2014年11月23日日曜日

現代アートと能楽と ―能面と能装束展

能面と能装束――みる・しる・くらべる――
2014年7月24日~9月21日
三井記念美術館

 「お能?高尚過ぎてちょっと……」「お経みたいなアレ?」「100%寝る自信がある」―――私はここ数年能楽にはまっているが、周囲の反応は大体そんなところである。文楽や歌舞伎など他の日本の伝統芸能と比べ、誘った相手のテンションは格段に低い。「お囃子がロックなジョン・ケージなんだよ!」などと力説しても、返ってくるのは生返事ばかり。
 そんな能のイメージを払拭する展覧会が三井記念美術館で開かれている。能面と能装束の二本立て、つまり芸能である能楽の生身の部分(演者と実際の上演)と文学性を除き、造形と意匠に焦点を当てたものだ。能面は15点中14点が重要文化財で、金剛流宗家旧蔵の名品を大公開している。
 まず目を奪われるのが、洗練された展示方法だ。奥に長い展示室に入ると、暗い室内にスポット照明で照らされた能面が点々と並んでこちらを向いている。一点一点ガラスケースに入れられ目線の高さに展示されており、面(おもて)が宙に浮かんでいるかのよう。現代美術のインスタレーションのようである。
 展示は呪術性の強い翁面から始まり、尉、鬼神、男面、女面と続き、その多様さ、表情の豊かさを見せていく。無表情なことを「能面のような」と最初に形容したのは一体誰なんだ。そして最初の展示室最奥で一つのクライマックスを迎える。室町時代の女面《孫次郎(おもかげ)》である。
 その面は美しい成熟した女性を演じるための道具として一つの類型となるべく、他の多くの女面同様、抽象の二歩手前くらいまで抑制された造形表現が用いられている。だがよく見ると、モデルとなった女性の癖だろうか? 少しだけ口を歪めて微笑んでいる。やや悪戯っぽいその笑みは、作り手とその女性との親密な関係故なのか? 孫次郎という能役者が若くして亡くなった妻の面影を偲んで打ったという伝承が腹に落ちる。見るほどに、現実に生きた女性の存在を想像させずにはいられないリアリティと個性が浮かび上がっては、抑制された造形に押し戻されて波のように引いていく。写実と抽象の均衡が破れる瞬間と、それが去った後の静けさに魅入られて、いつまでもこの面の前から離れがたかった。
 元々美術ファンである私から見て、能楽はミニマルな舞台セットや演者の動きが見る者の想像力を喚起し、提示される表現を鑑賞者が大きく補うことで成り立つ点が魅力の一つだ。今回の《おもかげ》との対面も同じで、それは知覚をフル稼働して現代美術作品を体験する楽しみとよく似ている。
 しかも600年以上前に成立したこの芸能は、現代の目には突拍子もない新しさも併せ持つ。例えば音楽の面で言えば、無音状態の「間」を無という音として使う。それを知ったとき、ジョン・ケージか!と思わず叫んだが、いやいや、能楽が遙か昔からやっていることなのだ。そうした能の「新しさ」は難解さとして捉えられがちだが、紐解けば単に、自分が西洋近代の基準で考えていただけだったということに気づかされることがままある。能面に話しを戻すと、2012年の愛知県美術館「魔術/美術」展で冒頭に増女の面が展示されたのが今も記憶に新しい。時代や様式の区分を取り払って美術における非合理の要素を紹介したあの展覧会で、《おもかげ》同様高度に洗練されていながら魅入られると取り返しがつかなくなりそうな呪術性を湛えた面によって、一気にその企画テーマの世界に引きずり込まれた。能を過去の遺物と決めつけるのは、近代以降の枠組みで言う新しさやユニークさに囚われていることの裏返しかもしれない。それをやめれば、世界は一層面白くなる。過去は未来と同じくらい未知の存在だとつくづく思う。週末は能楽堂へ行こう。
                                                                       egg: 神池なお






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