2014年11月17日月曜日

挑戦する日本画展

挑戦する日本画展―「日本画滅亡論」を超えて 1950~70年代の画家たち
2014年7月5日~8月24日

@名古屋市美術館

 静寂の中、和室でじっくりと鑑賞するために描かれる花鳥風月。というのが、私の「日本画」に対するイメージだ。理想的に美しいものしか描かれていない。もちろん、風神雷神などの荒々しい神々が描かれた襖や、柳の下に女が不気味に立っている掛け軸などがあるのは知っている。しかしそこには、たとえ恐ろしくても、伝統的な様式美を感じることができる。それゆえ今回、『挑戦する日本画展』で目にした「日本画」はとても新鮮だった。私が第二次世界大戦後の日本画を知らないからだ。
 私は日本画家を多く知らない。美術の教科書などでなんとなく名前を知っている画家が何人かいるくらいで、その中でも作品と作者を一致して記憶している自信もない。その程度の知識しか持たない者にとって、50名の「日本画家」の作品を一挙に目にできる機会はとても貴重だった。しかも、私の知っているような作家がフューチャーされ展示の大部分を占めるのではなく、「日本画」の名の下、知名度の高低なくほぼ平等に扱われていたことに、「日本画は数人の作家が作り上げたものではない」という企画者の意図が感じられた。並んでいる作品も、現実社会の等身大の人物や、概念的で抽象化された模様、自己の内面を表出したようなものが多く、私のイメージしていた襖や掛け軸はなかった。「激動する日本社会の現実に対応できない「近代の日本画」に対する批判として「日本画滅亡論」が登場しました。その逆風の中で、意欲的な日本画家たちは(中略)「日本画」の革新に取り組みました」とチラシにあるように、日本画は生き残るために挑戦し、進化を遂げたのだと思う。
 しかしこうなってくると、西洋画とは何が異なるのか、という疑問が湧いてくる。「日本古来の伝統を継承する絵画の総称」(チラシより)を「日本画」とするならば、西洋画との違いは使っている画材の違いだけになってしまわないだろうか。なにを描いているから、これらの作品が「日本画」という分野に収まっているのだろうか。「日本画」という“ジャンル”を受け取る側もしっかりと定義しなければ、その「挑戦」はぼんやりとしてしまう。
 近年、“コラボレーション”という言葉をはじめ、“ジャンルを越えた表現”などの紹介文を目にすることが多く、新しい何かをみることができるというだけで惹かれてしまう。しかし、その1つ1つのジャンルにおける他のジャンルにない特化した要素、それに至る歴史など、はたして私は知っているのだろうか。なにがどのように新しく、どの部分が重なり合い複合的なのかを判断できているのだろうか。何か重要なものを取りこぼしていそうである。新しい表現を求めることも重要だが、1つ1つの歴史や伝統に目を向けなければいけないことを痛感した展覧会だった。



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