2014年11月20日木曜日

山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法」を見て

山田純嗣展「絵画をめぐって―理想郷と三遠法―」
一宮市三岸節子記念美術館
2014年7月19日~8月17日

 この展覧会を反芻していたら、子どもの頃見たアニメ「魔法使いサリー」を思い出した。サリーが樋口一葉の『たけくらべ』を読んで熱中するあまり、小説の世界に入ってしまうエピソードだ。サリーちゃんが現実に戻れなくなったらどうしようと心配しつつも、架空の世界に入っていく物語にたまらなく魅了された。そういえば山田純嗣は、創作の原点の一つとして、キン肉マン消しゴム(キン消し)を使って空想する遊びに熱中した子どもの頃の経験を挙げている。
 今回作家が発表したのは、ここ数年取り組んできた東洋西洋の名画をモチーフとする一連の仕事を、さらに追求した作品。会場には白い壁に白を基調としたパネルが並び、思わず「きれい」という言葉が浮ぶ。描かれているのは雪舟の《天橋立》やミレイの《オフィーリア》、モネの睡蓮シリーズなどで、どれもなじみ深い。
 でもよく見るとそんなに単純ではないのだ。画面内に奇妙な立体感があって独特の奥行きを感じさせる一方、表面には文様や草花、生き物などが白く細い線でびっしり描かれている。画面内に三次元の生きた世界があるようで、思わず吸い込まれそうになるが、危ないところで表面の装飾的な線に押し留められるような気がする。
 いったいどうなっているのかと思わずにはいられないその制作方法は、まずモチーフを石膏で立体物として作り、それを写真に撮影し、その上に銅版画を重ね、さらに部分的に絵を描いてから樹脂でコーティングするという。でもその工程を確認してから改めて作品を見ても、ますます謎めくばかり。二次元が三次元に、そしてまた二次元に……?
 インスタレーション作品がさらに謎を深めている。これまでの平面作品の中で使われた様々な石膏の立体物による、ミニチュアの白い世界。それらを二次元の図像(山田の作品、さらにその基になった名画)として見た記憶が蘇り、同時にその図像から無意識に思い描いていた三次元世界が呼び覚まされる。そして目の前の立体物。同じモチーフがいくつものイメージの層となって重なったり離れたりするうちに、意識が混濁していくかのようだ。
 私は去年、山田が以前からモチーフにしている中世ヨーロッパのタピスリー『貴婦人と一角獣』(1)のオリジナルを見たとき、山田の作品が自分に大きく影響していることに気づいてハッとした。細密に表現された草花や衣装が遠近法を用いずに配された、夢の中のようなタピスリーの絵画空間に、前述したイメージの層を重ねていたのだ。それは二次元とも三次元とも、現実とも仮想とも言い難いリアリティを生み、混濁が覚醒に転じた思いだった。その状態で直後に飛び込んだアンドレアス・グルスキー展(2)では、現代写真と中世の表現が完全に地続きに見え、その面白さといったらなかった。その時考えていたのは、人と視覚的イメージをめぐるあれこれだ。人はどのように物を見ているのか? 人がイメージを作り出し、それを造形物として表現するってどういうこと? そしてそのリアリティとは?
 山田は今回、平面性を特徴とするモネの睡蓮シリーズやポロックのドリッピング絵画にまで題材の幅を広げた。今までどおり「立体化」というプロセスを踏んで。これらを見た経験は、今後私にどう影響するのだろう。また、これまで作品のいわゆる「美しさ」の後ろに潜んでいた、イメージをめぐる思考への作家の貪欲さ、絵画世界に対する追求の際限の無さが露わになり、これからの展開にますます興味を引かれる。
こうした関心は決してアートの世界のマニアックな話に留まらないはずだ。会場のインスタレーションの前では小さな男の子が座り込み、じっと見入っていた。キン消しで遊んでいた頃の作家もこんな風だったのだろうか。

(1) 国立新美術館「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣」展(会期:2013年4月24日~7月15日)
(2) 国立新美術館「アンドレアス・グルスキー」展(会期:2013年7月3日~9月16日)

                                         egg:神池なお


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