ラベル by 多田信行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル by 多田信行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年5月16日土曜日

米山和子の「つむぐけしき」

米山和子・祖父江加代子 「つむぐけしき よむこころ」
2014年10月18日~12月14日
古川美術館分館為三郎記念館


 名古屋市内の幹線沿いから少し奥に入ったところにある、古川美術館の分館為三郎記念館は、実業家で美術コレクターの故・古川為三郎氏が、晩年を過ごした邸宅を美術館の分館として公開したものです。椎の木が繁る庭園に囲まれた、築80年になる数寄屋造りの「爲春亭(いしゅんてい)」では、米山和子と祖父江加代子の《つむぐけしきよむこころ》展が、お客様の為の憩いの場を作ります。
中庭を望む「間想の間」では、米山さんの手漉き和紙による白い女性立像作品「いろはなく」が、赤い壁と対比を成してたたずみます。肩から胸にかけては、和紙を水で解いてから再び固めた羅(うすもの)にして、柔らかな肌を思わせる曲面に仕上げ、左の肩紐から足元までのドレス部分は、しっかりした和紙で女性像を自立させます。頭や腕がない事で生々しさが消えた像は、一層、和紙の清楚な白さを際立たせ、和室を静寂な空間へと変えています。
「爲春亭」の中の茶室「太郎庵」には、地面にたまった水の流れを表現した作品「にわたづみ」があります。雪見障子からの眺めには見えてきませんが、庭の奥に小さな滝があり、そこからの流れが、太郎庵の近くまで届きます。米山さんは、その流れを部屋いっぱいに表現しました。床の間の掛軸から、湧き出る様に流れる小さな滝、そこから広がる滑らかな流れや波打つ水の表面を和紙で形づくり、まるで、庭にある水の流れを部屋の中に持ち込んだかの様です。
手漉き和紙は、原料となる楮(こうぞ)の皮を剥ぎ、蒸して、乾燥させ、それを煮て漉く、等の多くの工程を経て作られます。米山さんは、そうした工程を遡り、一旦水に着けて繊維の絡みを解いた後、新たな立体造形へと変容させます。どちらの作品も、非常に薄い和紙にもかかわらずボリュームが感じられます。和紙という素材にこだわり、その特性を知り尽くした作品作りが、米山さんの持味です。
素材という点で異なる作品が、「こめのゆめ」です。爲春亭の中では最も庭の眺めの良い「大桐の間」を使った作品の素材は、私たちが毎日食べているご飯粒で、それを絹糸に通し乾燥させますと、白く半透明になり、淡く光を反射する粒の連なりになります。二間続きの部屋の一方の床の間から、反対側の部屋の天井までを結んだ数十本のご飯粒の糸は、白い光の粒が織りなす曲線となって空間を満たします。部屋の間に、山並みを形どった欄間があり、床の間を起点とし反対側の天井へとのびるこめの糸は、谷合をながれる風を見ている様です。この作品の面白さは、ご飯粒の重さで絹糸が描く懸垂線の吊り橋のようなダイナミックさと安定感、そして白い光の粒の連なりの美しさだけではありません。毎日の食事時に見る小さなご飯粒が、空間を全く別のものに変えてしまう事に目を奪われるのでしょう。
米山さんは、「素材に心を添わせ耳をすますこと」が大事だと言います。日本人が愛してやまない手漉き和紙、お米という素材の特性を熟知し、それを活かした心象風景の表現が、見る人の共感を呼ぶのです。
「爲春亭」の玄関の上り框のところに、厚い松板が2枚寝かせてあります。これは、和紙を漉いた後、この上に広げて乾かす為の「紙板」で、300年程使い続けられていたものだそうです。楮の繊維が浸み込み、うっすらと白ずんだ表面に、紙を切り抜いて作られた和歌が、貼り付けられています。
あしひきの 山あいにふれる しらゆきは すれる衣の ここちこそすれ
となりの紙板には、中央を絹糸で持ち上げられた横長の和紙が張り付いており、この歌から感じた景色を、形で表現しているようでもあり、板から紙を剥がす仕草のようでもあります。米山さんの和紙に対する愛着が感じられる一品です。


2014年12月21日日曜日

森下真樹×束芋 《錆からでた実》

森下真樹×束芋 《錆からでた実》
2014年11月8,9日
京都芸術劇場 春秋座


 
 森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)のコラボによる、コンテンポラリーダンス作品《錆からでた実》の公演が、京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場・春秋座で行われた。振付は森下、舞台美術は束芋、構想はふたりで行い、ダンサーは、きたまり、川村美紀子と森下の3名だ。初演は、昨年、東京の青山円形劇場だが、舞台構造がかなり異なっていたので、今回に向けて若干の作品修正もあったようだ。
 森下は、これまで映像を作品の中に取り込んだ事はなかったが、束芋とは、年齢や家族構成(3姉妹)等が同じことから交流が始まり、映像を入れた舞台に挑戦するに至った。束芋も振付家とのコラボは2回経験しているものの、従来作品のアレンジに留まっており、構想からつくり始めるのは今回が初めてだ。また、ダンサーの2人は、共にコレオグラフィーや横浜ダンスコレクション等の受賞者というこの個性派集団。森下はどの様にまとめ上げるのか。《錆からでた実》は、全てがチャレンジなのだ。
 公演の開始早々、カーテンが上がり始めると、3人のダンサーの足だけが見える高さで止まる。足だけを見せるダンスが始まる。しかしカーテンの上には、ダンサーの上半身に見える映像が映し出されており、本当の人影であるかの様に足元と連動した動きを見せる。後半部分でも、映像が映った背景の後ろにダンサーが入ると、その映像の中に人影が映し出され、まるで人が動き回っている様に見える。この様に映像が、ダンスと密接な関係で制作されているのは、あまり例が無いと言ってもいいだろう。
 映像は、通常、ダンスを引き立たせる役目になるが、束芋の場合、ひとつの作品として成立する程の強烈な個性と完成度を持っている為に、ダンスそれ自体を飲み込んでしまう危険性も孕んでいる。舞台を見ていると、激しく踊るダンサーに目が釘づけになっていたり、鮮やかな映像に目を奪われたりと、ダンスと映像の間を視線が行きつ戻りつしているのに気づく。だが、3人のダンサーのパワー溢れる動きの前では、心配は無用であった。むしろ、束芋の映像の持つ存在感が、ダンスと激しくぶつかり合う事で、作品全体の熱気を倍増させる事になった。
ダンサー3人は、まるで3姉妹だ。3人の群舞を見ていると、長女(森下)の振付で、要領良しの次女(きたまり)とやんちゃな三女(川村)をうまくまとめ上げている様に見える。この長女なしでは、これだけ個性の強い人の集りを制御できないのではと思わせる。ダンスは、群舞とソロの両方が演じられ、ソロの時は、それぞれのダンサーにかなり自由度が与えられていた様だ。川村などは、いつもの激しい動きが戻り、舞台狭しとばかりにパフォーマンスを見せつける。遂には、舞台下の観客席前のスペースで踊り出すほどで、殆ど暴走と表現してもよいかもしれない。しかし、これも森下の振付の想定内の事なのだろう。計算された動きの群舞と自由奔放なソロが、対比をなして、重層的なパフォーマンスとなっている。
 この作品のタイトル《錆からでた実》は、何やら奇妙な言い方だ。その意味するところは、「身から出た錆」の『錆より更にその先に、実がある』(苦しんだからこそ、その先に何かがある)という希望なのだそうだ。公演を見た限り、彼女達は確実に、いくつもの実りを収穫したと言える。




2014年11月18日火曜日

札幌国際芸術祭 宮永愛子 《そらみみみそら》

宮永愛子 《そらみみみそら》
札幌国際芸術祭
2014719日~928
札幌芸術の森美術館

 以前、宮永さんの作品を拝見した事があります。長い透明なアクリルのケースの中に、白いナフタリンで作られた時計、ハイヒール、コーヒーカップ等が置かれていました。それらナフタリンのオブジェは、時間の経過と共に徐々に形が崩れていきます。昇華という物理現象が、固体状態にあるものを気体へと変えるのです。短い時間でその変化を目にする事は出来ませんが、1日という時間のスケールで見れば、形あるものが、その姿を失っていく様子がよくわかります。同時に、アクリルケースの内側には、ナフタリンが白い雪の様な結晶として、再び姿を現します。気化と再結晶化を繰り返す様は、時間の流れを感じさせてくれました。

 今年、夏も盛りの頃、札幌国際芸術祭のメイン会場のひとつで、札幌郊外にある芸術の森美術館を訪問しました。そこに展示されていたのが、宮永愛子さんの作品。今回は、以前(2005年)の作品《そらみみみそら》の発展形だそうで、説明では、「サウンド・インスタレーション」。陶器の底に塗られた釉薬の割れ-「貫入」-の音を聞かせる作品です。

 展示室に入ると、中央に置かれた大きなトロッコが目を引きます。その赤錆だらけのトロッコを取り囲む様に、白い陶器がぐるりと並べられている。宮永さんは、この作品の構想を練っていた時、美術館の隣を流れる豊平川の話を聞いたそうです。川を遡って行くと、古い鉱山跡にたどり着く。更にその地下深くに、鉱物を採掘した後の大きな空洞があり、地下からの湧水や地面からしみ込んだ水が溜まった地底湖の様なところがありました。豊平川の水源のひとつであるこの地下水を、陶器の釉薬に混ぜて使用したそうです。展示室のトロッコも、この鉱山で使用されていたのでしょう。

 「貫入」による音とは、どのようなものでしょうか。一般に陶器は、粘土の素焼のままでは、水を吸収しやすいため、表面に釉薬を塗った後に焼く事で、表面をガラス質で覆う事が出来ます。「貫入」とは、このガラス質の釉薬が、陶器素地との収縮率の違いにより、冷えて行く時、割れ(またはひび)が発生する事です。窯から出した直後の陶器は、急な温度の低下の為に、「貫入音」が賑やかに聞こえると言います。

 今回の展示の陶器は、窯から出してだいぶ時間が経過しているので、頻繁に貫入音が聞こえるわけではありません。陶器の底に釉薬が溜まり、少し厚いガラス質の層が出来ています。宮永さんは、釉薬の調合により、この貫入が、時間を経過した後も、断続的に発生する様にしました。つまり、陶器を置いておくだけで、自然と「貫入音」が鳴るわけです。

 実際に、作品に聞き耳を立てていたのですが、よくわかりません。定期的に、例えば、3分毎に発生させる、と言ったところまでコントロールは、出来ていない様です。鑑賞者は、いつどんな音が聞こえるか、わからないままじっと静かに作品を見つめ続けます。

   「チン!」

突然、小さな音ですが、確かに聞こえました。ガラス質のものが割れるならば、「パリッ」の様な音を想像していたので、意外でした。フライパンの底をナプキンで包んだスプーンで軽く叩いた様な、硬質な響きでした。

 陶器は、何も変わらない不動の固体の様に見えますが、実は変化し続けているのだという事を、「貫入」という現象が教えてくれます。土と釉薬(ガラス)の収縮率の違いが、両者の間に緊張のエネルギーを生み、ある時その均衡が崩れ、亀裂が生じます。人の目には見えない、均衡と崩壊の繰り返し。宮永愛子の作品は、私たちの住むこの世界では、永遠に不変のものなど無く、時間の流れの中で全ての事象は変わり続けている事を教えてくれます。

                                egg:多田信行



x

2014年11月10日月曜日

藤原泰佑 展 《Re:Born》

藤原泰佑 展 《Re:Born》
2014年6月22日(日)~7月20日(日)
ギャラリーM
 
 以前から気になっていた藤原泰佑の個展。風邪にめげず、オープニングパーティには行くべきだった。
 春に行われた、同ギャラリーでの作家6人展を見て以来、藤原さんの異形ともいえる構築物を描いた作品は、若手作家の中でも異彩を放ち、脳裏に焼付いたままでした。その奇妙なものは、10階建以上のビルディングに相当する大きさだけれど、きちんと設計・施工されたわけではなく、レトロな看板の商店や古い家屋を無造作に積み上げたようなものです。「松崎商店」「○田ふとん店」等の商店名、「ブリジストン」や「ナショナル」などのよく知られた商標の看板も見える。まるでモクモクと湧き出た積乱雲が、建築物の姿を借りて地上にデンとそびえ立つ様な、周りを圧倒する程の存在感を醸し出しています。
 顔を近づけて絵の詳細を見れば、個々の家は、必ずしも完全な形を保っているわけでなく、半分くらいが薄く消えているものさえあることがわかります。藤原さんは、実在する商店や家屋をカメラで撮り、パソコン上で画像を重ね合わせました。あるものは商店全体を、またあるものはシャッター部分だけ、屋根の部分だけ、どこかわからない家の一部分を、コラージュの様に画像データを張り合わせ、その後、それらの上に油彩などで彩色を施しました。看板の派手な色と大きな文字、壁のくすんだ灰色、実際とは異なるであろう原色に近い彩色等が渾然一体となって、その構築物の持つ猥雑なエネルギーを表現しているようです。
 藤原さんは、東北(山形県)在住で、2013年に東北芸術工科大学大学院を出たばかりの若い作家です。同大学には、教授として美術家の三瀬夏之介さんがいます。三瀬さんといえば、「東北画は可能か?」という共同制作・展覧会活動を思い出します。その活動とは何か、サイトの説明によると、
「東北という辺境において、その地域名を冠にした絵画の成立の可能性を探る試みである。『東北』と一括りにされた風土、価値観に対するローカル地域からの逆襲でもある」 
とあります。
藤原さんも学生時代に、「東北画は可能か?」の活動に参加していたようで、その頃から、地方のあり様に関心があったのでしょう。彼のインタビュー記事には、「もともとあった地域の商店街のエネルギーは、大きなビルに収まり切れないくらい大きい」「この商店街のエネルギーを、消えゆく前に描こうとおもいました」とも言っています。
 なる程、赤黄緑等の原色による彩色は、エネルギッシュな感じで、都市の雑踏の、猥雑ではあるが活気に満ちた雰囲気を想起させます。しかし、その原色のペンキの汚れや、家屋の壁の剥がれ、閉じられた雨戸を見ると、私はどうしても、地方のシャッター街を思い出さずにはいられません。昔、私が子供の頃住んでいた田舎町では、「ナショナル」の看板を掲げた電気屋は、夢と活気の象徴でした。でも今は衰退の象徴です。藤原さんも、きっと同じ思いなのでしょう。活気溢れる商店街を思い起こしながら、地方再生の願いも込めて「Re:Born」というタイトルにしたのだろうと思います。が、描いたものは、悲しいまでに未来を失った街の残骸にも見えます。
 藤原さんが描いているのは、かつての街の、燃え上がる様なエネルギーの残渣なのか、再生に向けた旗印なのか、そんなお話をお聞きしたいと思っていたのですが。
              
                            egg:多田信行

2014年11月9日日曜日

夢見るテレーズ

バルテュス 《夢見るテレーズ》
2014年4月19日6月22日
東京都美術館

 蝶は、サナギから成虫へと羽化する時、短時間でその体を変える。サナギの背中に出来たひとすじの割れ目から、成虫が顔をだす。太い体に小さく縮んだ翅(はね)。もそもそと這い出して、サナギの殻の近くの枝にとまってじっとする。小さく折りたたまれた翅が、徐々に広がっていく。翅の中には、翅脈(しみゃく)があって、体液がそこに流れ込む事で、やわらかな皺だらけの羽が、ピンとのびていく。

 春、東京都美術館でバルテュス回顧展を見た。その中で注目の作品をひとつあげるならば、《夢見るテレーズ》だ。片膝をたてて長椅子の上に座り、両手を頭の上で組みながら軽く目を閉じ微睡む少女。バルテュスが少女を描いた中では、最もよく知られている作品だ。

 長椅子にのせた足の間から下着が見えるポーズのために、思春期の少女のエロスを描いた、などと言われる事もあるが、とてもその様には見えない。棒の様に細い腕や足は、思春期の女性のふっくらと瑞々しい肢体とは異なり、むしろ子供の体を思わせる。作品のモデルとなった少女は、パリにアトリエを構えていた時の近隣の失業者の娘と言われており、当時まだ13才だった。確かに子供だ。興味深いのはその表情である。眠っているように見えるが、目を閉じて考え事をしているのだとしても頷ける。憂鬱そうに考え事をしているような横顔と、無造作に足を開き、スカートの下を無防備に晒しても気にしない素振りが、大人と子供の入り混じった様相を見せる。太ももあたりをつついたら、「うっさい、ボケ」など愛嬌のある返事が飛んできそうで愛らしい。足元で、周りなど気にする様子もなく皿のミルクを舐めている猫は、無垢な少女の化身にも思える。

 テレーズと対照的なのが、《鏡の中のアリス》だ。上着は無く、ミニスリップ姿で髪をとかしながら肩紐をはずし、片方の豊満な乳房を露にしている。片足を椅子の上にのせ、スリップの裾から、性器を覗かせる。成熟した肢体は、露骨なまでのエロティシズムを醸し出し、異性の目を引くには十分であるが、どこを見ているのかわからない白い目は、素朴な愛らしさを失った無機質な表情だ。

 バルテュスにとって、女性の美しさとは何だったのか。何度も少女のモデルをとっかえひっかえしたのは、子供から大人へと変わって行くその瞬間に美を求めたのだろう。子供ではない、しかし、大人にもなっていない。未成熟だが、これから確実に成長するであろう肉体。その限られた時間の中に女性の美しさを見たのだ。まさに、サナギからはい出たばかりの成虫。わずかの時間の間に、ぷっくりと膨らんだ体から、体液を押し出し、翅脈に満たしていく。翅が伸び切った頃には、体もすっかりとスリムになって、ふわりと空中に飛び出す。アトリエという誰も立ち入る事の出来ない密室の中で、バルテュスは、サナギから成虫へと変わって行く少女をじっと見つめていたのだろう。

 三菱一号館美術館の「バルテュス最後の写真 ―密室の対話」展では、晩年、デッサンが難しくなったバルテュスがポラロイドを使って、モデルの少女を映した写真を展示していた。しなやかに伸びた足、わずかな膨らみを見せる胸。まさに今、蝶となって飛び立たんとする美しさだ。驚いたことに、そのモデルとなった女性もゲストで来館していたという(サイトで紹介)。すっかり大人となったその人は、一目では、同じモデルの女性とはわからなかった。バルテュスが少女に拘った理由やはりそこだったのだ。



2014年10月23日木曜日

新たな彫刻の向う先

名和晃平《Faom》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 暗い通路を抜けて、展示場に入る。そこには、漆黒の闇が広がり、中央に白い泡の山が浮かび上がる。床には黒い小さな砂利のようなものが敷き詰められ、固められている。艶消しの黒い塗料が、床と壁、天井の境目を曖昧にし、見る人に、暗闇がどこまでも続いているかの様な錯覚を与える。泡の山は、部屋の中央にある池の上に浮かんでおり、耳を澄ますとブクブクと音が聞こえる。白い泡は、常に作られ、消えていく。その日の気圧などにより、泡の生成と消滅のバランスが変わる事で、山もその姿を変えていく。
 名和晃平が、鑑賞者の為に解説テキストを提供した。
 「絶えず湧き出る小さな泡(Cell=セル)は、次第に寄り集まって液面を覆い尽くし、泡の集合体(Foam=フォーム)として、有機的な構造を自律的に形成してゆく。立ち上がったボリュームは、互いにつながり合い、飽和し、膨らみ続け、時には鈍く萎えてしまって地面に広がる。個々の泡(セル)は、生成と消滅というシンプルなプロセスから逃れることはなく、代謝や循環を支える細胞の本質的な振る舞いと似ている・・・」
 説明を読むと、生物細胞の代謝や循環の概念の様なものを、泡の“彫刻”で表現した様に思えなくもないが、そうではないだろう。以前、インタビューで語った事がある。
 「自分の中の物語を作品化することも試みたが、手応えがなく、逆に何かどんどん狭い方へ、
袋小路に進んでしまう気がした。もうこれはやめようと・・」
 物語やコンセプチュアルな何かを表現するのではなく、彫刻に於けるジャクソン・ポロックのような、新たな表現形式の提示が、自分のやるべき事と考えたのだろう。
 名和作品の特徴のひとつは、新しい表現形式を実現する為の新しい彫刻素材の発掘だ。今回は、Foam-泡の塊だ。これまでにも、ビーズやら、発泡樹脂など様々な素材を扱ってきた。もうひとつは、これら素材が作品全体をどう構成し、どう組み込まれるのか、その基本的な概念の整理だ。構成要素の最小単位を「Cell」と呼び、全体の表現形状との関係を以下の様に説明している。

<構成要素>    <全体>
Picture + Cell   = PixCell
Object ÷(Cell×n) = PixCell [BEADS]
Object ÷(Cell×1) = PixCell [PRISM]
(Cell×∞) = PixCell [LIQUID]
(Cell×n) = AirCell [GLUE]
Void × (Cell×∞)  = Scum [SCUM]
Object ÷(Cell×∞) = Villus [SCUM]

 今回の泡(Foam)の作品については、[LIQUID] 若しくは、[SCUM]の分類になるのだろうか。
これらの彫刻表現を実現する為に、名和は、製作工房-SANDWICHを運営する。ここに様々なエキスパート達を集め、作品を作り上げていく。新たな素材が、作品の製作に活かせるかの実証実験をしたり、大型作品の製作では、今では不可欠となったCAD(コンピュータ支援設計)を活用する。最近の大型作品、韓国チョナン市の「Manifold」や瀬戸内国際芸術祭の「Biota」等は、この工房の人材と技術がなくては実現できないものだ。SANDWICHは、名和の創作活動に必要不可欠なものだ。しかし、この工房を維持する為の代償も大きい。多くの大掛かりな作品を作り続けなければならない、といったジレンマに見舞われる事だ。これまでの作品、ミュージシャン「ゆず」のコンサート向けの「Throne」や、西部百貨店のウィンドディスプレでの「POLYGON」などを見ていると、「消費されるボリューム」の懸念を拭えない。
 今回の「Foam」を見て思ったのは、従来と比べて若干、ローテクなところ。展示室をブラックアウトしたり、泡発生ポンプの音を遮音材で密閉して、静かさを実現するなど、作品クオリティの維持は相変わらずだが、ハイテク感が薄れてきた。泡の塊は、思う様にコントロールできず、日によって形が変わるといったアナログ感が、逆に、これまでにはない面白さを醸し出している。 


子どもに託す「未来の希望」

ヤノベケンジ《サンチャイルド》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 栄地下街からオアシス21を経由する地下通路を通ってきた人々は、愛知芸術文化センターの地下入口を入ると、地上2階までの吹き抜け空間で、ヤノベケンジによる巨大な立像、高さ6.2mの《サンチャイルド》を目にする事になる。黄色の放射能防護服を身に付けた胸にはガイガーカウンターを装着しており、その数値は、ゼロを表示している。左手には脱いだヘルメットを抱え、右手には「小さな太陽」を持ち、顔に傷はあるが上を向き、大きく見開いた目で、未来を見詰めている様だ。来場した家族連れや若いカップル、年配の方々が、《サンチャイルド》を取り囲み、しきりに記念写真を撮っている。彫刻と言うには、いかにも人形っぽい見かけだが、いろんな世代の方々に受け入れられている様だ。ヤノベは、東日本大震災を受け、被災した方々や復興に携わる人々の心に、夢と勇気を与え続けるものとしてこの作品を企画した。2011年10月に最初の像が完成、その後2体追加し、全部で3体製作した。今回展示しているのは、2番目の「No.2」である。
 ヤノベは、子供の頃、大阪万博跡地の近くに住んでいた。残念ながら万博自体は終わっており、ヤノベ少年が目にしたのは、多くの建造物が取り壊された後の廃墟であった。未来都市をイメージして作られた万博建造物が破壊された様は、「未来の廃墟」というイメージを想起させ、それがヤノベの創作活動の原点となった。
 その後、ヤノベは、いまサンチャイルドが着用している放射能防護服「アトムスーツ」を製作。これを自身が着て、アートで社会問題を提起すべく、「アトムスーツ・プロジェクト」を実行に移す事になる。1997年、アトムスーツを着たヤノベは、当時、史上最悪の原発事故を起こした、チェルノブイリを訪れた。そこはまさに「未来の廃墟」だった。事故を起こした原発から半径30kmは、居住禁止区域となっており、街はゴーストタウンと化していた。誰もいない街中の遊園地をはじめ、原発火災の消化に使われたヘリコプターやタンクの墓場を訪ねているうちは良かった。驚いたのは、無人の廃墟であるはずの居住禁止区域に多くの老人が住み着いていた事だ。一時は強制的に退去させられたものの、不慣れな土地では暮らすことが出来ずに、元の地に舞い戻ってきたのだ。その中には、母親に連れられた3才の子供も含まれていた。「サマショール(自発的帰村者)」と呼ばれる人懐こい人々に歓迎される度、自身の表現行為が、如何に薄っぺらなものであったかを思い知らされ、ヘルメットの中の顔は、苦渋で歪むのだった。
 芸文10階にあるヤノベの作品の展示室の入り口には、ひとつの写真が、掛けられている。チェルノブイリの廃墟となった保育園で、人形を手にするアトムスーツ姿のヤノベケンジである。瓦礫が散乱する部屋の壁には、以前、保育園児が描いたであろう小さな太陽の絵がある。これが、《サンチャイルド》の原点である。以後、ヤノベの作品作りは、変化を見せる事になる。シニカルで批評的な製作が、よりポジティブな表現へと変わるのである。そうすることがヤノベにとっての贖罪だったのだ。
 3.11の震災・津波と原発事故に衝撃を受けたヤノベは、今アートに可能なのは前向きなメッセージを発することであると考え、「恥ずかしいほどポジティブ」な作品の構想を練る。《サンチャイルド》の製作である。
 正直、初めて《サンチャイルド》を見た時は、そのあまりに玩具的な表情や作りが、安易な製作態度に思えて、好きにはなれなかった。しかし、ヤノベのこれまでの創作活動や、チェルノブイリでのエピソードを知った時、作品が別のものに見えてきた。ヤノベが、あの保育園で手にした人形の顔が、重なってくる。右手には、子供達が描いた「小さな太陽」、顔のすり傷や絆創膏は厳しい現実と対峙する事を恐れぬ勇気、そして大きく見開いた目は、「未来の希望」。ヘルメットを脱いでも放射能の不安が無い、安全な未来への期待だ。

※参考文献:「ULTRA」「SunChild」「YanobeKenji 1969/2005」「トラやんの大冒険」


egg:多田信行




「生きる意味」を考える

アルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場

  
 名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
 彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できなくなった石巻市の小学校から提供されたもので、反戦詩人・栗原貞子の詩からとられた「生ましめんかな」の文字は、愛知県の小学生によって書かれた。
 この詩は、広島に原爆が投下された夜、地下防空壕に避難していた被爆者のひとりが突然産気づき、赤子を取り出す為に、同じ地下壕内に非難していた1人の産婆が、自らの怪我を省みずに赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。

生ましめんかな   (栗原貞子詩歌集 1946.8)
  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう。
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも

 この詩は、学校の平和学習の時間で取り上げられる事があり、栗原さんもその様な場に参加し、説明をする機会があった。-「『生ましめんかな』は、平和を生むの意味」「『産婆さん』は、平和の日を知らずに死んだ20万人の人々」-
 ここで、A.ジャーの作品の特徴、「イメージの背後にある社会的な関係についての問いかけ」が、始まる。命を賭して新たな生命を送り出した産婆の行為が、3.11後の私たちに問いかけるものは何なのか。地震と津波という自然の猛威の前になす術も無く、一瞬の内に、家族や最愛の人、これまでの人生で築き上げてきた全てを失い、絶望の淵に立っている人に、何を語りかけるのか。
 私は、ビクトール・フランクルの言葉、「どんな人生にも意味がある」を思い出した。ユダヤ人で精神科医だった彼が、ナチスの強制収容所での体験を記録した著書「夜と霧」にある言葉だ。
今も続く仮設住宅での暮しは、被災者の心を蝕み、孤独死の話も珍しくはない。「いったなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな悲惨な人生には何も期待できない」と嘆く。それに対し、フランクルは、それでも「意味はある」と答える。人がなすべきは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」のではなく、困難な状況に直面しながらも「人生から問われている事」に全力で応えていくこと。「誰か」が、「何か」が、あなたを待っているのだと。
 重傷者がひしめく地下室の暗闇の中で、苦痛に呻いていた産婆は、「赤ん坊が生まれる」との言葉で、自分を待つものがいることを知る。彼女は、与えられた使命を果たすべく、全力でぶつかった。自分の人生に届けられた「意味と使命」を全うしたのだ。
 「生ましめんかな」は、生きることがつらい人に対する、「あなたの事を待っている誰かが、あなたによって実現されるのを待っている何かが、きっとある筈」とのメッセージなのだ。


egg:多田信行



2014年10月22日水曜日

「北釜」なるものを撮る

志賀理恵子《螺旋海岸》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
岡崎会場


 訪れた人は、展示会場入口で、戸惑ったのではないだろうか。白い壁に、作品が横一列に架かっている美術館とは、全く異なる世界だ。くすんだ灰色の壁と天井に囲まれた薄暗い部屋、少し傾いた姿見の様に床に置かれた作品群は、どれも違う方向を向いている。所々スポットライトの光が作品に当たり、その反射が作る床の上のさざ波が、写真の森のけもの道を案内しているようだ。


 入口から部屋の中を見ると、黒い背景に眩しい程真っ白な石の作品が何枚も見える。作品は皆ほとんど同じサイズだが、写っている石の元の大きさは様々だ。小さな砂粒を拡大したり、大きな岩を縮小したりして同じ様な大きさの石に見せている。表面の眩しい程の異様な白さは、消石灰の粉を振りかけ、更に強力なフラッシュライトを当てた為だ。砂や石は、北釜の土地から拾い上げられた、言わば北釜の地そのものではあるが、白い化粧を施されると、石ではない何か違うものに見えてくる。何に見えるのかは、その人の記憶やその時の感情により、まるで違うものなって来るのだろう。この事を志賀は、「写真が鏡になる」と表現していた。

 作品には、人物を写したものも多いが、所謂、ポートレート風のものではなく、何かを演じている。人が、体を反らせて上を見上げ、片腕を上にあげた片足の妙なバランスで立っている写真がある。地面は砂地の灰色、上半分は夕焼けの様な真っ赤な空、半分は闇に包まれた夕暮れも終わりの時間。重苦しい雰囲気の中で、人は何を見上げているのか、踊っているのか、叫んでいるのか。一見しただけでは、わからない。志賀の説明では、地元の高校生で、野球部のキャッチャーをやっている男の子だそうだ。この時は、真上にボールを投げてもらったところだが、ボールは画面の遥か上までいったので写らず、おかしな格好の人が残るのみ。説明が無ければ、鑑賞者は、この作品をどう見るのか。そこでは、人の想像力が要求される。奇妙な場面のイメージがトリガーになって、人の心にある記憶を元に、いろんな物語を紡いでいく事を、志賀は期待している。

 作品の間のけもの道をぐるりと回って行くと、最後は中央のスペースに入る。作品は、中心を取巻くように配置されているが、どれを見てもその面は、同じ方向のものは無い。ここでも鑑賞者は、作品の間をぐるぐると歩き回ってみる事になる。

 なにやら動物の屍骸の様なものが、砂浜に打ち捨てられている写真がある。先端は頭部のような形状、その下には短い足、反対側には、短い足か尾びれのようなものが付いている。宮城の海岸には、時折、クジラやその仲間が来るそうだ。中には運悪く砂浜に打上げられ、そのまま死んでしまう事もある。その様な場合、屍骸の処理は、その地区で行なわれる。北釜の浜辺では、過去、3頭のクジラの屍骸が埋められたそうだ。先程の動物の屍骸らしきものは、志賀が毛布の中に砂を詰めて作ったイルカだそうだ。
 志賀は、仙台メディアテークで「螺旋海岸」の展示を行った時、北釜の人々を招待した。皆、作品を見ながら、様々な写真にまつわるエピソードや出来事を話題にして楽しんだそうだ。見た人、それぞれに「螺旋海岸」の物語があるのだろう。それでは、志賀は、「螺旋海岸」で何を表現したかったのだろうか。聞くと、「自分でもわからない」と言った答えが返ってくる。この地に住みつき、北釜のカメラマンやオーラルヒストリーの記述係と言う役割を得て、地元に溶け込みながら何を撮っているのか。それは、志賀にとっての北釜そのものなのだろう。とても言葉では言い表せないものを、写真を撮る事で、その表面をなぞっている。写真の1枚毎の“説明“は、あまり意味をなさない。多くの写真をもって、北釜の輪郭をぼんやりと、つかむ様なものだ。志賀自身にとっての「北釜」は、その土地や風景だけでなく、そこに住む人々とその歴史、これまで紡いできた風土・風習等、それら全てなのだ。東日本大震災で大きな被害を受けた北釜。その風景は一変したが、「北釜は残っている」と志賀は言う。これからも、「北釜」なるものを撮り続けるのだろう。



原発神社が語りかけるもの

宮本佳明《福島第一さかえ原発》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 あいちトリエンナーレ2013の特徴のひとつは、建築家の参加だ。そのひとり、宮本佳明は、福島原発に関連した2つの作品を展示している。ひとつは、愛知芸術文化センター8階の展示室に置かれた、《福島第一原発神社》の模型。もうひとつは、芸術文化センター各階(B2F~10F)の床や壁・天井にテープを貼って描いた、原発建屋や格納容器の1/1図面だ。
 8階の展示室入口には、鉄筋が剥き出しになり崩れかけたコンクリート壁のオブジェが、中に入ろうとする者に覆いかぶさる様に配置されている。淡い青を下地に千切れた白い雲を描いたその外壁から、水素爆発によって破壊された福島第一原発を思い出す事はたやすい。重苦しい雰囲気の中を進むと、その内側に、原発の敷地とその周辺を含めた《福島第一原発神社》1/200スケール模型が、展示されている。原発の建屋4棟は、山形県米沢にある上杉家廟から着想を得た和風の大屋根に覆われており、幅82m、高さ88mのまさに巨大神社の様相だ。
 原発問題の要点は、その建屋内に残る、高レベル放射性廃棄物の処理にあるが、現状ではそれらを最終処分する技術的目処が立っていない。結果、廃棄物は、放射線の危険がなくなるまでの、1万年という長きにわたり、その場に安全な状態で保管するしか他に方法はないのだ。難しいのは、1万年という時間だ。宮本は、放射線の危険がなくなる時まで、既に日本人とは言えないであろう未来の人々に対し、この地が危険であると明示する事が必要だと考えた。一見して異様で神秘的な巨大神社建築が、そこに収められている物が何かわからなくとも、危険なもの、近づき難いものとして伝承されていくのだ。
 展示室を出て、2階のフロアを見てみる。黄色のテープが、床の上に何本も貼られて、原発建屋の外壁断面を表している。西入口付近から、南入口までが、原発正面の外壁で、幅は47m程。芸文センターの約半分。また建屋の屋根部分は、丁度、芸文センター10階フロアと同じで、高さ46m。原発建屋は、芸文センターの中にすっぽりと納まる程度の大きさの箱だ。フロア中央付近に、核燃料棒が入る「圧力容器」やそれを囲う「格納容器」の断面も黄色テープが貼られている。格納容器の高さは、33mなので、4Fフロア付近までの高さになる。
 今まで、新聞やTVで何度となく原発事故のニュース写真や映像を見てきたが、実際、そのスケールを体感する事ができず、時折、仮想空間の出来事を見ている感覚にも襲われていた。今回、床に貼られた黄色のテープを見て、ようやくその大きさを実感出来た。建屋や圧力容器、その中の核燃料棒なども、想像していたよりも小さく感じられた。核燃料棒の集合体は、3m角×高さ4.5mの直方体だが、この程度の大きさのものが、半径20kmの地域を人の住めない死の土地に変えたのかと思うと、今更ながら驚きである。
 原発のリスクを考えるとき、2つの側面がある。放射性廃棄物が無害化するまで、1万年またはそれ以上と言われる時間面のリスク。そして、核燃料のメルトダウンが、半径20kmの範囲を人の立ち入れない土地に変えてしまう、空間面のリスクである。これらの問題は、誰も気付かなかったわけではない。ネットで検索すると、容易に、原発に関する様々な情報を収集できる。
 アメリカの心理学者ロバート・J・リフトンは、「心理的感覚麻痺(Psychic numbing)」を提唱している。人間が、大規模な破壊や変動-核兵器の巨大化や深刻な地球環境問題、等-に直面した時、そうしたものの本当の巨大さ・恐ろしさを、直視することから逃避する現象だ。
宮本の作品は、目を閉じ自分の世界に篭っている私たちに向って、現実を見つめよ、目を逸らすなと語りかけてくる様だ。

egg:多田信行


2014年10月20日月曜日

昭和40年代への憧れを表現した屋台インスタレーション

菅沼朋香《まぼろし屋台》
アーツチャレンジ2013
2013年1月22日~3月2日
愛知芸術文化センター

    
 今年のアーツチャレンジ2013で、一風変わったインスタレーションを見かけた。愛知芸術文化センター地下2階、階段下の踊り場に展示されていたのは、《まぼろし屋台》。屋台と言っても、ラーメン屋台の様な質素なものではなく、山車とまではいかないが、高級材を使用した家具調の作りになっている。正面カウンターの奥には「幻(まぼろし)」文字の照明看板、左右には蕾み型ペンダント、ビーズのれん、観光土産ペナント、「昭和88年」の日めくりカレンダーまである。奥の棚には、昔に流行った演歌・歌謡曲からグループサウンズまでのレコードが並べられ、隣に置いてあるレコードプレーヤーで聴く事ができる。土産物のこけし、東京タワーの模型などがあいた空間を埋め、全体を包む昭和の雰囲気が懐かしい。
 屋台の右隣に、かなり旧式のブラウン管型テレビがあって、《幻(まぼろし)屋台》を上映している。作者の菅沼朋香が、名古屋でも寂れた地域となった円頓寺商店街に、まぼろし屋台を繰り出し、商店街の人々と酒を飲み、おでんをつつく和やかな様子を、演じている。
 会期後半には、菅沼自身が屋台の中に入り、訪れた鑑賞者を相手に歓談し、リクエストのあった曲を、レコード・プレーヤーで演奏するといったパフォーマンスを見せていた。昭和40年代の世界の再現である。
 菅沼の昭和への憧れは、徹底している。住いは、円頓寺商店街の中にある昭和にタイムスリップした様な喫茶店“まつば”の2階。部屋の中は、昭和ムードの小物で飾られ、自身も、当時流行ったベルボトムやミニスカートで着飾っている。今は名古屋芸術大学デザイン学部の助手を行っているが、出勤時もそのスタイルを通している。また、今でも昭和の面影を残している場所、喫茶店等をリサーチし、写真に手書きの説明を加えたアートブック、《バックトゥーザ昭和(2011)》、《今年は昭和87年(2012)》を製作、販売している。更に続編も出てきそうな勢いではあるが、何故これ程までに昭和に憧れるのか。
 菅沼は、2008年に名古屋芸術大学デザインコースを卒業後、デザインとは無縁の広告会社に入り、営業を担当。本人によれば、「テレアポして1日何軒もまわって、契約とりまくり、数字に追われるガツガツの」営業をしていた。「超資本主義で、まわりは20代の若者と30才の部長」の様な会社で働き続け、最後には過労で倒れてしまった。
そんな時、彼女を癒したのが、昭和の雰囲気を守り続けているような喫茶店や居酒屋だった。利益追求最優先でなく、気さくなマスターと常連客がコーヒー一杯で1、2時間も話に花を咲かせるといった事が新鮮で、そのふれ合いが癒しにもなった。
 しかし、これらは、表面的な理由だ。今の若者が抱える問題は、未来に期待が持てない事だ。彼らの親は、まじめに働きさえすれば、必ず「親よりも良い生活を実現できる」世代だった。今は違う。彼らは、普通の人間が、経済的に親を超える事など、到底無理と確信している。菅沼が、昭和にこだわる理由もそこだ。日本という国が、再び高度成長するなど誰も考えてはいない。皆が同じ様に、経済的幸福への道を歩もうとするのは、無いものねだりなのだ。
 ならば、自分の充実した人生を作り上げるには、自分の価値観を基準とするしかない。人々との暖かなふれ合いや絆、コミュニケーションの充実など、彼女にとって、「憧れの昭和世界」は、未来への希望なのだ。




2014年10月16日木曜日

皮膜的造形が作り上げる有機的存在感

黒田辰秋・田中信行-「漆という力」
2013年1月12日[土]-4月7日[日]
豊田市美術館


漆という言葉からは、お椀やお皿の様な伝統工芸の漆器が思い浮かぶ。しかし、館内に入って先ず目にした田中信行の作品、《肉の刃》(1994)にちょっと驚き。抽象作品が展示されている。鋭利な包丁で、スッと切り分けられた肉片を思わせる形状。離れたところから見ると、滑らかな表面と鋭く尖った角から、まさに“刃”と云うに相応しい印象を受けた。しかし近づいてみると、塗り重ねた漆が、鋭い角を包み込んで、やさしい丸みに。表面の印象も、硬質なものから漆独特の柔らか味のあるものに変った。
田中信行の作品の特徴は、漆という伝統的な素材を使いながらも、工芸品ではよく使われる螺鈿や蒔絵といった加飾性を排除し、艶やかに磨き上げた表面の独特の質感にある。作者の言葉によると、「皮膜的造形」(「漆という力」図録)である。
《オルガ:Orga》(1999)という作品があった。壁面にお椀を伏せた様に貼りつけられ、その漆黒の表面は、凹凸をはっきりと見ることが難しい。天井のライトからの光が映り込み、見る角度により異なってくるハイライトが、おぼろげに、その膨らみを量感豊かに見せてくれる様は、あたかも壁面を這いずり回るアメーバのような有機体を想起させる。
田中の作品は、この《オルガ》を含めてすべて、『乾漆』という仏像製作等に利用されていた伝統的な技法で、作られている。発泡スチロール等で原型となる形状を作り、その上に漆を接着剤として麻布を幾重にも貼り重ねていく。「皮膜」となる形状が出来たところで、原型を取り除き、更に漆を塗り重ね、磨き、漆黒の鏡面を浮かび上がらせる。この漆の持つしっとりとした光沢、闇のなかに浮かぶ輝きが、表面の存在感を際立たせている。
《Inner side-Outer side》(2011)を見ると、田中の造型の特徴が更に明瞭に理解できる。円筒を縦に半分に割った片側の様な形だが、“Outer side“は、幾何学的な曲面ではない。人体の一部、肩の力強い膨らみや、腰の妖しげなくびれを連想させる有機的な形状となっている。天井のライトが、その膨らみにあたって光を反射し、床に光のさざ波を引き起こす。反対側に回って”Inner side“を覗くと、周りの白壁や見る人が凹形状の鏡面に映り込み、それが実際の表面から浮いた様に見える。麻布を漆で張り重ねた厚みは、凡そ5mm程の薄いものであるが、ハイライトや映り込んだ像が、薄い筈の皮膜を分厚いものに感じさせ、作品が中身のある固まりと思わせる程の重量感を醸し出している。 これが、「漆という力」なのか。

                                                                                                             egg:多田信行

2014年9月28日日曜日

プロフィール: 多田信行

多田信行

昭和27年(1952年)、北海道の炭鉱の町で誕生。
田舎を何度か引越しして、学生時代は札幌。
京都に憧れ、北海道を飛び出したが、手前の愛知に就職。
10年程前、人生の後半の道を探して、ボランティア活動を開始。
アート関係のボランティアをきっかけに、アートブログも手掛ける。
今は美術ライターを目指して、修行中。
自分の文章を読んだ方が、現代アートに興味を持ち、美術鑑賞を楽しんでいただけるなら、とても幸せです。