2014年12月22日月曜日

春の祭典 F/T

白神ももこ(演出・振付)×毛利悠子(美術)×宮内康乃(音楽) 《春の祭典》
2014年11月12日
東京芸術劇場プレイハウス
フェスティバル/トーキョー


 《春の祭典》は、ロシア人音楽家のストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽である。振付家の中には「いつかこの作品に挑みたい」と目標の一つに掲げている者も少なくないだろう。人間が古代から行っている祭や儀礼、神との関係をよきものとするため捧げられるいけにえ。そのためのいけにえ選びなど社会の仕組みをあぶり出すような物語性や、人間が何処から来たのかを探るような神秘性が、創作する者や鑑賞する者を魅了しているのだろう。やりたい作品を自由にできるわけではない現代の舞台芸術の創作環境の中で、タイミング良くこの作品に挑む機会を与えられるというのは名誉だと言えるかもしれない。しかし、これまでに発表されてきた偉大な人物たちの振付と否応なく比較されるのだから、彼らはさながらいけにえになったような気分を味わっているのではないだろうかと、このお節介な鑑賞者は想像するのである。
 今回の“春祭”は近未来の日本を想定して創られていた。毛利悠子の舞台美術は、実際に高速道路で使用されていた大きな電灯が何本か斜めに置かれており、破壊されたのか退廃したのか、終末的な印象を与える。「開演します」のアナウンスのあと、客席のあちこちからダンサーが発する動物の鳴き声が聞こえてくる。開演すれば消されるはずの客席照明はそのまま、通常体験する開演とは逆に舞台上の照明が落ちる。闇に没するはずだった自分の姿が照らされたままで、得体のしれない動物たちに見られているというちょっと不安感に襲われる。荒廃した街を自然界の者たちが取り戻しにきたのだろうか。やがて《春の祭典》が流れ出すのだが、荘厳な音楽とは裏腹に、登場する踊り手は街で見かける高校生のような着崩したブレザー姿。ビニル製のチープな花で埋め尽くされた花笠を頭につけ、まるで外国人が抱く間違った日本のイメージを具現化したようである。しかしそれは外国人からの目線ではなく、今ある「伝統の祭り」は、千年後の日本人からみてもこのように映る可能性があることに気づかされる。中盤には、桃太郎の話を学芸会のように披露する場面があるが、ひょっとすると農村舞台などで村人によって演じられる演目もこんなふうになっているのかもしれない。時間の流れに対する恐ろしさを感じた。
 全体を通して従来の《春の祭典》から想像するような踊りによって神仏をあがめる儀礼的要素や集団における意思決定の不気味さ、肉体を捧げるという残酷さを大々的に打ち出すという演出ではなかった。それは逆に、現代の日本における人間関係の希薄さにおいてリアルであったように思う。“今”を定点として近未来の祭典といけにえを想像したという点において、「2014年の振付家は《春の祭典》についてこのように取り組んだ」という足跡をつけたのではないだろうか。



egg:やすい友美

2014年12月21日日曜日

森下真樹×束芋 《錆からでた実》

森下真樹×束芋 《錆からでた実》
2014年11月8,9日
京都芸術劇場 春秋座


 
 森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)のコラボによる、コンテンポラリーダンス作品《錆からでた実》の公演が、京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場・春秋座で行われた。振付は森下、舞台美術は束芋、構想はふたりで行い、ダンサーは、きたまり、川村美紀子と森下の3名だ。初演は、昨年、東京の青山円形劇場だが、舞台構造がかなり異なっていたので、今回に向けて若干の作品修正もあったようだ。
 森下は、これまで映像を作品の中に取り込んだ事はなかったが、束芋とは、年齢や家族構成(3姉妹)等が同じことから交流が始まり、映像を入れた舞台に挑戦するに至った。束芋も振付家とのコラボは2回経験しているものの、従来作品のアレンジに留まっており、構想からつくり始めるのは今回が初めてだ。また、ダンサーの2人は、共にコレオグラフィーや横浜ダンスコレクション等の受賞者というこの個性派集団。森下はどの様にまとめ上げるのか。《錆からでた実》は、全てがチャレンジなのだ。
 公演の開始早々、カーテンが上がり始めると、3人のダンサーの足だけが見える高さで止まる。足だけを見せるダンスが始まる。しかしカーテンの上には、ダンサーの上半身に見える映像が映し出されており、本当の人影であるかの様に足元と連動した動きを見せる。後半部分でも、映像が映った背景の後ろにダンサーが入ると、その映像の中に人影が映し出され、まるで人が動き回っている様に見える。この様に映像が、ダンスと密接な関係で制作されているのは、あまり例が無いと言ってもいいだろう。
 映像は、通常、ダンスを引き立たせる役目になるが、束芋の場合、ひとつの作品として成立する程の強烈な個性と完成度を持っている為に、ダンスそれ自体を飲み込んでしまう危険性も孕んでいる。舞台を見ていると、激しく踊るダンサーに目が釘づけになっていたり、鮮やかな映像に目を奪われたりと、ダンスと映像の間を視線が行きつ戻りつしているのに気づく。だが、3人のダンサーのパワー溢れる動きの前では、心配は無用であった。むしろ、束芋の映像の持つ存在感が、ダンスと激しくぶつかり合う事で、作品全体の熱気を倍増させる事になった。
ダンサー3人は、まるで3姉妹だ。3人の群舞を見ていると、長女(森下)の振付で、要領良しの次女(きたまり)とやんちゃな三女(川村)をうまくまとめ上げている様に見える。この長女なしでは、これだけ個性の強い人の集りを制御できないのではと思わせる。ダンスは、群舞とソロの両方が演じられ、ソロの時は、それぞれのダンサーにかなり自由度が与えられていた様だ。川村などは、いつもの激しい動きが戻り、舞台狭しとばかりにパフォーマンスを見せつける。遂には、舞台下の観客席前のスペースで踊り出すほどで、殆ど暴走と表現してもよいかもしれない。しかし、これも森下の振付の想定内の事なのだろう。計算された動きの群舞と自由奔放なソロが、対比をなして、重層的なパフォーマンスとなっている。
 この作品のタイトル《錆からでた実》は、何やら奇妙な言い方だ。その意味するところは、「身から出た錆」の『錆より更にその先に、実がある』(苦しんだからこそ、その先に何かがある)という希望なのだそうだ。公演を見た限り、彼女達は確実に、いくつもの実りを収穫したと言える。




2014年12月18日木曜日

悪魔のしるし:演劇《わが父、ジャコメッティ》―虚と実のトポロジー―

劇団 悪魔のしるし:公演《わが父、ジャコメッティ》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月16日(木)
京都芸術センター講堂

 
劇場に入ると、既に3人の俳優がなにやら雑談している。観客がまだ入場中の場内はざわついているので、耳をそばだててもその小声は何を話しているのかはっきりと聞き取れない。だが、それはオーケストラの音合わせのような、期待感で胸が膨らむ時間でもある。じきに観客が全員着席し静まってくると、舞台上の柱時計が開演の午後8時を告げる。その瞬間、我々は現実の時間から演劇の時間へとするりと滑り込んだ。
 この導入部は、この劇が現実と地続きであることを暗示している。しかも舞台上では、3人の俳優がそれぞれ、登場人物と自分自身を同時に演じるという入れ子構造が展開される。主宰の危口統之は矢内原伊作を演じると同時に演劇人である自分自身も演じる。木口敬三はアルベルト・ジャコメッティを演じると同時に画家である自分自身も演じる。大谷ひかるはジャコメッティの妻を演じると同時にミュージカルの研究生である自分自身も演じる。おまけに、木口敬三と危口統之とは現実の親子でもある。
 劇のストーリーもジャコメッティと矢内原の筋立てと、現実の画家である父親と演劇人である息子の物語が交錯する。その上、舞台の造り込みにしても、ジャコメッティでもある木口敬三が油絵を画くと、その手元が舞台のスクリーンに映写されたり、俳優の台詞が同時に字幕としてスクリーンに映し出されたりする。それも、日本語と英語、日本語とフランス語が交互に投影される。
 このように虚実の二重構造が折り重なり錯綜すると、そもそも3人の俳優がセリフをしゃべっているのか、それとも単に自分自身として語っているだけなのか、見る方も混乱してくる。そうした本人性の揺らぎが危口のねらいなのだ。
 しかも、今回の演目はもし木口敬三が亡くなれば、このシナリオでの再演は厳密には不可能となる。そうした一回性もこの演劇の構造をさらに捻じれさせている。生身の俳優が一回性を生きながら、テクストという虚構を演じているわけだ。その両面がまるでメビウスの輪のように入れ替わりながら、しかも切れ間なく連続する舞台となっている。
 悪魔のしるしという劇団そのものが演劇の分野だけでなく、建築やファッションなど様々な分野にわたる専門家の集団である。彼らの代表作《搬入プロジェクト》は、何の役にも立たない巨大な物体を、それが入るか入らないかぎりぎりの入口から建物の中に運び込む。模型で入念に何度も確認した後、観客がお祭り騒ぎさながら見守る中、搬入する。いうなれば、このパフォーマンス自体が虚構の物体を現実という建物の中に、はみ出さないスレスレで押し込むという隠喩になっている。
 60年代後半から70年代初期のアングラ演劇において多用された構造、ラストシーンで一気に舞台と外界を地続きにする屋台崩しに対比すれば、《わが父、ジャコメッティ》は開幕冒頭から最後までずっとテントが開きっ放しになっている芝居だといえる。


 
egg:武藤 祐二

2014年12月16日火曜日

ルイス・ガレー振付《Mental Activity》―物体と関わる身振り。テクスト化する身体―

ルイス・ガレー:振付《Mental Activity》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月11日(土)
京都芸術センター講堂



《Maneries》で洗練されたミニマムな身体表現を追求したルイス・ガレー。今回、《Mental Activity》では一転、粗暴なまでに生々しい舞台を提示した。
 暗い会場に入ると、ちょうど観客の目の高さからのライトに照らされて、舞台だけが浮かび上がっている。墨があちこち塗りたくられ、水もまき散らされており、それらが導線となって何かが起こりそうな不穏な予兆が漂う。
 すると突然、周囲の暗闇から舞台に投げ込まれる、ネックレスひとつ。それを合図に、ペットボトル、ボール、長靴、ハイヒール、自転車のサドル、土管、タイヤ、レンガ、岩、発泡スチロール、丸太等々、ありとあらゆる大量のガラクタが次々に投げ込まれる。たちまち舞台一面ガラクタで埋め尽くされ、足の踏み場もないゴミ捨て場と化す。こんな場所でダンサーは本当に踊れるのかと訝しく思えるほどだ。
 4人のダンサーが静かに登場する。一呼吸あって、ひとりのダンサーがガラクタの中を走り抜ける。次はふたりが肩を組んで、さらには3人が肩を組んで、その次は4人全員が肩を組んで倒れ込むように疾走する。怪我もせんばかりに、ガラクタの中を駆け抜ける。
 次に、女性ダンサーが手を使わず、頭を付けて丸太を押し動かす。そしてゆっくり丸太を立てる。そのあと、4人がそれぞれ、手当り次第にガラクタと戯れる。石を持ち上げ、レンガを投げ上げ、綱で縛ったコンクリートブロックを振り回し、土嚢を口でくわえ上げる。ブリキ缶をなめ、フェルトペンで腕に線を引く。綱を引き合う、長い木の枝の両端をふたりのダンサーが双方の頬だけで落ちないように支え合いながら静かに移動する等々、雑多でプリミティブな行為を繰り広げる。音楽は最初かすかな地響きのようなサウンドが徐々に大きくなるという単純なもの。そのことがかえって、観者をダンサーの動作だけに集中させている。

 素手のときのダンサーの身振りは言語以前のイメージにとどまる。それに対し、ピナ・バウシュのタンツテアターにしばしば見られるが、物体と関わって踊る身体はある種のテクスト性を帯びる。物質と身体が織りなす交点に意味が立ち上がる。ガレーは「精神の働きは極めて物質的」と語る。題名の《Mental Activity》を訳せば「精神活動」だ。ガラクタとダンサーがあたかも交信しているかのようにも、ガラクタを浄化する儀式とも解釈可能であり、肉体、精神、物質が三つ巴となって荒々しい相克の表情を見せる。それは取りも直さず人間の原初的な営みそのものであり、ガレーはその裸形を突き刺さんばかりに我々の眼前に投げ込んだのだ。

2014年12月15日月曜日

archaiclightbody実験目撃メモ

archaiclightbody #3「抱きしめあうと眠りづらい」
2014年10月8日
ユースクエア(名古屋市青少年交流プラザ)プレイルーム


 日が短くなった夕方の住宅街を急ぎながら、この道のりにもすっかりなじんだな、と思った。北区役所に程近い、青少年育成を目的とした名古屋市の施設ユースクエア。その一室「プレイルーム」は、演劇やダンスの発表会などに若者が格安で優先的に利用できる。いかにも行政の運営らしい保守的な健全さにあふれているため、やさぐれた大人には縁遠い場所だが、この2年ほど数カ月おきに行われているコンテンポラリーダンスの公演が見逃せなくて、せっせと足を運んでいる。
 仕掛人は名古屋を拠点に活動するダンスカンパニーafterimage(アフターイマージュ)のメンバーたち。ここではカンパニーとしてではなく、各メンバーが独自に活動を展開している。面白いと思ったダンサーを東京から呼んで公演を主催したり、カンパニー外のダンサーと組んで作品を発表したり。ここは名古屋のダンスシーンを刺激する実験室なのだ。
 archaiclightbody(アルカイックライトボディ、以下アルカイック)は、そんなafterimageの主宰・振付・ダンサーを務める服部哲郎が杉山絵理と結成したダンスユニット。今回、今年の企画第3弾として、処女作(2011年初演)にがっぷり取り組んだ公演を行った。コンセプトは、再演を重ねてきたこの《抱きしめあうと眠りづらい》をさらに「様々な角度からいじり倒す」。
 まずアルカイックによるストレートな再演。そして後半は、今年愛知で結成された男女のデュオSen×Haruが同作品のリメイクを上演した。この作品は小道具が2脚の椅子だけというシンプルな舞台で、メランコリックなピアノが静かに刻むリズムに乗り、一組の男女がコンタクトインプロヴィゼーションの手法をベースに踊る。余計な装飾が無く、踊り手の身体の動き、そして二人の間で生まれる力の動きが主役だ。歩く、止まる、跳ぶ、伸びる、縮む。押す、引く、反発し合う、受け止める、離れる、触れる。それ自体がダンスになっている。いや、そもそもあらゆるダンスがそういう構造だったか、とふと思う。ミニマル過ぎず、親密さと敵対、共感と反発など人と人との間で生まれる感情の機微をまとっていて、日常的な物語に思いを巡らせる幅がある。
 そこから作品に広がりを加えるのは観客だったり、演者だったりする。アルカイックとSen×Haruとでは作品の印象は大きく異なった。アルカイックの場合、二人は恋人同士にも、兄妹/姉弟にも同志にも見えた。観客各々の目に違って映ったはずだし、シーンごとにも変化した。表現がストイックなため、見ていて想像力が働く余地が大きい。一方Sen×Haruは、アルカイックから手渡されたこの作品を恋愛初期の二人の物語として解釈し、提示した。男女の関係の描き方が少し類型的にも見えたが、より表情豊かで演劇性が高い。艶っぽく濃密な一幕を堪能した。
 こうして2組の踊りが並べられることで、《抱きしめあうと眠りづらい》という作品の骨格と魅力が一層見えてきた。また、2つの上演は「Dancer View」という映像の上映を挟んで行われた。服部と杉山がそれぞれ目の横に小型ビデオを装着して踊り、ダンサーの目線から同作品を見せるという試みだ。結局一作品を一晩に3回見たわけだが、全く飽きなかったし、終演後の小さなロビーで自然と顔を合わせることになる出演者に反応を伝えることで、この実験への加担を楽しむこともできた。振付の服部は、この作品にはまだまだ可能性があると話す。この実験を経て今後どう進化していくのかを追っていきたい。



                                                                       egg:神池なお

2014年12月14日日曜日

金氏徹平、横山裕一ほか:ライブペインティング《トレースのヨーカイ》―木に竹を接ぐ。創造的誤解の連鎖―

金氏徹平:展示《四角い液体、メタリックなメモリー》における、ライブペインティング《トレースのヨーカイ》
京都国際舞台芸術祭2014
2014年10月4日(土)
京都芸術センターギャラリー南



“木に竹を接ぐ”という言葉がある。性質の違う物をつなぎ合わせること、転じて、物事がチグハグで前後関係や筋道が通らないことのたとえ。金氏徹平は、日用品や安物の玩具の部品などのガジェット同士の接合を主たる作風としており、文字どおり木に竹を接ぐ趣を呈している。
 ただし、金氏のそれは、同じく脈絡のない物体どうしを組み合わせるシュールレアリズムのデペイズマンとは明らかに違う。デペイズマンは組み合わされた物体それぞれを異化し、観者にイメージの不意打ちを食らわせるのに対し、金氏の作品は双方の物体を同化させ、あるいはその物の用途や意味を無化する。

 ライブペインティング《トレースのヨーカイ》は、金氏の作品群を舞台装置に、4人の造形作家が琳派の創始者俵屋宗達の代表作《風神雷神図屏風》をそれぞれ解釈してトレースするというパフォーマンス。金氏のほか、横山裕一、板垣賢司、森千裕が、屏風状の透明なアクリル板の向こうに風神雷神図屏風の原寸大レプリカを見透かしながら、観衆の目の前でトレースを画いて見せた。
 琳派は、直接師弟関係を結んで系譜となった狩野派とは対照的に、時代を隔てつつも作品をリスペクトすることだけによって引き継がれてきた。ある意味、木に竹を接ぐがごとく、断続してきたものだ。日本絵画史においては、江戸琳派以降、明治に入ってからも、速水御舟、山本丘人、加山又造など日本画家が私淑して連なり、また、永井一正、田中一光などのグラフィックデザインにもその感性が受け継がれるなど、琳派は現代にもアクチュアルな影響を及ぼしている。
 今回、4人の現代アート作家が《風神雷神図屏風》に接ぎ木を試みたという趣向だ。金氏と板垣、森が、わりとオーソドックスにトレースしたのに対し、横山は自身の良く使うキャラクターに大胆に引き付けて変奏した。レイヤーを成しつつも同化する宗達のレプリカと4人のアクリル板上のトレース。おまけに、その様子を写真家の梅佳代がさかんにカメラに収めていたのだが、梅自身もアクリル板越しにさながらトレースの中の人物となっていた。

 そもそも美術史は、木に竹を接いできた歴史であるともいえる。それも誤解による接ぎ木だ。例えば、セザンヌの「円筒形と球形と円錐形」をピカソが誤解しキュビスムが生まれた。カンディンスキーの場合は自分の作品を誤解し純粋抽象絵画に至り、関根伸夫の《位相―大地》を李禹煥が誤解し「もの派」が誕生した。先人の作品の企図を創造的に誤解して、それを受け継ぐ。いわば誤解の連鎖である。ライブペインティング《トレースのヨーカイ》は、そうした誤解の美術史を踏まえた、いわば木と竹の溶解と解すべきだろう。

2014年11月30日日曜日

もみじ葉を 風にまかせて見る風景 菱田春草展

菱田春草展
東京国立近代美術館
2014年9月23日~11月3日


 人生を四季にたとえるなら、春はただその存在だけでも美しく輝くが、未熟さゆえにもがき迷える修行の時代。夏は依然失敗などしながらも、その情熱とあふれるエネルギーで突き進み、秋は過ぎ去りし日々を愛しく思いながら、人生の美しさを思いやれる時。そして冬はたくさんの思いを胸に次の時代へとつなぐ仕事をし、春の訪れを思い描く穏やかな時。そうありたいと願い、秋をひしと感じる十月、紅葉の色鮮やかな季節に「生誕140年 菱田春草展」を訪れた。自然の美しさ、季節の移ろいを詩情豊かに描いた日本画を見ることで、現代を生きる我々に、忘れかけた自然へと促してくれる。菱田春草の《四季山水》、《落葉》を体感することは、自分が日本の自然の中で生きる一人であることを気づくことでもあった。描かれた四季の花鳥・風景に、古の和歌を思い浮かべる。

奥山に 紅葉ふみわけ 泣く鹿の こゑきく時ぞ 秋は悲しき(古今集・よみ人知らず)


 春草が活躍した明治後半期、日本画壇はフェノロサが理論化し、岡倉天心が実践した「新しい日本画」のための革新運動の流れの中にあった。彼はその時代を反映し、西洋諸国に対しても日本画の芸術性を高めていくことを真摯に求め、試作し続けた。したがって、春草は自身が学んだ東京美術学校時代の校長であった天心の理念を体現した重要な芸術家の一人であると言える。生涯の師となる天心は東京美術学校の内紛を経て、日本美術院を創立するが、その時春草は天心に随い、横山大観、下村観山らと運命を共にした。それにより美術学校の教師の職も解かれ、絵筆だけでの極貧の生活を強いられることになる。ストイックなまでに崇高な理念に基づき絵画の新しい境地を探求し続けたが、現実には栄養状態も悪く、腎臓炎を患い、画家の生命線である目の網膜症をも引き起こし、その死を早めたとも言われている。
 次にその実験的とも言われた絵画探求の変遷を展示のテーマごとにたどってみる。第一期の「考えを描く」時期には、東京美術学校の卒業制作となった太平記をモチーフにした《寡婦と孤児》がある。時代は日清戦争終結間もない頃で、戦争の悲惨さを目の当たりにしての反戦の意思表示でもあった。春草は、狩野派とその基をなす、雪舟を中心とする室町水墨画の影響を受け、終生雪舟に私淑した。また古名画の複写なども行い、狩野派の最後の巨匠、橋本雅邦の試みた合理空間の処理や洋画の画面構成の示唆なども学んでいる。さらに円山派、大和絵とさまざまに吸収する中で描いた《枯華微笑》、《水鏡》などは、構図・モチーフを宋・元など中国画から取り、日本画の特性であった線描を重視しながら描いている。第二期は「朦朧体」と呼ばれた時期である。天心や大観とともに移り住んだ五浦での生活の中で、空気や光線を描き、独自の遠近感を出し、日本画特有の線描を否定した。その代表となった《寒林》は朦朧体の画期的な作品で、テーマは山水画だが、西洋画の遠近法を取り入れ、墨の濃淡だけで対象の立体化に成功している。天心は《釣帰》、《暮色》は詩のような味わいがあると評価している。しかし、この時期の新しい試みは、従来の日本画画壇から酷評され、「朦朧体」と揶揄されたのだった。次の第三のステージは色彩研究の時期。インドへ半年、アメリカからヨーロッパへ一年半と旅をすることで作風が大きく変化している。当時の西洋画における自然派の影響を受けての点描技法が見える《賢首菩薩》や補色の配置や筆触の強調で大胆に描かれた《春丘》、《夕の森》。この旅のあとに大観との共著『絵画について』の中で春草は「色は直感に訴えるもの。絵画は色彩にある」と述べている。西洋の顔料も積極的に取り入れるなどして作られた新たな日本画の誕生であった。そして最後が春草の代表作と言われる《落葉》、《黒き猫》を生む晩年期。《落葉》シリーズは江戸琳派の影響を受け金地で平面性を主張し、それに負けない構成の大胆さとなっている。《落葉》のクヌギの葉のように虫食いまで忠実に描く写実性、構成の大胆さに見られる装飾性が印象的で、春草のたどり着いた新しい境地であった。また、この時期の病気との闘い、失明の恐怖の中で表わされた静かな自然は、彼の心象風景と言える。

もみぢ葉を 風にまかせて 見るよりも はかなきものは 命なりけり(古今集・大江千里)

 あまりにも早い冷静な天才画家の死を、天心は次のように述べている。
「彼は仏画抔も写して大分古画の研究も積み近ごろ漸く自分の境地に入った処だったのに惜しいことをした。境涯に入った丈けだから勿論未だ成熟はして居ない」と。その不熟とは、「今日成熟する人は心細い。大体の問題が未だ成熟してはならぬ様に出来て居るからである」で、絶えず知的探求を止まなかった春草の魂への最高の追悼とも言える。たしかに、《落葉》は秋の深まりを描き、人生のもっとも充実した美しさを謳歌するようで、それは晩年にふさわしいのかもしれないが、四季を描いた春草には冬というさらに精神性を高めた境地を表わしてほしかった。少年の面影を残し36歳で逝った革新の画家にオマージュを贈りながら、未完成であった「美人画」の域を発展させていっただろうかと想像を膨らませる。春草は東洋の中で生まれた日本画を、古代からの霊性を伴う精神性から育まれた日本人の感性で表現し、それを世界へ伝えようとした。その理念は天心の『茶の本』に表されているような当時の西欧化一辺倒への危惧からの、日本人としての誇り、清貧を貴しとするまでの崇高な精神性の主張だろうか。春草は絵画で師の理念を突き進み、模索し続けた。彼の新しい日本画への挑戦は大観はもちろん、その後新しい日本画の境地を開いた平山郁夫など多くの画家たちに確実につながるものがあった。
 会場から東京駅へと皇居のお堀沿いを歩くと風の冷たさが心地よく、春草の絵の残像が、秋の深まりを一層愛おしく思わせてくれた。



2014年11月25日火曜日

トヨタコレオグラフィーアワード2014~次代を担う振付家の発掘~

トヨタコレオグラフィーアワード2014~次代を担う振付家の発掘~
ネクステージ―最終審査―
2014年8月3日(日)15:00開演
@世田谷パブリックシアター


 トヨタコレオグラフィーアワードは、次代を担う振付家の発掘と育成を目的に2001年に設立され、本年で9回目を迎えた。8月3日に行われたネクステージでは、203組の応募の中から映像と書類選考で選ばれた6名のファイナリストの作品が上演された。同日に審査委員とゲスト審査委員の討議・投票により「次代を担う振付家賞」1名、観客の投票により「オーディエンス賞」1名が決定。今回のアワードでは、川村美紀子がともに受賞した。
 川村美紀子の作品は憎らしいくらい素晴らしかった。ダンサーの動きは洗練され、照明はストロボ等を使いカッコよく、音響はスタイリッシュ。その一方で、電車がホームに入って来る前に流れるメロディーや地震速報のアナウンスに振りをつけたり、舞台上にラジコンで動くキューピー人形が何体も登場したり、ユーモアも忘れていない。整然と構成された作品のように見せかけておいてハズすところはハズす。そのバランスの良さが観る者を飽きさせず、最後まで惹きつけた。
 ここで注目したいのが “振付”の定義である。審査委員の一人によれば、ダンサーに動きをつけることだけを振付というのではなく、作品全体の構成や演出、照明、音響、舞台美術を考えるのも振付家の仕事の一部と考えられるようになってきたというのである。だが、あくまでそれは個人の意見で、審査委員みながそう考えているわけではないらしく、たしかに審査も難航していた。他の5人の振付作品も、何かしらのポイントで良さがあったことは言うまでもないからだ。
 その一人、コンタクトゴンゾの塚原悠也は、「ダンスの教育や、ワークショップ等を一度もうけていなくても12時間程度の準備で誰でもが再演可能」で「テクニカルな予算もほぼかからないし、リハーサルも必要ない」作品を製作した。誰もができる、どこでもできる振付こそ優れているという視点を提示することにより、“振付とは何か”というアワードの目的自体に一石を投じるものであった。それを排除せずファイナルの場に残しているというのは、われわれ観客も“振付”について考えよ、と問われているようであった。
 どこまでが振付か、どんな振付が優れているのか、結局明確な答えはみつからなかったが、その時代その時代に考え続けることが有意義なことではないだろうか。そもそも芸術作品を競わせるのは難しい。スポーツのように点数を入れればよいという明確な基準がない。あったとしてもそれは個人の基準であり、観る者同士その基準の違いをお互いに探り合うこともまた数字では表せない世界の魅力の一つといえる。今回は、“振付”について考えるきっかけを得たのはもちろん、注目の振付家たちの作品を一堂に観ることができて、一観客としては大変満足であった。


2014年11月23日日曜日

現代アートと能楽と ―能面と能装束展

能面と能装束――みる・しる・くらべる――
2014年7月24日~9月21日
三井記念美術館

 「お能?高尚過ぎてちょっと……」「お経みたいなアレ?」「100%寝る自信がある」―――私はここ数年能楽にはまっているが、周囲の反応は大体そんなところである。文楽や歌舞伎など他の日本の伝統芸能と比べ、誘った相手のテンションは格段に低い。「お囃子がロックなジョン・ケージなんだよ!」などと力説しても、返ってくるのは生返事ばかり。
 そんな能のイメージを払拭する展覧会が三井記念美術館で開かれている。能面と能装束の二本立て、つまり芸能である能楽の生身の部分(演者と実際の上演)と文学性を除き、造形と意匠に焦点を当てたものだ。能面は15点中14点が重要文化財で、金剛流宗家旧蔵の名品を大公開している。
 まず目を奪われるのが、洗練された展示方法だ。奥に長い展示室に入ると、暗い室内にスポット照明で照らされた能面が点々と並んでこちらを向いている。一点一点ガラスケースに入れられ目線の高さに展示されており、面(おもて)が宙に浮かんでいるかのよう。現代美術のインスタレーションのようである。
 展示は呪術性の強い翁面から始まり、尉、鬼神、男面、女面と続き、その多様さ、表情の豊かさを見せていく。無表情なことを「能面のような」と最初に形容したのは一体誰なんだ。そして最初の展示室最奥で一つのクライマックスを迎える。室町時代の女面《孫次郎(おもかげ)》である。
 その面は美しい成熟した女性を演じるための道具として一つの類型となるべく、他の多くの女面同様、抽象の二歩手前くらいまで抑制された造形表現が用いられている。だがよく見ると、モデルとなった女性の癖だろうか? 少しだけ口を歪めて微笑んでいる。やや悪戯っぽいその笑みは、作り手とその女性との親密な関係故なのか? 孫次郎という能役者が若くして亡くなった妻の面影を偲んで打ったという伝承が腹に落ちる。見るほどに、現実に生きた女性の存在を想像させずにはいられないリアリティと個性が浮かび上がっては、抑制された造形に押し戻されて波のように引いていく。写実と抽象の均衡が破れる瞬間と、それが去った後の静けさに魅入られて、いつまでもこの面の前から離れがたかった。
 元々美術ファンである私から見て、能楽はミニマルな舞台セットや演者の動きが見る者の想像力を喚起し、提示される表現を鑑賞者が大きく補うことで成り立つ点が魅力の一つだ。今回の《おもかげ》との対面も同じで、それは知覚をフル稼働して現代美術作品を体験する楽しみとよく似ている。
 しかも600年以上前に成立したこの芸能は、現代の目には突拍子もない新しさも併せ持つ。例えば音楽の面で言えば、無音状態の「間」を無という音として使う。それを知ったとき、ジョン・ケージか!と思わず叫んだが、いやいや、能楽が遙か昔からやっていることなのだ。そうした能の「新しさ」は難解さとして捉えられがちだが、紐解けば単に、自分が西洋近代の基準で考えていただけだったということに気づかされることがままある。能面に話しを戻すと、2012年の愛知県美術館「魔術/美術」展で冒頭に増女の面が展示されたのが今も記憶に新しい。時代や様式の区分を取り払って美術における非合理の要素を紹介したあの展覧会で、《おもかげ》同様高度に洗練されていながら魅入られると取り返しがつかなくなりそうな呪術性を湛えた面によって、一気にその企画テーマの世界に引きずり込まれた。能を過去の遺物と決めつけるのは、近代以降の枠組みで言う新しさやユニークさに囚われていることの裏返しかもしれない。それをやめれば、世界は一層面白くなる。過去は未来と同じくらい未知の存在だとつくづく思う。週末は能楽堂へ行こう。
                                                                       egg: 神池なお






2014年11月20日木曜日

山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法」を見て

山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法―」
一宮市三岸節子記念美術館
2014年7月19日~8月17日

 この展覧会を反芻していたら、子どもの頃見たアニメ「魔法使いサリー」を思い出した。サリーが樋口一葉の『たけくらべ』を読んで熱中するあまり、小説の世界に入ってしまうエピソードだ。サリーちゃんが現実に戻れなくなったらどうしようと心配しつつも、架空の世界に入っていく物語にたまらなく魅了された。そういえば山田純嗣は、創作の原点の一つとして、キン肉マン消しゴム(キン消し)を使って空想する遊びに熱中した子どもの頃の経験を挙げている。
 今回作家が発表したのは、ここ数年取り組んできた東洋西洋の名画をモチーフとする一連の仕事を、さらに追求した作品。会場には白い壁に白を基調としたパネルが並び、思わず「きれい」という言葉が浮ぶ。描かれているのは雪舟の《天橋立》やミレイの《オフィーリア》、モネの睡蓮シリーズなどで、どれもなじみ深い。
 でもよく見るとそんなに単純ではないのだ。画面内に奇妙な立体感があって独特の奥行きを感じさせる一方、表面には文様や草花、生き物などが白く細い線でびっしり描かれている。画面内に三次元の生きた世界があるようで、思わず吸い込まれそうになるが、危ないところで表面の装飾的な線に押し留められるような気がする。
 いったいどうなっているのかと思わずにはいられないその制作方法は、まずモチーフを石膏で立体物として作り、それを写真に撮影し、その上に銅版画を重ね、さらに部分的に絵を描いてから樹脂でコーティングするという。でもその工程を確認してから改めて作品を見ても、ますます謎めくばかり。二次元が三次元に、そしてまた二次元に……?
 インスタレーション作品がさらに謎を深めている。これまでの平面作品の中で使われた様々な石膏の立体物による、ミニチュアの白い世界。それらを二次元の図像(山田の作品、さらにその基になった名画)として見た記憶が蘇り、同時にその図像から無意識に思い描いていた三次元世界が呼び覚まされる。そして目の前の立体物。同じモチーフがいくつものイメージの層となって重なったり離れたりするうちに、意識が混濁していくかのようだ。
 私は去年、山田が以前からモチーフにしている中世ヨーロッパのタピスリー『貴婦人と一角獣』(1)のオリジナルを見たとき、山田の作品が自分に大きく影響していることに気づいてハッとした。細密に表現された草花や衣装が遠近法を用いずに配された、夢の中のようなタピスリーの絵画空間に、前述したイメージの層を重ねていたのだ。それは二次元とも三次元とも、現実とも仮想とも言い難いリアリティを生み、混濁が覚醒に転じた思いだった。その状態で直後に飛び込んだアンドレアス・グルスキー展(2)では、現代写真と中世の表現が完全に地続きに見え、その面白さといったらなかった。その時考えていたのは、人と視覚的イメージをめぐるあれこれだ。人はどのように物を見ているのか? 人がイメージを作り出し、それを造形物として表現するってどういうこと? そしてそのリアリティとは?
 山田は今回、平面性を特徴とするモネの睡蓮シリーズやポロックのドリッピング絵画にまで題材の幅を広げた。今までどおり「立体化」というプロセスを踏んで。これらを見た経験は、今後私にどう影響するのだろう。また、これまで作品のいわゆる「美しさ」の後ろに潜んでいた、イメージをめぐる思考への作家の貪欲さ、絵画世界に対する追求の際限の無さが露わになり、これからの展開にますます興味を引かれる。
こうした関心は決してアートの世界のマニアックな話に留まらないはずだ。会場のインスタレーションの前では小さな男の子が座り込み、じっと見入っていた。キン消しで遊んでいた頃の作家もこんな風だったのだろうか。

(1) 国立新美術館「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣」展(会期:2013年4月24日~7月15日)
(2) 国立新美術館「アンドレアス・グルスキー」展(会期:2013年7月3日~9月16日)

                                         egg:神池なお


2014年11月19日水曜日

質感の動きを求めて~ジャン・フォートリエ回顧展

2014年7月20日9月15日
 豊田市美術館
   
 時代とともに変遷し、たどり着いたフォートリエの抽象画はジャズに重なる。
豊田市美術館で没後日本初の「ジャン・フォートリエ」の回顧展が開かれている。代表作と言われる「人質」連作を始め、彫刻・版画を含む90点に及ぶ作品を時系列で見ることができる。1898年生まれのフォートリエは幼少期、アイルランド人の祖母にフランスで育てられ、その後ロンドンの母の元へ行き、のちにアカデミーで学んだ。初期作品は当時のレアリスムの影響を受けた肖像画が並ぶ。緻密な描写だが、そのどれもが人間の内面まで見抜いたような表情。暗い色調も、悲しげで苦悩に満ちた表情を増幅させる。彼の身近な人物を描いているとされるが、それらは実在する人物というより彼の心に映った人々である。
フォートリエの作品はその厚塗りの絵の具の物質感によってイメージを固定するかのような抽象絵画へ変化していく。油彩、紙、顔料などさまざまな材料で質感を求め、ブロンズによる造形にも挑戦した。一連の「人質」作品はゲシュタポに捕えられた人間の極限の姿を質感に投影し、人類の暴力を留めようとしている。
「人質」の連作から一転、戦後描かれるのは明るい色調、平穏を取り戻して《コーヒー挽き》《糸巻き》《鍵》《籠》と生活感のある対象に変わり、《こちょこちょ》《ふとっちょ》と可愛らしいタイトルまである。続く《オール・アローン》はフォートリエのお気に入りのジャズピアニスト、マル・ウォルドロンの曲名から。制作時は絶対的静寂を求め、誰も立ち入らせず、音楽・書籍・風景などの記憶に基づき、絵画に向き合ったという。
戦後、フランスのアンフォルメルの源流と評された彼は、抽象画について「具象に足りない部分がある」から「事物を分析して新たな形象を生み出したかった」と語り、それは「自由に表現することが許されている」ものだという。彼にとっての抽象画は、イメージの質感を動きそのものに託す、すなわち自由に塗り重ねる筆致として表現する自由な精神であり、それはまさにジャズと重なり合う。
スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルトの(1964年録音)ジャケットはオルガ・アルビズの抽象画だ。戦後に描かれたフォートリエの《無題(四辺画)》《草》などはオスカー・ピーターソン、ジョン・コルトレーンのレコードジャケットにと想像してみる。時代は人種差別や戦争などさまざまな闇を抱えていたが、その中に一筋の光を見出し、打開しようとする精神がある。だが、あくまでも軽くスィングしてかわすようなスタイリッシュな手法だ。晩年のフォートリエも聴いただろうかと思い巡らした。

                               egg:三島郁子


自分だけの一点に ―ジャン・フォートリエ展

ジャン・フォートリエ展
2014年7月20日~9月15日
豊田市美術館

ふと出会った一枚の絵に強く惹かれて、まるで自分だけの作品のように思う、自分だけがその絵のことを分かっているかのように大切に胸にしまっておく――特に美術ファンでなくてもそういう経験がある人は多いと思う。例えば人生の転機に出会うべくして出会ったような作品や、近しい人との思い出と強く結びついた作品。何かの折に誰かがふとはにかみながら、そんな一点について話すのを聞くのが好きだ。
 フォートリエはそんな思い入れを誘いやすい作家の一人だと思う。私自身、20歳前後だったろうか? 何かの本でたまたま見た《人質》シリーズの小さな白黒の図版に強く惹きつけられた。若さ特有の茫洋とした不安と傷つきやすさからまだ抜けきれない年頃で、剥き出しの自我と自傷的な内省が共存するようなそのイメージと、距離がひどく近いような気がしていた。
 それなのにこの展覧会の冒頭、フォートリエがイギリスで美術教育を受けたという解説を読んでハッとした。そうだ、この作家のことをよく知っているような気がしていたけど、何も知らなかった。実際、人気作家にもかかわらず、意外にも今回が日本初の本格的回顧展。創作の軌跡を辿る貴重な機会となった。
 展示は画家が10代を過ごしたイギリスからフランスに戻った1920年代の作品から始まった。全く知らないフォートリエばかりだ。暗めの色調とがっしりした構成の人物画や生物画はセザンヌの影響だろうか。その後スタイルは何度か変化していくが、対象の存在感の重みと、触れていないのに手触りを感じるような堅固なリアリティを絵画空間の中で追い求めた点では一貫していたように見える。
 その努力は、第二次大戦下《人質》の連作として一旦結実する。展示された10点は、確かに絵画であって立体ではないのに、画面から越境して見る側に迫ってくるようなマチエールを持つ。ふと、平和な時代なら全く違う表現になっただろうなと思ったが、造型上追求したもの自体は同じだったに違いない。戦後は抽象性が増し、色調が明るくなって硬質な叙情性が加わったが、やはり初期から通底する要素は同じだと感じた。
 こうして一人の作家の作品を初期から晩年まで辿ることは、出会い頭の一目惚れとは大きく違った鑑賞体験となる。出会い頭の場合は見る側の文脈が主体で、そこに作品が飛び込んでくる。実際、戦後すぐの時代に《人質》が人びとの心を捉えたのもそれと同じなのかもしれない。戦争による精神的・肉体的な傷を抱えた多くの人が、自分のための作品として受け止めた。一方回顧展などでは、見る側の文脈を外して作家と向き合うことになる。それでもフォートリエ作品のなお超然として力強いこと。このように、時を経て自分の環境や持っている知識と経験が変わっても改めて新鮮に受け止められる、一粒で何度でもおいしい作品を知ることは、美術ファンとして格別な喜びだ。
とは言え、「自分だけの一点」に出会った人の多くは、その後も美術館に足繁く通うことはないだろう。それでもその一点を個人の物語と共に胸にしまい、一生の大切な糧として過ごす人は大勢いる。「美術ファン」と括ることすらできないそうした人々にもたらす美術の力が表に出ることは少ないが、その強度に思いを馳せると、やっぱり美術は侮れない。

                             egg:神池なお

2014年11月18日火曜日

札幌国際芸術祭 宮永愛子 《そらみみみそら》

宮永愛子 《そらみみみそら》
札幌国際芸術祭
2014719日~928
札幌芸術の森美術館

 以前、宮永さんの作品を拝見した事があります。長い透明なアクリルのケースの中に、白いナフタリンで作られた時計、ハイヒール、コーヒーカップ等が置かれていました。それらナフタリンのオブジェは、時間の経過と共に徐々に形が崩れていきます。昇華という物理現象が、固体状態にあるものを気体へと変えるのです。短い時間でその変化を目にする事は出来ませんが、1日という時間のスケールで見れば、形あるものが、その姿を失っていく様子がよくわかります。同時に、アクリルケースの内側には、ナフタリンが白い雪の様な結晶として、再び姿を現します。気化と再結晶化を繰り返す様は、時間の流れを感じさせてくれました。

 今年、夏も盛りの頃、札幌国際芸術祭のメイン会場のひとつで、札幌郊外にある芸術の森美術館を訪問しました。そこに展示されていたのが、宮永愛子さんの作品。今回は、以前(2005年)の作品《そらみみみそら》の発展形だそうで、説明では、「サウンド・インスタレーション」。陶器の底に塗られた釉薬の割れ-「貫入」-の音を聞かせる作品です。

 展示室に入ると、中央に置かれた大きなトロッコが目を引きます。その赤錆だらけのトロッコを取り囲む様に、白い陶器がぐるりと並べられている。宮永さんは、この作品の構想を練っていた時、美術館の隣を流れる豊平川の話を聞いたそうです。川を遡って行くと、古い鉱山跡にたどり着く。更にその地下深くに、鉱物を採掘した後の大きな空洞があり、地下からの湧水や地面からしみ込んだ水が溜まった地底湖の様なところがありました。豊平川の水源のひとつであるこの地下水を、陶器の釉薬に混ぜて使用したそうです。展示室のトロッコも、この鉱山で使用されていたのでしょう。

 「貫入」による音とは、どのようなものでしょうか。一般に陶器は、粘土の素焼のままでは、水を吸収しやすいため、表面に釉薬を塗った後に焼く事で、表面をガラス質で覆う事が出来ます。「貫入」とは、このガラス質の釉薬が、陶器素地との収縮率の違いにより、冷えて行く時、割れ(またはひび)が発生する事です。窯から出した直後の陶器は、急な温度の低下の為に、「貫入音」が賑やかに聞こえると言います。

 今回の展示の陶器は、窯から出してだいぶ時間が経過しているので、頻繁に貫入音が聞こえるわけではありません。陶器の底に釉薬が溜まり、少し厚いガラス質の層が出来ています。宮永さんは、釉薬の調合により、この貫入が、時間を経過した後も、断続的に発生する様にしました。つまり、陶器を置いておくだけで、自然と「貫入音」が鳴るわけです。

 実際に、作品に聞き耳を立てていたのですが、よくわかりません。定期的に、例えば、3分毎に発生させる、と言ったところまでコントロールは、出来ていない様です。鑑賞者は、いつどんな音が聞こえるか、わからないままじっと静かに作品を見つめ続けます。

   「チン!」

突然、小さな音ですが、確かに聞こえました。ガラス質のものが割れるならば、「パリッ」の様な音を想像していたので、意外でした。フライパンの底をナプキンで包んだスプーンで軽く叩いた様な、硬質な響きでした。

 陶器は、何も変わらない不動の固体の様に見えますが、実は変化し続けているのだという事を、「貫入」という現象が教えてくれます。土と釉薬(ガラス)の収縮率の違いが、両者の間に緊張のエネルギーを生み、ある時その均衡が崩れ、亀裂が生じます。人の目には見えない、均衡と崩壊の繰り返し。宮永愛子の作品は、私たちの住むこの世界では、永遠に不変のものなど無く、時間の流れの中で全ての事象は変わり続けている事を教えてくれます。

                                egg:多田信行



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2014年11月17日月曜日

挑戦する日本画展

挑戦する日本画展―「日本画滅亡論」を超えて 1950~70年代の画家たち
2014年7月5日~8月24日

@名古屋市美術館

 静寂の中、和室でじっくりと鑑賞するために描かれる花鳥風月。というのが、私の「日本画」に対するイメージだ。理想的に美しいものしか描かれていない。もちろん、風神雷神などの荒々しい神々が描かれた襖や、柳の下に女が不気味に立っている掛け軸などがあるのは知っている。しかしそこには、たとえ恐ろしくても、伝統的な様式美を感じることができる。それゆえ今回、『挑戦する日本画展』で目にした「日本画」はとても新鮮だった。私が第二次世界大戦後の日本画を知らないからだ。
 私は日本画家を多く知らない。美術の教科書などでなんとなく名前を知っている画家が何人かいるくらいで、その中でも作品と作者を一致して記憶している自信もない。その程度の知識しか持たない者にとって、50名の「日本画家」の作品を一挙に目にできる機会はとても貴重だった。しかも、私の知っているような作家がフューチャーされ展示の大部分を占めるのではなく、「日本画」の名の下、知名度の高低なくほぼ平等に扱われていたことに、「日本画は数人の作家が作り上げたものではない」という企画者の意図が感じられた。並んでいる作品も、現実社会の等身大の人物や、概念的で抽象化された模様、自己の内面を表出したようなものが多く、私のイメージしていた襖や掛け軸はなかった。「激動する日本社会の現実に対応できない「近代の日本画」に対する批判として「日本画滅亡論」が登場しました。その逆風の中で、意欲的な日本画家たちは(中略)「日本画」の革新に取り組みました」とチラシにあるように、日本画は生き残るために挑戦し、進化を遂げたのだと思う。
 しかしこうなってくると、西洋画とは何が異なるのか、という疑問が湧いてくる。「日本古来の伝統を継承する絵画の総称」(チラシより)を「日本画」とするならば、西洋画との違いは使っている画材の違いだけになってしまわないだろうか。なにを描いているから、これらの作品が「日本画」という分野に収まっているのだろうか。「日本画」という“ジャンル”を受け取る側もしっかりと定義しなければ、その「挑戦」はぼんやりとしてしまう。
 近年、“コラボレーション”という言葉をはじめ、“ジャンルを越えた表現”などの紹介文を目にすることが多く、新しい何かをみることができるというだけで惹かれてしまう。しかし、その1つ1つのジャンルにおける他のジャンルにない特化した要素、それに至る歴史など、はたして私は知っているのだろうか。なにがどのように新しく、どの部分が重なり合い複合的なのかを判断できているのだろうか。何か重要なものを取りこぼしていそうである。新しい表現を求めることも重要だが、1つ1つの歴史や伝統に目を向けなければいけないことを痛感した展覧会だった。



2014年11月10日月曜日

華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある ~ヨコトリと、その周辺で

2014年8月1日11月3日
横浜美術館+新港ピア他
生きものの記録(黒澤明)/ 1955
 2014年9月5日
 ウィルあいち・ウィルホール
2014年7月5日9月15日
神奈川県立近代美術館鎌倉別館

2011年を経た現在の日本人が忘れたもの、それを思い出させるのは芸術の力だけなのかもしれない。政治、経済を取り巻くグローバル化のうねりは、正義とは、人間とはという哲学を我々から忘れさせている。大国の論理、武装した国の圧力、宗教を取り込んだ殺戮を目の当たりにする今、何かが地球に生きる者に静かに迫りつつある。我々にもう一度立ち止まり、その何かを考えさせてくれる、アートの体験には確かな力があった。

ヨコハマトリエンナーレのテーマにある「華氏451」は1953年のレイ・ブラッドベリ作SF小説、のちにトリュフォー監督によって映画化もされた。時代は近未来、時の治世者は民衆の思考停止を図るべく、世の中から書物を焼き捨てようというのだ。人間の大切な、長い歴史における知の結晶が彼らの都合で葬られ、抵抗する者は容赦なく抹殺される。

 地震国での原発の危険を知りながら、廃棄物の処理方法も見いだせないまま、再稼働を決定する。他国に原発や武器を輸出する。二度の原子爆弾の脅威を知り、平和憲法、言論の自由を戦後民主主義は拠り所としてきたはずなのに、議論も熟さないまま法律が変えられる。そして今、日本人は2011年に経験した感覚も忘れ去ろうとしているのか。今だけを生き延びるではあまりにも無責任すぎる。自分たちの国の権益だけを主張していては、いずれ人類は滅びる。目に見えない大切なものや小さな声が追いやられていく。

フランスのルイ15世の公妾で、贅の限りを尽くしたと言われるポンパドゥール夫人が述べた、「我の亡き後に、洪水よ来い」。これは新港ピア会場に展示されていた、メッセージである。

新港ピア会場(chapter11 忘却の海に漂う)に入ってすぐに写真家土田ヒロミの「ヒロシマ」をめぐる3つのシリーズがある。なかでも長田新の編著書『原爆の子』(1951)に被爆体験記を寄せた子どもたちのその後を追った《ヒロシマ19451979/2005》はそのテキストと写真で、過去と現在を同一画面上に構成したものだ。なかには「撮影拒否」と書かれたものや後ろ姿を撮ったものもあり、当時の彼らの心情を正確に映し出している。過去を心の奥底にしまい込み、父、母として、夫、妻として、ごく普通の一人として生きて働く、それぞれの生活者の歴史を見る。時の流れの中で風化しようとしている記憶を土田の写真は私達の心にピン止めするかのようだ。

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー展」が開催されている。震災の年から翌年にかけても「ベン・シャーン展」が福島、名古屋などで開催され、「第五福竜丸」を主題とする《ラッキードラゴン》などに彼のジャーナリズムの神髄を見た。彼の平らかな目は、常に弱者を映すことで人間の尊厳を強く訴える。
さらに今月、あいち国際女性映画祭2014で黒澤の1955年作《生きものの記録》が上映された。黒澤の映画の中ではあまり知られていないが、奇しくもアメリカの水爆実験直後に同じ「第五福竜丸」を主題として映像化した作品だ。ストーリーは主人公が(35歳の三船敏郎が70歳の老人役を演じている)当時日本にも害が及ぶと言われた水爆から逃れるために自分の一族郎党を引き連れてブラジルへ移民しようとするものだ。財力に物を言わせ、自分たちだけが助かる道を探る、これもまた人間のなせる業。だが、誰からもその考えを理解されず、精神を病んでいく。黒澤の生の人間の描き方はモノクロ映像を通すことで、より強く現在の我々に迫る。

 ヨコハマトリエンナーレ、ベン・シャーン、黒澤と、私たちが忘れてはいけないもの、そして考えを停止させられ、行動を阻止させられようとしていることをアートの力によって投げかけている。受け取るか、忘却するかは観る者の感性に任されている。

                               egg:三島郁子

藤原泰佑 展 《Re:Born》

藤原泰佑 展 《Re:Born》
2014年6月22日(日)~7月20日(日)
ギャラリーM
 
 以前から気になっていた藤原泰佑の個展。風邪にめげず、オープニングパーティには行くべきだった。
 春に行われた、同ギャラリーでの作家6人展を見て以来、藤原さんの異形ともいえる構築物を描いた作品は、若手作家の中でも異彩を放ち、脳裏に焼付いたままでした。その奇妙なものは、10階建以上のビルディングに相当する大きさだけれど、きちんと設計・施工されたわけではなく、レトロな看板の商店や古い家屋を無造作に積み上げたようなものです。「松崎商店」「○田ふとん店」等の商店名、「ブリジストン」や「ナショナル」などのよく知られた商標の看板も見える。まるでモクモクと湧き出た積乱雲が、建築物の姿を借りて地上にデンとそびえ立つ様な、周りを圧倒する程の存在感を醸し出しています。
 顔を近づけて絵の詳細を見れば、個々の家は、必ずしも完全な形を保っているわけでなく、半分くらいが薄く消えているものさえあることがわかります。藤原さんは、実在する商店や家屋をカメラで撮り、パソコン上で画像を重ね合わせました。あるものは商店全体を、またあるものはシャッター部分だけ、屋根の部分だけ、どこかわからない家の一部分を、コラージュの様に画像データを張り合わせ、その後、それらの上に油彩などで彩色を施しました。看板の派手な色と大きな文字、壁のくすんだ灰色、実際とは異なるであろう原色に近い彩色等が渾然一体となって、その構築物の持つ猥雑なエネルギーを表現しているようです。
 藤原さんは、東北(山形県)在住で、2013年に東北芸術工科大学大学院を出たばかりの若い作家です。同大学には、教授として美術家の三瀬夏之介さんがいます。三瀬さんといえば、「東北画は可能か?」という共同制作・展覧会活動を思い出します。その活動とは何か、サイトの説明によると、
「東北という辺境において、その地域名を冠にした絵画の成立の可能性を探る試みである。『東北』と一括りにされた風土、価値観に対するローカル地域からの逆襲でもある」 
とあります。
藤原さんも学生時代に、「東北画は可能か?」の活動に参加していたようで、その頃から、地方のあり様に関心があったのでしょう。彼のインタビュー記事には、「もともとあった地域の商店街のエネルギーは、大きなビルに収まり切れないくらい大きい」「この商店街のエネルギーを、消えゆく前に描こうとおもいました」とも言っています。
 なる程、赤黄緑等の原色による彩色は、エネルギッシュな感じで、都市の雑踏の、猥雑ではあるが活気に満ちた雰囲気を想起させます。しかし、その原色のペンキの汚れや、家屋の壁の剥がれ、閉じられた雨戸を見ると、私はどうしても、地方のシャッター街を思い出さずにはいられません。昔、私が子供の頃住んでいた田舎町では、「ナショナル」の看板を掲げた電気屋は、夢と活気の象徴でした。でも今は衰退の象徴です。藤原さんも、きっと同じ思いなのでしょう。活気溢れる商店街を思い起こしながら、地方再生の願いも込めて「Re:Born」というタイトルにしたのだろうと思います。が、描いたものは、悲しいまでに未来を失った街の残骸にも見えます。
 藤原さんが描いているのは、かつての街の、燃え上がる様なエネルギーの残渣なのか、再生に向けた旗印なのか、そんなお話をお聞きしたいと思っていたのですが。
              
                            egg:多田信行

2014年11月9日日曜日

夢見るテレーズ

バルテュス 《夢見るテレーズ》
2014年4月19日6月22日
東京都美術館

 蝶は、サナギから成虫へと羽化する時、短時間でその体を変える。サナギの背中に出来たひとすじの割れ目から、成虫が顔をだす。太い体に小さく縮んだ翅(はね)。もそもそと這い出して、サナギの殻の近くの枝にとまってじっとする。小さく折りたたまれた翅が、徐々に広がっていく。翅の中には、翅脈(しみゃく)があって、体液がそこに流れ込む事で、やわらかな皺だらけの羽が、ピンとのびていく。

 春、東京都美術館でバルテュス回顧展を見た。その中で注目の作品をひとつあげるならば、《夢見るテレーズ》だ。片膝をたてて長椅子の上に座り、両手を頭の上で組みながら軽く目を閉じ微睡む少女。バルテュスが少女を描いた中では、最もよく知られている作品だ。

 長椅子にのせた足の間から下着が見えるポーズのために、思春期の少女のエロスを描いた、などと言われる事もあるが、とてもその様には見えない。棒の様に細い腕や足は、思春期の女性のふっくらと瑞々しい肢体とは異なり、むしろ子供の体を思わせる。作品のモデルとなった少女は、パリにアトリエを構えていた時の近隣の失業者の娘と言われており、当時まだ13才だった。確かに子供だ。興味深いのはその表情である。眠っているように見えるが、目を閉じて考え事をしているのだとしても頷ける。憂鬱そうに考え事をしているような横顔と、無造作に足を開き、スカートの下を無防備に晒しても気にしない素振りが、大人と子供の入り混じった様相を見せる。太ももあたりをつついたら、「うっさい、ボケ」など愛嬌のある返事が飛んできそうで愛らしい。足元で、周りなど気にする様子もなく皿のミルクを舐めている猫は、無垢な少女の化身にも思える。

 テレーズと対照的なのが、《鏡の中のアリス》だ。上着は無く、ミニスリップ姿で髪をとかしながら肩紐をはずし、片方の豊満な乳房を露にしている。片足を椅子の上にのせ、スリップの裾から、性器を覗かせる。成熟した肢体は、露骨なまでのエロティシズムを醸し出し、異性の目を引くには十分であるが、どこを見ているのかわからない白い目は、素朴な愛らしさを失った無機質な表情だ。

 バルテュスにとって、女性の美しさとは何だったのか。何度も少女のモデルをとっかえひっかえしたのは、子供から大人へと変わって行くその瞬間に美を求めたのだろう。子供ではない、しかし、大人にもなっていない。未成熟だが、これから確実に成長するであろう肉体。その限られた時間の中に女性の美しさを見たのだ。まさに、サナギからはい出たばかりの成虫。わずかの時間の間に、ぷっくりと膨らんだ体から、体液を押し出し、翅脈に満たしていく。翅が伸び切った頃には、体もすっかりとスリムになって、ふわりと空中に飛び出す。アトリエという誰も立ち入る事の出来ない密室の中で、バルテュスは、サナギから成虫へと変わって行く少女をじっと見つめていたのだろう。

 三菱一号館美術館の「バルテュス最後の写真 ―密室の対話」展では、晩年、デッサンが難しくなったバルテュスがポラロイドを使って、モデルの少女を映した写真を展示していた。しなやかに伸びた足、わずかな膨らみを見せる胸。まさに今、蝶となって飛び立たんとする美しさだ。驚いたことに、そのモデルとなった女性もゲストで来館していたという(サイトで紹介)。すっかり大人となったその人は、一目では、同じモデルの女性とはわからなかった。バルテュスが少女に拘った理由やはりそこだったのだ。



2014年10月26日日曜日

「和歌祭・面掛行列の仮面」展
2013年12月7日~2014年1月19日
和歌山県立博物館


 企画展「仮面の諸相―乾武俊氏の収集資料から―」に合わせて行われた常設展。企画展が日本と世界各地の仮面を広く一望する内容なら、こちらは地元の和歌祭の民間仮面に絞った展示で、ぴったり照応していた――と言いたいところだけれど、「常設コーナー」と呼ぶ方がふさわしいほど小さなスペースなのに、呆気にとられるようなインパクトでもって仮面の世界の魅力を増幅していた。
 和歌祭というのは紀州東照宮の祭りで、その中に仮面と仮装で練り歩く面掛行列という行事があるらしい。その祭りで使用されてきた98面のうち、今回は23面が展示された。古い神事面や能面、狂言面、神楽面など貴重なものばかりで、ずらりと並んだ様子はもう壮観。中には天下一友閑など江戸時代前期の超一級面打師の銘を持つ面もある。通常ならお宝として長年手厚く守られている面だ。でもここの面はどれもずっと祭りの中で使われてきており、時の流れがもたらす存在感がひときわ強い。つまり保存状態が良くないのだが、しかも一部はかつて布テープや黄色いペンキで補修されていたという。その事実に唖然とした――いや、もう絶叫しそうになった好事家もきっと大勢いるに違いない。それなのに、同時にその在り方に深い感慨を覚えた。
 このある意味ショッキングな仮面を見て思い出したのは、若桑みどり著『聖母像の到来』で知った長崎県生月島の聖母子像である。隠れキリシタンが厳しい弾圧の下、数百年に渡って納戸の中で守ってきたお掛絵と呼ばれる聖母子像は、元々は宣教師が伝えた西洋カトリック圏の図像だった。しかし古くなると信者の手で描き直される「お洗い」を繰り返したため、次第に日本化され、極度にプリミティブになっていった。絵画の極北のようなその在りよう、その強さが、和歌祭の面と重なって見えたのである。ただしこちらの面にはお掛絵とは真逆の明るさがあるのだが。
 美術工芸品として優れているかどうかや来歴が貴重といった価値観とは別のところで、ある造形物を捨て去ることなく守り継ぐということ、その造形物に人が並々ならぬ何かを仮託するということ。それが遠い古代や未開と言われる地ではなく、近世から現代にかけての日本で行われてきたという事実。他にも事例はたくさんありそうな気がするのだが、虚を衝かれた思いがした。日本的アニミズムの一種というよりは、ここに普遍的な祈りと造型の根源を見て取りたい。
 でもそう言えるのも、今は博物館がこれらの面からペンキやテープを除去し、修復して大切に保存しているという安心感があるからかもしれない。このように同館には和歌祭との関連で面の研究の積み重ねがあり、乾武俊氏が寄贈する仮面にとっても幸福な終の棲家になるのだろう。

                                 egg:神池なお


2014年10月25日土曜日

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
第18回アートフィルム・フェスティバル
2013年12月4日
愛知芸術文化センター アートスペースA


 大野一雄は「手」で踊る。
 《ラ・アルヘンチーナ頌》は、大野が10歳のころ、フラメンコダンサー、アルヘンチーナの来日公演で受けた感銘を50年近くもの後、58歳になって初演した大野の代表作だ。
 彫刻にトルソという形式がある。頭や四肢を欠く胴体だけの彫刻形式をいう。彫刻に元々そうした形式があったわけではない。ギリシャ彫刻やローマ時代の彫刻を発掘したとき、頭や腕などが欠けた状態で掘り出されたものは不完全なものと見なされていた。その後、その欠けた姿が美しいという発見があった。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが修復されないまま展示されているのはそのことも理由のひとつだという。そして、はじめから胴体だけの新作がトルソと呼ばれて制作され始めた。
 一方、絵画の場合はどうか。人物画で当然一番難しいのは顔である。顔がうまく出来れば、あとの胴体などは無造作に画きなぐっても絵になる場合もあるくらいだ。そして、顔以上に難しいのが手である。手は関節が多いこともその理由だが、手の表情が、目以上に「ものを言う」のである。
 大野一雄は、そういう比喩で言うと「手」のダンサーだ。58歳というと一般の人間であれば、とうに働き盛りを過ぎた年齢で、体力や気力、運動神経、柔軟性などは既に下り坂になっているはずである。そうした中で、この代表作を生み出した。手だけで踊り全体を表現したのだ。
 大野は95歳のとき、華道家中川幸夫とのコラボレーションとして「空中散華/花狂」を踊った。中川は20万本ものチューリップの花びらをヘリコプターから撒き、それが雨のように、雪のように舞い落ちる中、大野は踊った。そのとき、大野はもうすでに立ち上げることが出来ないほど体力が衰えており、椅子に座ったまま舞った。それでも素晴らしかったのは、中川のおかげでもあるが、大野が「手」の踊り手であったからに他ならない。

未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)

ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
2013年11月9日(土)~12月23日(月)
名古屋市美術館


 夜空に輝く星の姿。それは遥か昔にある一点から放たれた光が、今ここに届く瞬間瞬間の残像である。たとえ今もうその星が存在していなかったとしても、光は届き続ける。私たちは未来から、その痕跡を眺める目撃者であるとも言えるのだ。
 戦後の日本、1960年代の社会において、際立った活動を展開した前衛芸術家のグループがある。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名を中心とする「ハイレッド・センター」だ。街中でゲリラ的に展開された「山の手線のフェスティバル」「首都圏清掃整理促進運動」等の「直接行動」と呼ばれるパフォーマンスを通し、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで「日常」を「撹拌」しようと試みたという彼らの活動の全貌を紹介すべく、内容を詳細に追った展覧会「直接行動の軌跡展」が、名古屋市美術館で開催された。
 展示は主に、当時の彼らの活動の様子を記録した写真や資料と、実際に使われたものも含めた彼らの作品を中心に構成されていた。まるでポスターか雑誌の記事のような奇抜なデザインの解説キャプションや、1点で無造作に釘打ちされた作品キャプションといった演出的効果も手伝って、展示を巡っていると、自分自身が事件を追う新聞記者にでもなったかのような昂揚感・面白さがある。それは何よりも、ここで次々と紹介される活動のひとつひとつが今の私たちにとって新鮮であり、また、常識を揺さぶるような小気味よい刺激に満ちているからであろう。
 中でも作品として私の印象に残ったのは、高松次郎の《点》シリーズ、そして会場の最後に数点展示されていた、《影》のシリーズであった。この作品群が、何よりも今回の展覧会の性質を的確に表しているように思えたからだ。それはまさしく、過去のどの時点かで始まった「一点」が動く軌跡と、その痕跡=残像であった。
 《点》シリーズでは、まず水彩で描かれた黒い線と点の集まりが額装され並ぶ。その後、今度は立体として、ラッカーで黒く塗られた針金が絡まり合い、いびつな球状になったものが表れる。そのモチーフは次に「紐」として作品の中に表れ、当時の写真の中にも表れる。また、グレーの塗料でキャンバスに描かれた《影》の一群は、人やモノの影のみを描くことでその宿主―実体-の「不在」を強く意識させるという点で示唆に富んでいる。それまで紹介されてきたハイレッド・センターの活動の数々が、過去のどこかで起こった「点」のひとつひとつであったこと、言い換えればそれらの「影」でしかないことを、ここで私たちは現在に引き戻され、思い知らされるからだ。それは翻って、私たちの信じている「常識」や「日常」といったものもまたこのように儚い、僅かの刺激でも揺るがせにされるような社会の一側面でしかないことをも暗示しているかのように思われた。
 「ハイレッド・センター」という、過去のある一点において放たれた光は、時間を越えて未来の私たちにこのような形で届いた。夜空の星の光のように魅力的なその残像が、今、私たちの心を捉えるその理由はなんだろう。未来に掉さす光の一閃を、私たちはこの展覧会で目撃する。
egg:加々美ふう

2014年10月24日金曜日

★更新情報: 2013年度アートレビュー講座の課題一挙掲載

2013年度のアートレビュー講座「アートレビュー筋トレテーブル」の課題として書いた文章を、すべて掲載しました。「黒田辰秋・田中信行―漆という力」展について受講生全員がレビューを書いた後に、挑戦したものです。

●あいちトリエンナーレ2013(会期:2013年8月10日 ~10月27日)のレビュー等26本

 まとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ。

 ・あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!………計10本
  作品解説プレートを自分で書いてみよう!という課題でした。

 ・レビュー………計16本
  自由課題として書いたレビューです。

●あいちトリエンナーレ以外のレビュー……計15本

 幅広いジャンルや地域の展覧会・イベントのレビューが集まりました。
 開催日が新しい順に並んでいます:

 ・大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
 ・未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)
 ・大西康明『垂直の隙間』
 ・フランシス・ベーコン展 ―マンネリズムを超えて夢のベーコン展へ―
  フランシス・ベーコン展―目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。
  フランシス・ベーコン展
 ・久野利博展
 「まなざし」の邂逅(芝川照吉コレクション展)
 アントニオ・ロペス・ガルシア――ワーク・イン・プログレスとしての写実絵画
 プーシキン美術館展 フランス絵画300年
 森山大道というメディア
 冷静と情熱のあいだ?―フランシス・アリスのメキシコシティ
 円山応挙――江戸期のインスタレーション
 『したいからする・したいようにする』それはアートの原点だと信じる。
 昭和40年代への憧れを表現した屋台インスタレーション

この画面左側の「ラベル」から、レビュアー別、エリア別に表示することもできます。

2014年10月23日木曜日

新たな彫刻の向う先

名和晃平《Faom》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 暗い通路を抜けて、展示場に入る。そこには、漆黒の闇が広がり、中央に白い泡の山が浮かび上がる。床には黒い小さな砂利のようなものが敷き詰められ、固められている。艶消しの黒い塗料が、床と壁、天井の境目を曖昧にし、見る人に、暗闇がどこまでも続いているかの様な錯覚を与える。泡の山は、部屋の中央にある池の上に浮かんでおり、耳を澄ますとブクブクと音が聞こえる。白い泡は、常に作られ、消えていく。その日の気圧などにより、泡の生成と消滅のバランスが変わる事で、山もその姿を変えていく。
 名和晃平が、鑑賞者の為に解説テキストを提供した。
 「絶えず湧き出る小さな泡(Cell=セル)は、次第に寄り集まって液面を覆い尽くし、泡の集合体(Foam=フォーム)として、有機的な構造を自律的に形成してゆく。立ち上がったボリュームは、互いにつながり合い、飽和し、膨らみ続け、時には鈍く萎えてしまって地面に広がる。個々の泡(セル)は、生成と消滅というシンプルなプロセスから逃れることはなく、代謝や循環を支える細胞の本質的な振る舞いと似ている・・・」
 説明を読むと、生物細胞の代謝や循環の概念の様なものを、泡の“彫刻”で表現した様に思えなくもないが、そうではないだろう。以前、インタビューで語った事がある。
 「自分の中の物語を作品化することも試みたが、手応えがなく、逆に何かどんどん狭い方へ、
袋小路に進んでしまう気がした。もうこれはやめようと・・」
 物語やコンセプチュアルな何かを表現するのではなく、彫刻に於けるジャクソン・ポロックのような、新たな表現形式の提示が、自分のやるべき事と考えたのだろう。
 名和作品の特徴のひとつは、新しい表現形式を実現する為の新しい彫刻素材の発掘だ。今回は、Foam-泡の塊だ。これまでにも、ビーズやら、発泡樹脂など様々な素材を扱ってきた。もうひとつは、これら素材が作品全体をどう構成し、どう組み込まれるのか、その基本的な概念の整理だ。構成要素の最小単位を「Cell」と呼び、全体の表現形状との関係を以下の様に説明している。

<構成要素>    <全体>
Picture + Cell   = PixCell
Object ÷(Cell×n) = PixCell [BEADS]
Object ÷(Cell×1) = PixCell [PRISM]
(Cell×∞) = PixCell [LIQUID]
(Cell×n) = AirCell [GLUE]
Void × (Cell×∞)  = Scum [SCUM]
Object ÷(Cell×∞) = Villus [SCUM]

 今回の泡(Foam)の作品については、[LIQUID] 若しくは、[SCUM]の分類になるのだろうか。
これらの彫刻表現を実現する為に、名和は、製作工房-SANDWICHを運営する。ここに様々なエキスパート達を集め、作品を作り上げていく。新たな素材が、作品の製作に活かせるかの実証実験をしたり、大型作品の製作では、今では不可欠となったCAD(コンピュータ支援設計)を活用する。最近の大型作品、韓国チョナン市の「Manifold」や瀬戸内国際芸術祭の「Biota」等は、この工房の人材と技術がなくては実現できないものだ。SANDWICHは、名和の創作活動に必要不可欠なものだ。しかし、この工房を維持する為の代償も大きい。多くの大掛かりな作品を作り続けなければならない、といったジレンマに見舞われる事だ。これまでの作品、ミュージシャン「ゆず」のコンサート向けの「Throne」や、西部百貨店のウィンドディスプレでの「POLYGON」などを見ていると、「消費されるボリューム」の懸念を拭えない。
 今回の「Foam」を見て思ったのは、従来と比べて若干、ローテクなところ。展示室をブラックアウトしたり、泡発生ポンプの音を遮音材で密閉して、静かさを実現するなど、作品クオリティの維持は相変わらずだが、ハイテク感が薄れてきた。泡の塊は、思う様にコントロールできず、日によって形が変わるといったアナログ感が、逆に、これまでにはない面白さを醸し出している。 


子どもに託す「未来の希望」

ヤノベケンジ《サンチャイルド》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 栄地下街からオアシス21を経由する地下通路を通ってきた人々は、愛知芸術文化センターの地下入口を入ると、地上2階までの吹き抜け空間で、ヤノベケンジによる巨大な立像、高さ6.2mの《サンチャイルド》を目にする事になる。黄色の放射能防護服を身に付けた胸にはガイガーカウンターを装着しており、その数値は、ゼロを表示している。左手には脱いだヘルメットを抱え、右手には「小さな太陽」を持ち、顔に傷はあるが上を向き、大きく見開いた目で、未来を見詰めている様だ。来場した家族連れや若いカップル、年配の方々が、《サンチャイルド》を取り囲み、しきりに記念写真を撮っている。彫刻と言うには、いかにも人形っぽい見かけだが、いろんな世代の方々に受け入れられている様だ。ヤノベは、東日本大震災を受け、被災した方々や復興に携わる人々の心に、夢と勇気を与え続けるものとしてこの作品を企画した。2011年10月に最初の像が完成、その後2体追加し、全部で3体製作した。今回展示しているのは、2番目の「No.2」である。
 ヤノベは、子供の頃、大阪万博跡地の近くに住んでいた。残念ながら万博自体は終わっており、ヤノベ少年が目にしたのは、多くの建造物が取り壊された後の廃墟であった。未来都市をイメージして作られた万博建造物が破壊された様は、「未来の廃墟」というイメージを想起させ、それがヤノベの創作活動の原点となった。
 その後、ヤノベは、いまサンチャイルドが着用している放射能防護服「アトムスーツ」を製作。これを自身が着て、アートで社会問題を提起すべく、「アトムスーツ・プロジェクト」を実行に移す事になる。1997年、アトムスーツを着たヤノベは、当時、史上最悪の原発事故を起こした、チェルノブイリを訪れた。そこはまさに「未来の廃墟」だった。事故を起こした原発から半径30kmは、居住禁止区域となっており、街はゴーストタウンと化していた。誰もいない街中の遊園地をはじめ、原発火災の消化に使われたヘリコプターやタンクの墓場を訪ねているうちは良かった。驚いたのは、無人の廃墟であるはずの居住禁止区域に多くの老人が住み着いていた事だ。一時は強制的に退去させられたものの、不慣れな土地では暮らすことが出来ずに、元の地に舞い戻ってきたのだ。その中には、母親に連れられた3才の子供も含まれていた。「サマショール(自発的帰村者)」と呼ばれる人懐こい人々に歓迎される度、自身の表現行為が、如何に薄っぺらなものであったかを思い知らされ、ヘルメットの中の顔は、苦渋で歪むのだった。
 芸文10階にあるヤノベの作品の展示室の入り口には、ひとつの写真が、掛けられている。チェルノブイリの廃墟となった保育園で、人形を手にするアトムスーツ姿のヤノベケンジである。瓦礫が散乱する部屋の壁には、以前、保育園児が描いたであろう小さな太陽の絵がある。これが、《サンチャイルド》の原点である。以後、ヤノベの作品作りは、変化を見せる事になる。シニカルで批評的な製作が、よりポジティブな表現へと変わるのである。そうすることがヤノベにとっての贖罪だったのだ。
 3.11の震災・津波と原発事故に衝撃を受けたヤノベは、今アートに可能なのは前向きなメッセージを発することであると考え、「恥ずかしいほどポジティブ」な作品の構想を練る。《サンチャイルド》の製作である。
 正直、初めて《サンチャイルド》を見た時は、そのあまりに玩具的な表情や作りが、安易な製作態度に思えて、好きにはなれなかった。しかし、ヤノベのこれまでの創作活動や、チェルノブイリでのエピソードを知った時、作品が別のものに見えてきた。ヤノベが、あの保育園で手にした人形の顔が、重なってくる。右手には、子供達が描いた「小さな太陽」、顔のすり傷や絆創膏は厳しい現実と対峙する事を恐れぬ勇気、そして大きく見開いた目は、「未来の希望」。ヘルメットを脱いでも放射能の不安が無い、安全な未来への期待だ。

※参考文献:「ULTRA」「SunChild」「YanobeKenji 1969/2005」「トラやんの大冒険」


egg:多田信行




「生きる意味」を考える

アルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場

  
 名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
 彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できなくなった石巻市の小学校から提供されたもので、反戦詩人・栗原貞子の詩からとられた「生ましめんかな」の文字は、愛知県の小学生によって書かれた。
 この詩は、広島に原爆が投下された夜、地下防空壕に避難していた被爆者のひとりが突然産気づき、赤子を取り出す為に、同じ地下壕内に非難していた1人の産婆が、自らの怪我を省みずに赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。

生ましめんかな   (栗原貞子詩歌集 1946.8)
  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう。
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも

 この詩は、学校の平和学習の時間で取り上げられる事があり、栗原さんもその様な場に参加し、説明をする機会があった。-「『生ましめんかな』は、平和を生むの意味」「『産婆さん』は、平和の日を知らずに死んだ20万人の人々」-
 ここで、A.ジャーの作品の特徴、「イメージの背後にある社会的な関係についての問いかけ」が、始まる。命を賭して新たな生命を送り出した産婆の行為が、3.11後の私たちに問いかけるものは何なのか。地震と津波という自然の猛威の前になす術も無く、一瞬の内に、家族や最愛の人、これまでの人生で築き上げてきた全てを失い、絶望の淵に立っている人に、何を語りかけるのか。
 私は、ビクトール・フランクルの言葉、「どんな人生にも意味がある」を思い出した。ユダヤ人で精神科医だった彼が、ナチスの強制収容所での体験を記録した著書「夜と霧」にある言葉だ。
今も続く仮設住宅での暮しは、被災者の心を蝕み、孤独死の話も珍しくはない。「いったなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな悲惨な人生には何も期待できない」と嘆く。それに対し、フランクルは、それでも「意味はある」と答える。人がなすべきは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」のではなく、困難な状況に直面しながらも「人生から問われている事」に全力で応えていくこと。「誰か」が、「何か」が、あなたを待っているのだと。
 重傷者がひしめく地下室の暗闇の中で、苦痛に呻いていた産婆は、「赤ん坊が生まれる」との言葉で、自分を待つものがいることを知る。彼女は、与えられた使命を果たすべく、全力でぶつかった。自分の人生に届けられた「意味と使命」を全うしたのだ。
 「生ましめんかな」は、生きることがつらい人に対する、「あなたの事を待っている誰かが、あなたによって実現されるのを待っている何かが、きっとある筈」とのメッセージなのだ。


egg:多田信行



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:宮本佳明《福島第一原発神社》

宮本佳明《福島第一原発神社》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 宮本の建築家としての代表作であり自身の建築事務所の《ゼンカイハウス》は過激である。阪神淡路大震災で、神戸市の木造の実家は全壊判定を受けた。普通であれば全て取り壊して建て直すことになる。しかし、そうせずにまるで骨折用のギブスのように鉄骨で補強し、内装も外装も元の木造部分をできるだけ残しリノベーションした。したがって、デザインとしては全く美しくない。畳の部屋から、斜めに貫いている鉄骨が剥き出しで見えるほど異観だ。
 《福島第一原発神社》はそれ以上に過激であり、異様である。宮本は、これを発表すべきかどうか、かなり悩んだという。当然だろう。世間から事故を起こした原発を神としてあがめるのかという批判を受けるかも知れない。
 しかし、崇高なものを礼拝することと、祟(たた)るものを鎮魂することは裏表である。「祟」という文字が共通しているからだけではない。その典型的な例が、菅原道真である。日本最強の怨霊は結局神様となった。人間が生み出した最強の力が人間の制御を超えて暴走する。人々はそれをまるで自然からの祟りとおそれる。「おそれ」も畏怖と畏敬の二重の意味がある。
 原発事故に対する多くの日本人の整理しきれない心情は、「原発」を「神社」にすることを意外にも自然に受け入れるかも知れない。


egg:武藤祐二




あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:丹羽良徳

丹羽良徳
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場、長者町会場、岡崎会場


 丹羽良徳は「へそまがり」である。
 丹羽は、今回のあいちトリエンナーレ2013において複数の作品を展示した。それらは一見何の脈絡もないようにも思えるが、作品に通底する独特の作家像が浮かび上がる。
 《デモ行進を逆走する》は、福島第一原発の事故をきっかけとした反原発デモの中を丹羽がひとり、デモの流れに逆らって歩き進む映像作品。
 《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》は、モスクワの市街で一般市民に対し、レーニンにちなむ物を持っていないか尋ねてまわるもの。中には、怒り出す市民もいる。それでも丹羽は淡々と受け流しながら次の市民に問いかける作品。
 《日本共産党でカール・マルクスの誕生日会をする》。カール・マルクス生誕195年目の誕生日を祝うため、日本共産党名古屋支部に出かけて誕生日会への参加を働きかけるもの。
 《自分の所有物を街で購入する》は、長者町のスーパーマーケット「シモジマ」で自分の所有物をレジに持って行って買うという行為の映像。
 何か流行のような様相も呈する反原発デモ、ソビエト連邦の崩壊によって既に過去の思想となったと思われている共産主義、スーパーマーケットで物を買うという半ば無意識化された日常行動、そうした物事に対し、あまのじゃくな行為を仕掛ける。多くの人々が無批判に自明と考えていることに対し、丹羽はとりあえず逆らってみるわけだ。
 アーティストはカナリアである。多くの人々の同調的行動や熱狂、流行に潜む少量の毒に敏感に反応する。感じないほどの微量であっても、何か危ういと思えば、踏みとどまったり、逆方向に進んだりする。丹羽はわずかな違和感を嗅ぎ取って、世間を撹拌する。
 オウム真理教の事件以来、公共空間が公権力あるいは市民の相互監視という形で管理強化されている。そうした真綿で首を絞められるような閉塞感ただよう現代の空気を、丹羽は切り裂くように世間を挑発する。丹羽は、社会風潮に棹さす孤独な偏屈者なのだ。


egg:武藤祐二



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 円環状に並んだ40台のスピーカーから、トマス・タリスの合唱曲《我、汝の他に望みなし》が流れている。トマス・タリスは16世紀のルネッサンス音楽の作曲家である。メロディ、リズム、ハーモニーという音楽の三大要素のうち、ハーモニーを重視した西洋クラシック音楽の歴史の中でも、特にルネッサンス音楽は音どうしの純粋な響き合いを大切にした時代の音楽である。
 合唱曲は一般的には4声(声部)であり、モーツァルトが二度聴いて楽譜に書き起こしたという伝説がある、バチカン教会の秘曲、グレゴリオ・アレグリ作曲の《ミゼレーレ》でさえ9声部である。40声の音楽を実際に40人が歌うことは極めて困難で、各声部を個別に録音したものをスピーカーから流しているという。
 40声部もあると聴き分けることさえ難しい。個々の旋律やハーモニーが聴こえてくるというよりも、その歌声による空気の振動がまるで羽毛のような柔らかい塊、現代音楽技法のトーン・クラスターのようになって聴く者を包み込み、それが皮膚を通して身体に浸透してくるかのようだ。
 10階に展示されているコーネリア・パーカーの《無限カノン》は金管楽器を円環状に吊り下げている。パーカーの作品は、影は見えるが音は聞こえない。一方、カーディフの作品は、声はすれども姿が見えない。だが、双方とも静かな祈りのような情感によって共鳴しあっている。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》

ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼女の創作の原点は、偶然見つけた航空機事故の写真である。航空機ショーで航空機どうしが接触し爆発する瞬間。その写真に決定的なインスピレーションを受けた。それ以来、ドイツの美術館や韓国の売春宿などの建物を発泡スチロールで原寸大でかたどり、それらが爆破されて四方八方に飛び散る瞬間を再現した作品を制作している。
 今回の作品《ある時点の総体Ⅲ》のモチーフは、名古屋市市政資料館の地下1階に残る留置所独房。かつて長らく裁判所として使用されていたものである。それが旧作と同様、爆破されたようにかたどられている。
 彼女の作品で、真っ先に目を引くのは発泡スチロールの白色である。色彩を消去することにより、特定の建物というよりも普遍性が強調されている。また、氷山も想起させることから、凍結という意味も含まれているのかも知れない。
 市政資料館が裁判所として使われてきた長い時間、独房という退屈な時間、それが凍結し爆破される瞬間。スパンの違う複数の時間が重層している。
 歴史の記憶が濃厚に浸み込んだ市政資料館と、被告人の記憶をたっぷり吸い込んだ独房、それが一気に浄化されるかのように白色化する。様々な時間軸が今この一瞬交錯し、そしてそれが再び違う時間軸で拡散していく。そんなイメージを具現化した作品と言えよう。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:水野里奈《シュヴァルの理想宮を》

水野里奈《シュヴァルの理想宮を》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 9月16日(月)
長者町会場 企画コンペ


 水野の絵画作品の特徴は、平面性にあるが、ただ単に画面上で平面性が強調されているだけではない。そこに奥行があり、正確なイリュージョンが画き出されている。それぞれの色面は舞台空間の垂れ幕のように正面性を伴ったレイヤーをなしており、それが庭に見立てた構図にきっちり収まっている。
 しかも、そのイリュージョンを陰影法や透視図法ではなく、絵の具の塗り重ね方だけで現前させているのだ。それに、それぞれ一筆である。横のブラッシュストロークに縦のそれを重ねたり、地を塗り残したりすることによって、レイヤー間に精緻な距離を表出させている。それはオーソドクスな絵画空間とも言えるが、その印象は鮮烈である。
 タイトルになっている「シュヴァルの理想宮」は、最も有名なアウトサイダーアートのひとつである。フランスの郵便配達人シュヴァルは、配達途中で拾った小石などを33年間かけて大量に積み重ね、自分ひとりで宮殿のような建造物を1912年に完成させた。
 小物を収集する水野と小石を集めたシュヴァルの行為は近しい。シュヴァルは積み重ねた小石類を宮殿に見立てたが、彼女は小物類を配し宮廷風の庭に模し、更にそれを絵画へ投射した。今回、絵画作品の横に実際にモチーフの小物類が設置されることにより、それと彼女の絵画のレイヤー的な平面性とが対比される展示となっていた。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》

トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼がいつも使う素材は、日常にありふれた安物の材料や日用品である。この《涙の回復室》でも、ガムテープ、アルミホイル、ビニール、段ボール、ブルーシート、日曜大工用の華奢な木材などが用いられている。そして、常に作りが雑だ。特にガムテープなどは、わざと不器用に貼っているのではないかと思えるほど無造作である。
 しかも素材がむき出しなので、何を象ったのかわからない。全体的には野戦病院の手術室のような感じがするが、アルミホイルの長い管状の物や玉状の物、段ボールの敷物状の物が何を意味するのかは不明瞭である。
 しかし、何か大変な事態が起こり、その緊急対応のため、あり合せの物で準備したような印象だけは漂う。ただし、その大事件、大事故が何なのかを想像する手がかりはない。《涙の回復室》という題名から、何か極めて悲惨な出来事が起こり、その心の傷を癒すための場所と推察できるのみである。
 乱雑な造作は、その作品のイメージの抽象度、多義性を高める。解釈は最大限、観者に委ねられている。ただし、作者は、何か大きな出来事を記憶するためのモニュメンタルなものとは違ったものを示そうとしていることだけは確かだ。我々は、何かを強く記憶にとどめようとするとき、往々に記念碑を作りがちだ。記念碑は頑丈だが、威圧的で押し付けがましい。それに対し、ヒルシュホルンの作品は、あまりにも安っぽく粗雑で脆弱だからこそ、かえって心に深く沁み入るのだ。
 《涙の回復室》は再制作である。この作品は、何度も繰り返し様々な場所に仮設されることで、世界のどこかで絶え間なく起こる様々な災厄から我々の心を、時間をかけてゆっくりと回復させる効用を持っている。