークⅠ》には、建設中の福島第一原発一号機の格納容器マーク1が描かれている。「陸軍磐城飛行場」これが現在福島第一原発の建つ土地にかつてついていた名称である。米軍の艦載機によって空爆され飛行場は壊滅した。国家総動員法と原子力開発、この土地に埋まっている統制と国策の歴史の地層を風間は掘り(彫り)起こした。
特攻服のように防護服を着込んだ原発作業員をマークⅠ格納容器は操るがごとく「眼」が描かれている。

 敗戦で焦土とかした国土で、また、国民は「クリーンエネルギーこそ未来だ」と疑うことなく邁進してきた。
 この東京の小さな先鋭的なギャラリーで見た後、東京国立近代美術館で藤田嗣治の《アッツ島玉砕》を見たのである。「戦争画」と「原発画」この対比は無理は承知で結びつけたい。
椹木野枝が『「爆心地」の芸術』の中で「現代美術の起源には封印された「戦争画」のトラウマがあり、そのことを正面から問わない限り「戦後美術」について「歴史」というものを持つことなく、反復と忘却に終始する。」と言っている。
 「戦争画」で累々とした屍となった兵士たち、国を問わず銃の前に倒れていった人々 決して、戦争で亡くなった英霊たちではなく、「戦争とはそもそもそういうものだよ」とあざ笑うかのように横たわる。

 あいちトリエンナーレ出展作品である 岡本信次郎《ころがるさくら 東京大空襲》では、累々した死者は描かず、その時代と背景を切り出してゆく。「日本の国のかたち」はこうなりたってるんだよ。そのこと国民一人一人、浮かれて提灯行列に参加して「戦果祝言」を声だかに褒め称えてきたんだろって、ちょっとは「時代を読めよ」って静かな怒りは明るい画面に溢れている。
同じく出展作家である 建築家宮本佳明の作品《福島第一原発神社》そして、《福島第一さかえ原発》はこの対となる提起はなんであろうか。
作家 玄侑宗氏と宗教学者 鎌田氏の共著『原子力と宗教』(角川oneテーマ21)対談の中で、玄侑氏は「原子力は生態系の循環を逸脱している」と同意しつつ、もはや科学の領域だけでは語れないからこそ宗教的な視点で考える必要があると説いている。「福島第一原発神社」が大きな問題を提起している。
 日本各地には、菅原道真の天満宮など怨霊神を鎮める神社があり、もはや人の手に負えない原発もこの流れにあるといえるかもしれない。「たたりを起こさないようになだめる」といった日本人の思想は、従来の怨霊神で、靖国神社の英霊鎮魂もこの文脈で、日本人の言葉で世界に語れば、どれだけ、世界との共通認識に近づけるのだろうかと思う。
 そして、原発神社こそ、人間の自然への奢りを悔やみながら、生活することが明確になるのではないかと思う。宗教と科学を考える大いなる契機が隠されていると広瀬隆「東京に原発を!!」1981年に読んだ時には これこそ「忘れやすい日本人」にとって日常と隣り合わせに合う原発の恐怖ととことん付き合ってゆくべきだと思ったものだ。
 東京から遠く200kmも離れたところにおかなくても、メガロポリス(メタボリズムの建築物たち)の電気需要を自分たちの生活範囲で担えば事足りるのであるのではないか。それができないとする「進歩」の浅はかさを自覚してこそ「未来」がある。自然への恩恵への感謝、畏敬の念それこそ本来の日本人の宗教観に根ざすものではないか。
 最終処分場も自分たちの決められない日本人は原子力発電を続けるべきでない。

 ミカ・ターニラ《The Most Electrified Town in Finland》はそのことを描いていると思う。
 ミカ・ターニラは、フィンランド南西部ユーラヨキ自治州のオルキルオト島に2014年完成予定の原発「オルキルオト3」を撮影した作品である。2基の原子炉を持つこの施設は、西欧ではチェルノブイリ原子力発電所事故後に作られた最初の原発となる。
 エネルギーをめぐりフィンランドには「独立」を重んじる空気が強いという。

 使用済み核燃料をめぐっても、フィンランド政府は自国で最終処分する姿勢を鮮明にした。使用済み核燃料を地下埋設する岩盤の特性を調べるための試験施設「オンカロ」がある。オンカロとはフィンランド語で「洞窟(どうくつ)」「隠す場所」の意味だ。
  エネルギー政策を所管するヤン・バパーボリ雇用経済相は「国民が原発に賛成する理由の一つは、最終処分の対応が明確になっているからだ」と語る。国内で最終処分問題をクリアしているからこそ、原子力政策が推進できるというわけだ。
 日本ではどうだろう。70年代から地層処分の技術的な研究はしていたが、処分事業の実施主体として、電力業界の出資で原子力発電環境整備機構(NUMO)が設立され、02年から処分場選定に向けた調査地の公募を始めた。だが、どこも受け入れないのである。

 その結果、国内の原発では行き場のない使用済み燃料がたまり続け、運転を続ければ数年で貯蔵プールが満杯になる原発も少なくない。原発敷地外で一時的に保管する中間貯蔵施設も、西日本では立地のめどが立っていない。
 「フィンランドは国が責任を持って最終処分の施策を進め、将来世代に先延ばしせずに処分を確立した。日本も処分技術の開発能力は十分あるはずだ。ただ、政治が一体的に方向性を決めなければ進んでいかない」かと、フィンランド雇用経済省エネルギー局のヘルコ・フリート次長はこう指摘する。
ことは、靖国神社での英霊鎮魂とよく似ている。
日本人は物事を、国家として、他国の人々にわかるように語らないのである。

《福島第一さかえ原発》は黄色いラインで1/1で描かれている。10Fの吹き抜け上部から見下ろして見ても、踏みしめて行っても、全体像を見ることはできない。想像力を働かせて、原発とはそもそもどんなものなのかを、国民一人一人が理解しようとしない限り、使用ならざるものであると考える。
   ダークツーリズムとして「福島第1原発観光地化計画」は、批評家の東浩紀が発案し、メディア・アクティビストの津田大介、フリーランス編集者の速水健朗、建築家の藤村龍至らが参画されている。自己の歴史を後世に伝えるとともに、被災地の震災遺構として、「我々は加害者として生きざるをえない人間の負の遺産」を日本人は背負う必要があると思う。



オノ・ヨーコ《生きる喜び》評:届かぬ祈り

2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
会場:名古屋テレビ塔


個人的な話題で恐縮だが、ここひと月半ほど公私ともに多忙をきわめ、アートに親しむだけの精神的な余裕がない。まったく観に行っていないので今回の課題はパスするつもりでいたのだが、ここにきて一作品だけ観たことを思い出した。ざっくりと書き付けておきたい。
その作品は、名古屋市中心部の目抜き通りにあった。オノ・ヨーコ作の《生きる喜び》という。分野としてはパブリック・アート作品にあたり、通勤の道すがら目にしたものである。
テレビ塔の外側に「生きる喜び」という文字をネオン管でかたどり、夜間のみ発光させるという単純なつくりだが、地上高115メートルに設置された全長15メートルのネオンサインは、独特の存在感を放っていた。通りすがりの私の目にとまったのだから、パブリック・アート作品として充分な発信力をそなえていたと言える。
しかしながら、そこに込められたオノのメッセージは、私にとって苦痛でしかなかった。そして作品のメッセージが苦痛である場合、その発信力は暴力性として増幅される。本当につらい作品だった。しばらく目にもしたくない。
なぜそこまで苦痛を憶えたのかと言えば、オノのメッセージが理念的に過ぎたからだ。
オノ本人は「東日本大震災後の世界に向けた祈りを込めた」と語っている。当該作品に刻まれたシンプルで力強い文言は、ごく一般の都市民にとっては生の実存を問い直す貴重な機会となっただろう。その手のイノセンスは今日日重宝されるし、実際に励まされた人もいたかもしれない。
しかし、疲弊した私には届かなかった。現実性も当事者性も欠いた空想的な文言を投げつけられ 、対照的に自らの苦境を再確認させられただけである。私でなくても、たとえば目の前の平穏や生存を脅かされ追い詰められた人々に、当該作品のような手法は通用するのだろうか。とてもそうは思えない。
オプティミストを自認するオノが、当該作品において真の楽観主義を実践したいのであれば、まずそういった(目の前の平穏や生存を脅かされている)人々に提示してはどうだろうか。東日本大震災の被災地でも、アフリカやアジアにある抑圧と虐殺の現場でもいい。当該作品が出展された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2013」の会場近くにも、貧困や差別の現場はいくらでもある。
一般的な都市民に向けて、知の雰囲気をただよわせつつ文化人の高みから「生きる喜び」を垂れてお茶を濁すのではなく、もっと別の人々に作品を届け、作品の強度を試すところを見てみたい。
……とは言えオノをフォローすべきところもある。国際展「ヨコハマトリエンナーレ2011」に引き続き国内大型企画展へ招聘された背景には、相応の動員が見込めるという主催者の打算もあるのだろう。そういった出展の向きで、呑気で当たり障りのない作品を求められたのかもしれない。その場合でも、オノがお茶を濁したには違いないのだが、仕事人としての姿勢は評価できる。
  
①これはオノの作品に固有なものではなく、パブリック・アート作品がその定義上そなえている暴力性による。


egg:水餃