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2015年5月16日土曜日

米山和子の「つむぐけしき」

米山和子・祖父江加代子 「つむぐけしき よむこころ」
2014年10月18日~12月14日
古川美術館分館為三郎記念館


 名古屋市内の幹線沿いから少し奥に入ったところにある、古川美術館の分館為三郎記念館は、実業家で美術コレクターの故・古川為三郎氏が、晩年を過ごした邸宅を美術館の分館として公開したものです。椎の木が繁る庭園に囲まれた、築80年になる数寄屋造りの「爲春亭(いしゅんてい)」では、米山和子と祖父江加代子の《つむぐけしきよむこころ》展が、お客様の為の憩いの場を作ります。
中庭を望む「間想の間」では、米山さんの手漉き和紙による白い女性立像作品「いろはなく」が、赤い壁と対比を成してたたずみます。肩から胸にかけては、和紙を水で解いてから再び固めた羅(うすもの)にして、柔らかな肌を思わせる曲面に仕上げ、左の肩紐から足元までのドレス部分は、しっかりした和紙で女性像を自立させます。頭や腕がない事で生々しさが消えた像は、一層、和紙の清楚な白さを際立たせ、和室を静寂な空間へと変えています。
「爲春亭」の中の茶室「太郎庵」には、地面にたまった水の流れを表現した作品「にわたづみ」があります。雪見障子からの眺めには見えてきませんが、庭の奥に小さな滝があり、そこからの流れが、太郎庵の近くまで届きます。米山さんは、その流れを部屋いっぱいに表現しました。床の間の掛軸から、湧き出る様に流れる小さな滝、そこから広がる滑らかな流れや波打つ水の表面を和紙で形づくり、まるで、庭にある水の流れを部屋の中に持ち込んだかの様です。
手漉き和紙は、原料となる楮(こうぞ)の皮を剥ぎ、蒸して、乾燥させ、それを煮て漉く、等の多くの工程を経て作られます。米山さんは、そうした工程を遡り、一旦水に着けて繊維の絡みを解いた後、新たな立体造形へと変容させます。どちらの作品も、非常に薄い和紙にもかかわらずボリュームが感じられます。和紙という素材にこだわり、その特性を知り尽くした作品作りが、米山さんの持味です。
素材という点で異なる作品が、「こめのゆめ」です。爲春亭の中では最も庭の眺めの良い「大桐の間」を使った作品の素材は、私たちが毎日食べているご飯粒で、それを絹糸に通し乾燥させますと、白く半透明になり、淡く光を反射する粒の連なりになります。二間続きの部屋の一方の床の間から、反対側の部屋の天井までを結んだ数十本のご飯粒の糸は、白い光の粒が織りなす曲線となって空間を満たします。部屋の間に、山並みを形どった欄間があり、床の間を起点とし反対側の天井へとのびるこめの糸は、谷合をながれる風を見ている様です。この作品の面白さは、ご飯粒の重さで絹糸が描く懸垂線の吊り橋のようなダイナミックさと安定感、そして白い光の粒の連なりの美しさだけではありません。毎日の食事時に見る小さなご飯粒が、空間を全く別のものに変えてしまう事に目を奪われるのでしょう。
米山さんは、「素材に心を添わせ耳をすますこと」が大事だと言います。日本人が愛してやまない手漉き和紙、お米という素材の特性を熟知し、それを活かした心象風景の表現が、見る人の共感を呼ぶのです。
「爲春亭」の玄関の上り框のところに、厚い松板が2枚寝かせてあります。これは、和紙を漉いた後、この上に広げて乾かす為の「紙板」で、300年程使い続けられていたものだそうです。楮の繊維が浸み込み、うっすらと白ずんだ表面に、紙を切り抜いて作られた和歌が、貼り付けられています。
あしひきの 山あいにふれる しらゆきは すれる衣の ここちこそすれ
となりの紙板には、中央を絹糸で持ち上げられた横長の和紙が張り付いており、この歌から感じた景色を、形で表現しているようでもあり、板から紙を剥がす仕草のようでもあります。米山さんの和紙に対する愛着が感じられる一品です。


2014年12月15日月曜日

archaiclightbody実験目撃メモ

archaiclightbody #3「抱きしめあうと眠りづらい」
2014年10月8日
ユースクエア(名古屋市青少年交流プラザ)プレイルーム


 日が短くなった夕方の住宅街を急ぎながら、この道のりにもすっかりなじんだな、と思った。北区役所に程近い、青少年育成を目的とした名古屋市の施設ユースクエア。その一室「プレイルーム」は、演劇やダンスの発表会などに若者が格安で優先的に利用できる。いかにも行政の運営らしい保守的な健全さにあふれているため、やさぐれた大人には縁遠い場所だが、この2年ほど数カ月おきに行われているコンテンポラリーダンスの公演が見逃せなくて、せっせと足を運んでいる。
 仕掛人は名古屋を拠点に活動するダンスカンパニーafterimage(アフターイマージュ)のメンバーたち。ここではカンパニーとしてではなく、各メンバーが独自に活動を展開している。面白いと思ったダンサーを東京から呼んで公演を主催したり、カンパニー外のダンサーと組んで作品を発表したり。ここは名古屋のダンスシーンを刺激する実験室なのだ。
 archaiclightbody(アルカイックライトボディ、以下アルカイック)は、そんなafterimageの主宰・振付・ダンサーを務める服部哲郎が杉山絵理と結成したダンスユニット。今回、今年の企画第3弾として、処女作(2011年初演)にがっぷり取り組んだ公演を行った。コンセプトは、再演を重ねてきたこの《抱きしめあうと眠りづらい》をさらに「様々な角度からいじり倒す」。
 まずアルカイックによるストレートな再演。そして後半は、今年愛知で結成された男女のデュオSen×Haruが同作品のリメイクを上演した。この作品は小道具が2脚の椅子だけというシンプルな舞台で、メランコリックなピアノが静かに刻むリズムに乗り、一組の男女がコンタクトインプロヴィゼーションの手法をベースに踊る。余計な装飾が無く、踊り手の身体の動き、そして二人の間で生まれる力の動きが主役だ。歩く、止まる、跳ぶ、伸びる、縮む。押す、引く、反発し合う、受け止める、離れる、触れる。それ自体がダンスになっている。いや、そもそもあらゆるダンスがそういう構造だったか、とふと思う。ミニマル過ぎず、親密さと敵対、共感と反発など人と人との間で生まれる感情の機微をまとっていて、日常的な物語に思いを巡らせる幅がある。
 そこから作品に広がりを加えるのは観客だったり、演者だったりする。アルカイックとSen×Haruとでは作品の印象は大きく異なった。アルカイックの場合、二人は恋人同士にも、兄妹/姉弟にも同志にも見えた。観客各々の目に違って映ったはずだし、シーンごとにも変化した。表現がストイックなため、見ていて想像力が働く余地が大きい。一方Sen×Haruは、アルカイックから手渡されたこの作品を恋愛初期の二人の物語として解釈し、提示した。男女の関係の描き方が少し類型的にも見えたが、より表情豊かで演劇性が高い。艶っぽく濃密な一幕を堪能した。
 こうして2組の踊りが並べられることで、《抱きしめあうと眠りづらい》という作品の骨格と魅力が一層見えてきた。また、2つの上演は「Dancer View」という映像の上映を挟んで行われた。服部と杉山がそれぞれ目の横に小型ビデオを装着して踊り、ダンサーの目線から同作品を見せるという試みだ。結局一作品を一晩に3回見たわけだが、全く飽きなかったし、終演後の小さなロビーで自然と顔を合わせることになる出演者に反応を伝えることで、この実験への加担を楽しむこともできた。振付の服部は、この作品にはまだまだ可能性があると話す。この実験を経て今後どう進化していくのかを追っていきたい。



                                                                       egg:神池なお

2014年11月17日月曜日

挑戦する日本画展

挑戦する日本画展―「日本画滅亡論」を超えて 1950~70年代の画家たち
2014年7月5日~8月24日

@名古屋市美術館

 静寂の中、和室でじっくりと鑑賞するために描かれる花鳥風月。というのが、私の「日本画」に対するイメージだ。理想的に美しいものしか描かれていない。もちろん、風神雷神などの荒々しい神々が描かれた襖や、柳の下に女が不気味に立っている掛け軸などがあるのは知っている。しかしそこには、たとえ恐ろしくても、伝統的な様式美を感じることができる。それゆえ今回、『挑戦する日本画展』で目にした「日本画」はとても新鮮だった。私が第二次世界大戦後の日本画を知らないからだ。
 私は日本画家を多く知らない。美術の教科書などでなんとなく名前を知っている画家が何人かいるくらいで、その中でも作品と作者を一致して記憶している自信もない。その程度の知識しか持たない者にとって、50名の「日本画家」の作品を一挙に目にできる機会はとても貴重だった。しかも、私の知っているような作家がフューチャーされ展示の大部分を占めるのではなく、「日本画」の名の下、知名度の高低なくほぼ平等に扱われていたことに、「日本画は数人の作家が作り上げたものではない」という企画者の意図が感じられた。並んでいる作品も、現実社会の等身大の人物や、概念的で抽象化された模様、自己の内面を表出したようなものが多く、私のイメージしていた襖や掛け軸はなかった。「激動する日本社会の現実に対応できない「近代の日本画」に対する批判として「日本画滅亡論」が登場しました。その逆風の中で、意欲的な日本画家たちは(中略)「日本画」の革新に取り組みました」とチラシにあるように、日本画は生き残るために挑戦し、進化を遂げたのだと思う。
 しかしこうなってくると、西洋画とは何が異なるのか、という疑問が湧いてくる。「日本古来の伝統を継承する絵画の総称」(チラシより)を「日本画」とするならば、西洋画との違いは使っている画材の違いだけになってしまわないだろうか。なにを描いているから、これらの作品が「日本画」という分野に収まっているのだろうか。「日本画」という“ジャンル”を受け取る側もしっかりと定義しなければ、その「挑戦」はぼんやりとしてしまう。
 近年、“コラボレーション”という言葉をはじめ、“ジャンルを越えた表現”などの紹介文を目にすることが多く、新しい何かをみることができるというだけで惹かれてしまう。しかし、その1つ1つのジャンルにおける他のジャンルにない特化した要素、それに至る歴史など、はたして私は知っているのだろうか。なにがどのように新しく、どの部分が重なり合い複合的なのかを判断できているのだろうか。何か重要なものを取りこぼしていそうである。新しい表現を求めることも重要だが、1つ1つの歴史や伝統に目を向けなければいけないことを痛感した展覧会だった。



2014年11月10日月曜日

華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある ~ヨコトリと、その周辺で

2014年8月1日~11月3日
横浜美術館+新港ピア他
生きものの記録(黒澤明)/ 1955年
 2014年9月5日
 ウィルあいち・ウィルホール
2014年7月5日~9月15日
神奈川県立近代美術館鎌倉別館

2011年を経た現在の日本人が忘れたもの、それを思い出させるのは芸術の力だけなのかもしれない。政治、経済を取り巻くグローバル化のうねりは、正義とは、人間とはという哲学を我々から忘れさせている。大国の論理、武装した国の圧力、宗教を取り込んだ殺戮を目の当たりにする今、何かが地球に生きる者に静かに迫りつつある。我々にもう一度立ち止まり、その何かを考えさせてくれる、アートの体験には確かな力があった。

ヨコハマトリエンナーレのテーマにある「華氏451」は1953年のレイ・ブラッドベリ作SF小説、のちにトリュフォー監督によって映画化もされた。時代は近未来、時の治世者は民衆の思考停止を図るべく、世の中から書物を焼き捨てようというのだ。人間の大切な、長い歴史における知の結晶が彼らの都合で葬られ、抵抗する者は容赦なく抹殺される。

 地震国での原発の危険を知りながら、廃棄物の処理方法も見いだせないまま、再稼働を決定する。他国に原発や武器を輸出する。二度の原子爆弾の脅威を知り、平和憲法、言論の自由を戦後民主主義は拠り所としてきたはずなのに、議論も熟さないまま法律が変えられる。そして今、日本人は2011年に経験した感覚も忘れ去ろうとしているのか。今だけを生き延びるではあまりにも無責任すぎる。自分たちの国の権益だけを主張していては、いずれ人類は滅びる。目に見えない大切なものや小さな声が追いやられていく。

フランスのルイ15世の公妾で、贅の限りを尽くしたと言われるポンパドゥール夫人が述べた、「我の亡き後に、洪水よ来い」。これは新港ピア会場に展示されていた、メッセージである。

新港ピア会場(chapter11 忘却の海に漂う)に入ってすぐに写真家土田ヒロミの「ヒロシマ」をめぐる3つのシリーズがある。なかでも長田新の編著書『原爆の子』(1951)に被爆体験記を寄せた子どもたちのその後を追った《ヒロシマ1945-1979/2005》はそのテキストと写真で、過去と現在を同一画面上に構成したものだ。なかには「撮影拒否」と書かれたものや後ろ姿を撮ったものもあり、当時の彼らの心情を正確に映し出している。過去を心の奥底にしまい込み、父、母として、夫、妻として、ごく普通の一人として生きて働く、それぞれの生活者の歴史を見る。時の流れの中で風化しようとしている記憶を土田の写真は私達の心にピン止めするかのようだ。

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー展」が開催されている。震災の年から翌年にかけても「ベン・シャーン展」が福島、名古屋などで開催され、「第五福竜丸」を主題とする《ラッキードラゴン》などに彼のジャーナリズムの神髄を見た。彼の平らかな目は、常に弱者を映すことで人間の尊厳を強く訴える。
さらに今月、あいち国際女性映画祭2014で黒澤の1955年作《生きものの記録》が上映された。黒澤の映画の中ではあまり知られていないが、奇しくもアメリカの水爆実験直後に同じ「第五福竜丸」を主題として映像化した作品だ。ストーリーは主人公が(35歳の三船敏郎が70歳の老人役を演じている)当時日本にも害が及ぶと言われた水爆から逃れるために自分の一族郎党を引き連れてブラジルへ移民しようとするものだ。財力に物を言わせ、自分たちだけが助かる道を探る、これもまた人間のなせる業。だが、誰からもその考えを理解されず、精神を病んでいく。黒澤の生の人間の描き方はモノクロ映像を通すことで、より強く現在の我々に迫る。

 ヨコハマトリエンナーレ、ベン・シャーン、黒澤と、私たちが忘れてはいけないもの、そして考えを停止させられ、行動を阻止させられようとしていることをアートの力によって投げかけている。受け取るか、忘却するかは観る者の感性に任されている。

                               egg:三島郁子

藤原泰佑 展 《Re:Born》

藤原泰佑 展 《Re:Born》
2014年6月22日(日)~7月20日(日)
ギャラリーM
 
 以前から気になっていた藤原泰佑の個展。風邪にめげず、オープニングパーティには行くべきだった。
 春に行われた、同ギャラリーでの作家6人展を見て以来、藤原さんの異形ともいえる構築物を描いた作品は、若手作家の中でも異彩を放ち、脳裏に焼付いたままでした。その奇妙なものは、10階建以上のビルディングに相当する大きさだけれど、きちんと設計・施工されたわけではなく、レトロな看板の商店や古い家屋を無造作に積み上げたようなものです。「松崎商店」「○田ふとん店」等の商店名、「ブリジストン」や「ナショナル」などのよく知られた商標の看板も見える。まるでモクモクと湧き出た積乱雲が、建築物の姿を借りて地上にデンとそびえ立つ様な、周りを圧倒する程の存在感を醸し出しています。
 顔を近づけて絵の詳細を見れば、個々の家は、必ずしも完全な形を保っているわけでなく、半分くらいが薄く消えているものさえあることがわかります。藤原さんは、実在する商店や家屋をカメラで撮り、パソコン上で画像を重ね合わせました。あるものは商店全体を、またあるものはシャッター部分だけ、屋根の部分だけ、どこかわからない家の一部分を、コラージュの様に画像データを張り合わせ、その後、それらの上に油彩などで彩色を施しました。看板の派手な色と大きな文字、壁のくすんだ灰色、実際とは異なるであろう原色に近い彩色等が渾然一体となって、その構築物の持つ猥雑なエネルギーを表現しているようです。
 藤原さんは、東北(山形県)在住で、2013年に東北芸術工科大学大学院を出たばかりの若い作家です。同大学には、教授として美術家の三瀬夏之介さんがいます。三瀬さんといえば、「東北画は可能か?」という共同制作・展覧会活動を思い出します。その活動とは何か、サイトの説明によると、
「東北という辺境において、その地域名を冠にした絵画の成立の可能性を探る試みである。『東北』と一括りにされた風土、価値観に対するローカル地域からの逆襲でもある」 
とあります。
藤原さんも学生時代に、「東北画は可能か?」の活動に参加していたようで、その頃から、地方のあり様に関心があったのでしょう。彼のインタビュー記事には、「もともとあった地域の商店街のエネルギーは、大きなビルに収まり切れないくらい大きい」「この商店街のエネルギーを、消えゆく前に描こうとおもいました」とも言っています。
 なる程、赤黄緑等の原色による彩色は、エネルギッシュな感じで、都市の雑踏の、猥雑ではあるが活気に満ちた雰囲気を想起させます。しかし、その原色のペンキの汚れや、家屋の壁の剥がれ、閉じられた雨戸を見ると、私はどうしても、地方のシャッター街を思い出さずにはいられません。昔、私が子供の頃住んでいた田舎町では、「ナショナル」の看板を掲げた電気屋は、夢と活気の象徴でした。でも今は衰退の象徴です。藤原さんも、きっと同じ思いなのでしょう。活気溢れる商店街を思い起こしながら、地方再生の願いも込めて「Re:Born」というタイトルにしたのだろうと思います。が、描いたものは、悲しいまでに未来を失った街の残骸にも見えます。
 藤原さんが描いているのは、かつての街の、燃え上がる様なエネルギーの残渣なのか、再生に向けた旗印なのか、そんなお話をお聞きしたいと思っていたのですが。
              
                            egg:多田信行

2014年10月25日土曜日

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
第18回アートフィルム・フェスティバル
2013年12月4日
愛知芸術文化センター アートスペースA


 大野一雄は「手」で踊る。
 《ラ・アルヘンチーナ頌》は、大野が10歳のころ、フラメンコダンサー、アルヘンチーナの来日公演で受けた感銘を50年近くもの後、58歳になって初演した大野の代表作だ。
 彫刻にトルソという形式がある。頭や四肢を欠く胴体だけの彫刻形式をいう。彫刻に元々そうした形式があったわけではない。ギリシャ彫刻やローマ時代の彫刻を発掘したとき、頭や腕などが欠けた状態で掘り出されたものは不完全なものと見なされていた。その後、その欠けた姿が美しいという発見があった。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが修復されないまま展示されているのはそのことも理由のひとつだという。そして、はじめから胴体だけの新作がトルソと呼ばれて制作され始めた。
 一方、絵画の場合はどうか。人物画で当然一番難しいのは顔である。顔がうまく出来れば、あとの胴体などは無造作に画きなぐっても絵になる場合もあるくらいだ。そして、顔以上に難しいのが手である。手は関節が多いこともその理由だが、手の表情が、目以上に「ものを言う」のである。
 大野一雄は、そういう比喩で言うと「手」のダンサーだ。58歳というと一般の人間であれば、とうに働き盛りを過ぎた年齢で、体力や気力、運動神経、柔軟性などは既に下り坂になっているはずである。そうした中で、この代表作を生み出した。手だけで踊り全体を表現したのだ。
 大野は95歳のとき、華道家中川幸夫とのコラボレーションとして「空中散華/花狂」を踊った。中川は20万本ものチューリップの花びらをヘリコプターから撒き、それが雨のように、雪のように舞い落ちる中、大野は踊った。そのとき、大野はもうすでに立ち上げることが出来ないほど体力が衰えており、椅子に座ったまま舞った。それでも素晴らしかったのは、中川のおかげでもあるが、大野が「手」の踊り手であったからに他ならない。

未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)

ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
2013年11月9日(土)~12月23日(月)
名古屋市美術館


 夜空に輝く星の姿。それは遥か昔にある一点から放たれた光が、今ここに届く瞬間瞬間の残像である。たとえ今もうその星が存在していなかったとしても、光は届き続ける。私たちは未来から、その痕跡を眺める目撃者であるとも言えるのだ。
 戦後の日本、1960年代の社会において、際立った活動を展開した前衛芸術家のグループがある。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名を中心とする「ハイレッド・センター」だ。街中でゲリラ的に展開された「山の手線のフェスティバル」「首都圏清掃整理促進運動」等の「直接行動」と呼ばれるパフォーマンスを通し、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで「日常」を「撹拌」しようと試みたという彼らの活動の全貌を紹介すべく、内容を詳細に追った展覧会「直接行動の軌跡展」が、名古屋市美術館で開催された。
 展示は主に、当時の彼らの活動の様子を記録した写真や資料と、実際に使われたものも含めた彼らの作品を中心に構成されていた。まるでポスターか雑誌の記事のような奇抜なデザインの解説キャプションや、1点で無造作に釘打ちされた作品キャプションといった演出的効果も手伝って、展示を巡っていると、自分自身が事件を追う新聞記者にでもなったかのような昂揚感・面白さがある。それは何よりも、ここで次々と紹介される活動のひとつひとつが今の私たちにとって新鮮であり、また、常識を揺さぶるような小気味よい刺激に満ちているからであろう。
 中でも作品として私の印象に残ったのは、高松次郎の《点》シリーズ、そして会場の最後に数点展示されていた、《影》のシリーズであった。この作品群が、何よりも今回の展覧会の性質を的確に表しているように思えたからだ。それはまさしく、過去のどの時点かで始まった「一点」が動く軌跡と、その痕跡=残像であった。
 《点》シリーズでは、まず水彩で描かれた黒い線と点の集まりが額装され並ぶ。その後、今度は立体として、ラッカーで黒く塗られた針金が絡まり合い、いびつな球状になったものが表れる。そのモチーフは次に「紐」として作品の中に表れ、当時の写真の中にも表れる。また、グレーの塗料でキャンバスに描かれた《影》の一群は、人やモノの影のみを描くことでその宿主―実体-の「不在」を強く意識させるという点で示唆に富んでいる。それまで紹介されてきたハイレッド・センターの活動の数々が、過去のどこかで起こった「点」のひとつひとつであったこと、言い換えればそれらの「影」でしかないことを、ここで私たちは現在に引き戻され、思い知らされるからだ。それは翻って、私たちの信じている「常識」や「日常」といったものもまたこのように儚い、僅かの刺激でも揺るがせにされるような社会の一側面でしかないことをも暗示しているかのように思われた。
 「ハイレッド・センター」という、過去のある一点において放たれた光は、時間を越えて未来の私たちにこのような形で届いた。夜空の星の光のように魅力的なその残像が、今、私たちの心を捉えるその理由はなんだろう。未来に掉さす光の一閃を、私たちはこの展覧会で目撃する。
egg:加々美ふう

2014年10月24日金曜日

★更新情報: 2013年度アートレビュー講座の課題一挙掲載

2013年度のアートレビュー講座「アートレビュー筋トレテーブル」の課題として書いた文章を、すべて掲載しました。「黒田辰秋・田中信行―漆という力」展について受講生全員がレビューを書いた後に、挑戦したものです。

●あいちトリエンナーレ2013(会期:2013年8月10日 ~10月27日)のレビュー等26本

 まとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ。

 ・あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!………計10本
  作品解説プレートを自分で書いてみよう!という課題でした。

 ・レビュー………計16本
  自由課題として書いたレビューです。

●あいちトリエンナーレ以外のレビュー……計15本

 幅広いジャンルや地域の展覧会・イベントのレビューが集まりました。
 開催日が新しい順に並んでいます:

 ・大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
 ・未来に掉さす光の一閃(ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展)
 ・大西康明『垂直の隙間』
 ・フランシス・ベーコン展 ―マンネリズムを超えて夢のベーコン展へ―
  ・フランシス・ベーコン展―目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。
  ・フランシス・ベーコン展
 ・久野利博展
 ・「まなざし」の邂逅(芝川照吉コレクション展)
 ・アントニオ・ロペス・ガルシア――ワーク・イン・プログレスとしての写実絵画
 ・プーシキン美術館展 フランス絵画300年
 ・森山大道というメディア
 ・冷静と情熱のあいだ?―フランシス・アリスのメキシコシティ
 ・円山応挙――江戸期のインスタレーション
 ・『したいからする・したいようにする』それはアートの原点だと信じる。
 ・昭和40年代への憧れを表現した屋台インスタレーション

この画面左側の「ラベル」から、レビュアー別、エリア別に表示することもできます。

2014年10月23日木曜日

新たな彫刻の向う先

名和晃平《Faom》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 暗い通路を抜けて、展示場に入る。そこには、漆黒の闇が広がり、中央に白い泡の山が浮かび上がる。床には黒い小さな砂利のようなものが敷き詰められ、固められている。艶消しの黒い塗料が、床と壁、天井の境目を曖昧にし、見る人に、暗闇がどこまでも続いているかの様な錯覚を与える。泡の山は、部屋の中央にある池の上に浮かんでおり、耳を澄ますとブクブクと音が聞こえる。白い泡は、常に作られ、消えていく。その日の気圧などにより、泡の生成と消滅のバランスが変わる事で、山もその姿を変えていく。
 名和晃平が、鑑賞者の為に解説テキストを提供した。
 「絶えず湧き出る小さな泡(Cell=セル)は、次第に寄り集まって液面を覆い尽くし、泡の集合体(Foam=フォーム)として、有機的な構造を自律的に形成してゆく。立ち上がったボリュームは、互いにつながり合い、飽和し、膨らみ続け、時には鈍く萎えてしまって地面に広がる。個々の泡(セル)は、生成と消滅というシンプルなプロセスから逃れることはなく、代謝や循環を支える細胞の本質的な振る舞いと似ている・・・」
 説明を読むと、生物細胞の代謝や循環の概念の様なものを、泡の“彫刻”で表現した様に思えなくもないが、そうではないだろう。以前、インタビューで語った事がある。
 「自分の中の物語を作品化することも試みたが、手応えがなく、逆に何かどんどん狭い方へ、
袋小路に進んでしまう気がした。もうこれはやめようと・・」
 物語やコンセプチュアルな何かを表現するのではなく、彫刻に於けるジャクソン・ポロックのような、新たな表現形式の提示が、自分のやるべき事と考えたのだろう。
 名和作品の特徴のひとつは、新しい表現形式を実現する為の新しい彫刻素材の発掘だ。今回は、Foam-泡の塊だ。これまでにも、ビーズやら、発泡樹脂など様々な素材を扱ってきた。もうひとつは、これら素材が作品全体をどう構成し、どう組み込まれるのか、その基本的な概念の整理だ。構成要素の最小単位を「Cell」と呼び、全体の表現形状との関係を以下の様に説明している。

<構成要素>    <全体>
Picture + Cell   = PixCell
Object ÷(Cell×n) = PixCell [BEADS]
Object ÷(Cell×1) = PixCell [PRISM]
(Cell×∞) = PixCell [LIQUID]
(Cell×n) = AirCell [GLUE]
Void × (Cell×∞)  = Scum [SCUM]
Object ÷(Cell×∞) = Villus [SCUM]

 今回の泡(Foam)の作品については、[LIQUID] 若しくは、[SCUM]の分類になるのだろうか。
これらの彫刻表現を実現する為に、名和は、製作工房-SANDWICHを運営する。ここに様々なエキスパート達を集め、作品を作り上げていく。新たな素材が、作品の製作に活かせるかの実証実験をしたり、大型作品の製作では、今では不可欠となったCAD(コンピュータ支援設計)を活用する。最近の大型作品、韓国チョナン市の「Manifold」や瀬戸内国際芸術祭の「Biota」等は、この工房の人材と技術がなくては実現できないものだ。SANDWICHは、名和の創作活動に必要不可欠なものだ。しかし、この工房を維持する為の代償も大きい。多くの大掛かりな作品を作り続けなければならない、といったジレンマに見舞われる事だ。これまでの作品、ミュージシャン「ゆず」のコンサート向けの「Throne」や、西部百貨店のウィンドディスプレでの「POLYGON」などを見ていると、「消費されるボリューム」の懸念を拭えない。
 今回の「Foam」を見て思ったのは、従来と比べて若干、ローテクなところ。展示室をブラックアウトしたり、泡発生ポンプの音を遮音材で密閉して、静かさを実現するなど、作品クオリティの維持は相変わらずだが、ハイテク感が薄れてきた。泡の塊は、思う様にコントロールできず、日によって形が変わるといったアナログ感が、逆に、これまでにはない面白さを醸し出している。 


子どもに託す「未来の希望」

ヤノベケンジ《サンチャイルド》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 栄地下街からオアシス21を経由する地下通路を通ってきた人々は、愛知芸術文化センターの地下入口を入ると、地上2階までの吹き抜け空間で、ヤノベケンジによる巨大な立像、高さ6.2mの《サンチャイルド》を目にする事になる。黄色の放射能防護服を身に付けた胸にはガイガーカウンターを装着しており、その数値は、ゼロを表示している。左手には脱いだヘルメットを抱え、右手には「小さな太陽」を持ち、顔に傷はあるが上を向き、大きく見開いた目で、未来を見詰めている様だ。来場した家族連れや若いカップル、年配の方々が、《サンチャイルド》を取り囲み、しきりに記念写真を撮っている。彫刻と言うには、いかにも人形っぽい見かけだが、いろんな世代の方々に受け入れられている様だ。ヤノベは、東日本大震災を受け、被災した方々や復興に携わる人々の心に、夢と勇気を与え続けるものとしてこの作品を企画した。2011年10月に最初の像が完成、その後2体追加し、全部で3体製作した。今回展示しているのは、2番目の「No.2」である。
 ヤノベは、子供の頃、大阪万博跡地の近くに住んでいた。残念ながら万博自体は終わっており、ヤノベ少年が目にしたのは、多くの建造物が取り壊された後の廃墟であった。未来都市をイメージして作られた万博建造物が破壊された様は、「未来の廃墟」というイメージを想起させ、それがヤノベの創作活動の原点となった。
 その後、ヤノベは、いまサンチャイルドが着用している放射能防護服「アトムスーツ」を製作。これを自身が着て、アートで社会問題を提起すべく、「アトムスーツ・プロジェクト」を実行に移す事になる。1997年、アトムスーツを着たヤノベは、当時、史上最悪の原発事故を起こした、チェルノブイリを訪れた。そこはまさに「未来の廃墟」だった。事故を起こした原発から半径30kmは、居住禁止区域となっており、街はゴーストタウンと化していた。誰もいない街中の遊園地をはじめ、原発火災の消化に使われたヘリコプターやタンクの墓場を訪ねているうちは良かった。驚いたのは、無人の廃墟であるはずの居住禁止区域に多くの老人が住み着いていた事だ。一時は強制的に退去させられたものの、不慣れな土地では暮らすことが出来ずに、元の地に舞い戻ってきたのだ。その中には、母親に連れられた3才の子供も含まれていた。「サマショール(自発的帰村者)」と呼ばれる人懐こい人々に歓迎される度、自身の表現行為が、如何に薄っぺらなものであったかを思い知らされ、ヘルメットの中の顔は、苦渋で歪むのだった。
 芸文10階にあるヤノベの作品の展示室の入り口には、ひとつの写真が、掛けられている。チェルノブイリの廃墟となった保育園で、人形を手にするアトムスーツ姿のヤノベケンジである。瓦礫が散乱する部屋の壁には、以前、保育園児が描いたであろう小さな太陽の絵がある。これが、《サンチャイルド》の原点である。以後、ヤノベの作品作りは、変化を見せる事になる。シニカルで批評的な製作が、よりポジティブな表現へと変わるのである。そうすることがヤノベにとっての贖罪だったのだ。
 3.11の震災・津波と原発事故に衝撃を受けたヤノベは、今アートに可能なのは前向きなメッセージを発することであると考え、「恥ずかしいほどポジティブ」な作品の構想を練る。《サンチャイルド》の製作である。
 正直、初めて《サンチャイルド》を見た時は、そのあまりに玩具的な表情や作りが、安易な製作態度に思えて、好きにはなれなかった。しかし、ヤノベのこれまでの創作活動や、チェルノブイリでのエピソードを知った時、作品が別のものに見えてきた。ヤノベが、あの保育園で手にした人形の顔が、重なってくる。右手には、子供達が描いた「小さな太陽」、顔のすり傷や絆創膏は厳しい現実と対峙する事を恐れぬ勇気、そして大きく見開いた目は、「未来の希望」。ヘルメットを脱いでも放射能の不安が無い、安全な未来への期待だ。

※参考文献:「ULTRA」「SunChild」「YanobeKenji 1969/2005」「トラやんの大冒険」


egg:多田信行




「生きる意味」を考える

アルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場

  
 名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
 彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できなくなった石巻市の小学校から提供されたもので、反戦詩人・栗原貞子の詩からとられた「生ましめんかな」の文字は、愛知県の小学生によって書かれた。
 この詩は、広島に原爆が投下された夜、地下防空壕に避難していた被爆者のひとりが突然産気づき、赤子を取り出す為に、同じ地下壕内に非難していた1人の産婆が、自らの怪我を省みずに赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。

生ましめんかな   (栗原貞子詩歌集 1946.8)
  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう。
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも

 この詩は、学校の平和学習の時間で取り上げられる事があり、栗原さんもその様な場に参加し、説明をする機会があった。-「『生ましめんかな』は、平和を生むの意味」「『産婆さん』は、平和の日を知らずに死んだ20万人の人々」-
 ここで、A.ジャーの作品の特徴、「イメージの背後にある社会的な関係についての問いかけ」が、始まる。命を賭して新たな生命を送り出した産婆の行為が、3.11後の私たちに問いかけるものは何なのか。地震と津波という自然の猛威の前になす術も無く、一瞬の内に、家族や最愛の人、これまでの人生で築き上げてきた全てを失い、絶望の淵に立っている人に、何を語りかけるのか。
 私は、ビクトール・フランクルの言葉、「どんな人生にも意味がある」を思い出した。ユダヤ人で精神科医だった彼が、ナチスの強制収容所での体験を記録した著書「夜と霧」にある言葉だ。
今も続く仮設住宅での暮しは、被災者の心を蝕み、孤独死の話も珍しくはない。「いったなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな悲惨な人生には何も期待できない」と嘆く。それに対し、フランクルは、それでも「意味はある」と答える。人がなすべきは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」のではなく、困難な状況に直面しながらも「人生から問われている事」に全力で応えていくこと。「誰か」が、「何か」が、あなたを待っているのだと。
 重傷者がひしめく地下室の暗闇の中で、苦痛に呻いていた産婆は、「赤ん坊が生まれる」との言葉で、自分を待つものがいることを知る。彼女は、与えられた使命を果たすべく、全力でぶつかった。自分の人生に届けられた「意味と使命」を全うしたのだ。
 「生ましめんかな」は、生きることがつらい人に対する、「あなたの事を待っている誰かが、あなたによって実現されるのを待っている何かが、きっとある筈」とのメッセージなのだ。


egg:多田信行



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:宮本佳明《福島第一原発神社》

宮本佳明《福島第一原発神社》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 宮本の建築家としての代表作であり自身の建築事務所の《ゼンカイハウス》は過激である。阪神淡路大震災で、神戸市の木造の実家は全壊判定を受けた。普通であれば全て取り壊して建て直すことになる。しかし、そうせずにまるで骨折用のギブスのように鉄骨で補強し、内装も外装も元の木造部分をできるだけ残しリノベーションした。したがって、デザインとしては全く美しくない。畳の部屋から、斜めに貫いている鉄骨が剥き出しで見えるほど異観だ。
 《福島第一原発神社》はそれ以上に過激であり、異様である。宮本は、これを発表すべきかどうか、かなり悩んだという。当然だろう。世間から事故を起こした原発を神としてあがめるのかという批判を受けるかも知れない。
 しかし、崇高なものを礼拝することと、祟(たた)るものを鎮魂することは裏表である。「祟」という文字が共通しているからだけではない。その典型的な例が、菅原道真である。日本最強の怨霊は結局神様となった。人間が生み出した最強の力が人間の制御を超えて暴走する。人々はそれをまるで自然からの祟りとおそれる。「おそれ」も畏怖と畏敬の二重の意味がある。
 原発事故に対する多くの日本人の整理しきれない心情は、「原発」を「神社」にすることを意外にも自然に受け入れるかも知れない。


egg:武藤祐二




あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:丹羽良徳

丹羽良徳
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場、長者町会場、岡崎会場


 丹羽良徳は「へそまがり」である。
 丹羽は、今回のあいちトリエンナーレ2013において複数の作品を展示した。それらは一見何の脈絡もないようにも思えるが、作品に通底する独特の作家像が浮かび上がる。
 《デモ行進を逆走する》は、福島第一原発の事故をきっかけとした反原発デモの中を丹羽がひとり、デモの流れに逆らって歩き進む映像作品。
 《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》は、モスクワの市街で一般市民に対し、レーニンにちなむ物を持っていないか尋ねてまわるもの。中には、怒り出す市民もいる。それでも丹羽は淡々と受け流しながら次の市民に問いかける作品。
 《日本共産党でカール・マルクスの誕生日会をする》。カール・マルクス生誕195年目の誕生日を祝うため、日本共産党名古屋支部に出かけて誕生日会への参加を働きかけるもの。
 《自分の所有物を街で購入する》は、長者町のスーパーマーケット「シモジマ」で自分の所有物をレジに持って行って買うという行為の映像。
 何か流行のような様相も呈する反原発デモ、ソビエト連邦の崩壊によって既に過去の思想となったと思われている共産主義、スーパーマーケットで物を買うという半ば無意識化された日常行動、そうした物事に対し、あまのじゃくな行為を仕掛ける。多くの人々が無批判に自明と考えていることに対し、丹羽はとりあえず逆らってみるわけだ。
 アーティストはカナリアである。多くの人々の同調的行動や熱狂、流行に潜む少量の毒に敏感に反応する。感じないほどの微量であっても、何か危ういと思えば、踏みとどまったり、逆方向に進んだりする。丹羽はわずかな違和感を嗅ぎ取って、世間を撹拌する。
 オウム真理教の事件以来、公共空間が公権力あるいは市民の相互監視という形で管理強化されている。そうした真綿で首を絞められるような閉塞感ただよう現代の空気を、丹羽は切り裂くように世間を挑発する。丹羽は、社会風潮に棹さす孤独な偏屈者なのだ。


egg:武藤祐二



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《40声のモテット》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 円環状に並んだ40台のスピーカーから、トマス・タリスの合唱曲《我、汝の他に望みなし》が流れている。トマス・タリスは16世紀のルネッサンス音楽の作曲家である。メロディ、リズム、ハーモニーという音楽の三大要素のうち、ハーモニーを重視した西洋クラシック音楽の歴史の中でも、特にルネッサンス音楽は音どうしの純粋な響き合いを大切にした時代の音楽である。
 合唱曲は一般的には4声(声部)であり、モーツァルトが二度聴いて楽譜に書き起こしたという伝説がある、バチカン教会の秘曲、グレゴリオ・アレグリ作曲の《ミゼレーレ》でさえ9声部である。40声の音楽を実際に40人が歌うことは極めて困難で、各声部を個別に録音したものをスピーカーから流しているという。
 40声部もあると聴き分けることさえ難しい。個々の旋律やハーモニーが聴こえてくるというよりも、その歌声による空気の振動がまるで羽毛のような柔らかい塊、現代音楽技法のトーン・クラスターのようになって聴く者を包み込み、それが皮膚を通して身体に浸透してくるかのようだ。
 10階に展示されているコーネリア・パーカーの《無限カノン》は金管楽器を円環状に吊り下げている。パーカーの作品は、影は見えるが音は聞こえない。一方、カーディフの作品は、声はすれども姿が見えない。だが、双方とも静かな祈りのような情感によって共鳴しあっている。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》

ソ・ミンジョン《ある時点の総体Ⅲ》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼女の創作の原点は、偶然見つけた航空機事故の写真である。航空機ショーで航空機どうしが接触し爆発する瞬間。その写真に決定的なインスピレーションを受けた。それ以来、ドイツの美術館や韓国の売春宿などの建物を発泡スチロールで原寸大でかたどり、それらが爆破されて四方八方に飛び散る瞬間を再現した作品を制作している。
 今回の作品《ある時点の総体Ⅲ》のモチーフは、名古屋市市政資料館の地下1階に残る留置所独房。かつて長らく裁判所として使用されていたものである。それが旧作と同様、爆破されたようにかたどられている。
 彼女の作品で、真っ先に目を引くのは発泡スチロールの白色である。色彩を消去することにより、特定の建物というよりも普遍性が強調されている。また、氷山も想起させることから、凍結という意味も含まれているのかも知れない。
 市政資料館が裁判所として使われてきた長い時間、独房という退屈な時間、それが凍結し爆破される瞬間。スパンの違う複数の時間が重層している。
 歴史の記憶が濃厚に浸み込んだ市政資料館と、被告人の記憶をたっぷり吸い込んだ独房、それが一気に浄化されるかのように白色化する。様々な時間軸が今この一瞬交錯し、そしてそれが再び違う時間軸で拡散していく。そんなイメージを具現化した作品と言えよう。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:水野里奈《シュヴァルの理想宮を》

水野里奈《シュヴァルの理想宮を》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 9月16日(月)
長者町会場 企画コンペ


 水野の絵画作品の特徴は、平面性にあるが、ただ単に画面上で平面性が強調されているだけではない。そこに奥行があり、正確なイリュージョンが画き出されている。それぞれの色面は舞台空間の垂れ幕のように正面性を伴ったレイヤーをなしており、それが庭に見立てた構図にきっちり収まっている。
 しかも、そのイリュージョンを陰影法や透視図法ではなく、絵の具の塗り重ね方だけで現前させているのだ。それに、それぞれ一筆である。横のブラッシュストロークに縦のそれを重ねたり、地を塗り残したりすることによって、レイヤー間に精緻な距離を表出させている。それはオーソドクスな絵画空間とも言えるが、その印象は鮮烈である。
 タイトルになっている「シュヴァルの理想宮」は、最も有名なアウトサイダーアートのひとつである。フランスの郵便配達人シュヴァルは、配達途中で拾った小石などを33年間かけて大量に積み重ね、自分ひとりで宮殿のような建造物を1912年に完成させた。
 小物を収集する水野と小石を集めたシュヴァルの行為は近しい。シュヴァルは積み重ねた小石類を宮殿に見立てたが、彼女は小物類を配し宮廷風の庭に模し、更にそれを絵画へ投射した。今回、絵画作品の横に実際にモチーフの小物類が設置されることにより、それと彼女の絵画のレイヤー的な平面性とが対比される展示となっていた。



あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》

トーマス・ヒルシュホルン《涙の回復室》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 彼がいつも使う素材は、日常にありふれた安物の材料や日用品である。この《涙の回復室》でも、ガムテープ、アルミホイル、ビニール、段ボール、ブルーシート、日曜大工用の華奢な木材などが用いられている。そして、常に作りが雑だ。特にガムテープなどは、わざと不器用に貼っているのではないかと思えるほど無造作である。
 しかも素材がむき出しなので、何を象ったのかわからない。全体的には野戦病院の手術室のような感じがするが、アルミホイルの長い管状の物や玉状の物、段ボールの敷物状の物が何を意味するのかは不明瞭である。
 しかし、何か大変な事態が起こり、その緊急対応のため、あり合せの物で準備したような印象だけは漂う。ただし、その大事件、大事故が何なのかを想像する手がかりはない。《涙の回復室》という題名から、何か極めて悲惨な出来事が起こり、その心の傷を癒すための場所と推察できるのみである。
 乱雑な造作は、その作品のイメージの抽象度、多義性を高める。解釈は最大限、観者に委ねられている。ただし、作者は、何か大きな出来事を記憶するためのモニュメンタルなものとは違ったものを示そうとしていることだけは確かだ。我々は、何かを強く記憶にとどめようとするとき、往々に記念碑を作りがちだ。記念碑は頑丈だが、威圧的で押し付けがましい。それに対し、ヒルシュホルンの作品は、あまりにも安っぽく粗雑で脆弱だからこそ、かえって心に深く沁み入るのだ。
 《涙の回復室》は再制作である。この作品は、何度も繰り返し様々な場所に仮設されることで、世界のどこかで絶え間なく起こる様々な災厄から我々の心を、時間をかけてゆっくりと回復させる効用を持っている。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:アーノウト・ミック《段ボールの壁》

アーノウト・ミック《段ボールの壁》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 アーノウト・ミックの映像インスタレーションは、いつも決まって何かもどかしい。このもどかしさは、今回の《段ボールの壁》の2面のスクリーンに中途半端な角度がつけられていること、また、天井から吊りさげられた段ボールがスクリーンを囲み、観者が近づくのを阻んでいるからだけではない。
 《段ボールの壁》は、東日本大震災において実際に避難所として使われた福島県郡山市の「ビッグパレットふくしま」という国際会議場を使用し、数人の俳優と500名以上のエキストラを動員して今年4月の2日間に渡って収録されたもの。
 その映像は、電力会社の役員や職員、政府の役人が避難所を訪れ、被災した住民に対して謝罪している場面で始まる。音声はなく、ふたつのスクリーンに同時刻の別アングルからのシーンが映し出される。事実の再現にも、フィクションにも見えることも、もどかしさを増幅させる。
 約1時間の映像だが、中盤から終盤にかけて部分的におかしなシーンがいくつか発見される。電力会社の社員が段ボールの区画の中で一夜を明かすため雑魚寝する。しかも、電力会社の社長と思しき人物は、なぜかマンガ本を握ったまま眠りこけている。そして、映像の中盤では、被災者も電力会社の社員らも皆、次々と津波のように段ボールの壁を倒し、抗議行動のDie-inさながら身を横たえる。さらには、女性の被災者が電力会社の制服を着たイケメン人形で遊ぶシーンもある。
 電力会社や政府の役人対被災者という単純な構図とは見えない。最後は皆で段ボールを中央にうず高く積んで塔のようなものを作るシーンで終わる。
 アーノウト・ミックはそれら不可解なシーンが何を意味するかを明示していないが、その解釈を急いではならない。ただ、原発が事故を起こしたこと、人々が避難を余儀なくされていること、それを解決するめどは立っていないことだけは確かだ。我々は、これらの映像を澱のように記憶の底にとどめ、もどかしい気持ちを整理しきれないまま、展示を後にすることになる。


あいちトリエンナーレ2013で「 影 」を見つける。

あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


日々朝から夕方にかけ我々はアクセくと日々の生活に追いかけ回されている。
体調を気にする時に、痛みを伴ったところから身体は意識にのぼる。
トリエンナーレ会場も愛知芸術文化センターも多層階からなり、疲れ入りながら
隈なく作品を見ようと駆けずり回るわけである。
そんな中で、自分の「影」を見せつけられる作品が何点かある。

「影」は都会生活を送っていると、照度の高い照明下にいると意識することがない。
ダン・ペルジョヴスキ「The Top Drawing」は芸文センター11階西側展望回廊にある。
77mのウォールドローイングである。名古屋栄地区デパートからテレビ塔までを一望とし、名古屋の玄関に聳えるツインタワーまで見渡せるロケーションにガラス面各所にまるで落書きのように水性マーカーでドローイングが描かれている。
作家がサイトスペシックなアートを得意とする彼にとっては、またとない場所である。
彼の紡ぎ出す作品は「言葉みたいな絵を描くのである」それは、言葉以前に「絵」である。見たもののこれまでのいろんな体験を元に、社会風刺として受け止められる。ある人にとっては「可愛く」見え、ある人にとっては「解る」と見える。
これが、夜の帳と共に、私の「影」がもう一方の壁に写し出される。
街を見ていた自分 ドローイングを手探りで「読んでいた」自分の影が刻然と映し出されるのである。
もともと、いつでも消せる水性マーカーで描かれた絵と同じように、自分もその絵と一体になる。
いつでも消えいる人生 読み解こうとしたその言葉も絵も 同じささやかな記憶のなかに消えてゆくのだ。

コーネリア・パーカー「無限カノン」は明るい展示室のあと、中心の柱から放たれる光によって、慣れるまでしばらくの時がある。
イギリスの作家で、各地方都市には必ずブラスバンドがあったが、しかし、すたってゆき、使われなくなった楽器をプレスしてテグスで使った作品である。
「見ることができないもの聞くことのできないものー不可視と不可識」
実際の楽器は歪んでいるのに、虚像である影は「わたしたち現役よ」っていってるみたいに楽器たちの記憶 そして、その楽器たちと共に巡る 私の「影」
私の人生にとって楽器は遠いところにあった触れることなく生きてきたが、音楽は人生に喜びを与えるものであった。こんなに近くに影として寄り添う楽器たちに愛おしさを感じられるとは思いもしなかった、
見入る子どもたちもまるで演奏するように行進するのである。
美しい作品だ。

「影」にもっとも惹かれたのは、クボクワリョウタの「10番目の感傷(点・線・面)」である。
その作品は国立国際美術館で初めて見た。暗い展示室を走り回る強い照度をヘッドに付けたNゲージの列車である。進みゆく線路に覆いかぶさるようなザル、ペン立て、ウラ置きされたゴミ箱 それら諸々の影を壁面に映し出してゆく。その中に見ている私の「影」もある。
もうこの作品には魂を奪われた。いわゆるその場を離れられないのである。

絵画を含む美術体験とは、このように自分の「影」を見る旅だと思うようになった。そのまま、今に至っている。


あいちトリエンナーレの作品解説に挑戦!:ミハエル・カリキス&ウリエル・オルロー《Sounds from Benearth》

ミハエル・カリキス&ウリエル・オルロー《Sounds from Beneath》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
納屋橋会場


 手や顔に刻まれた深い皺と白髪を蓄えた黒服の老人たちの映像。彼らが立っているのは、かつて労働者として過ごした、炭鉱跡地である。今では荒涼とした、無機質な場所から遠い過去を甦えらせるのは彼らの声である。低いがしっかりした男達の声は当時の炭鉱のサイレン、機械音、水の音、爆発、蒸気などを表現し、映像のなかで響きあう。また、アイルランド民謡を思わせるハミング、遠い日を追悼するような祈りに満ちた声。それらは長い年月を自らの肉体によって戦い抜いた栄光の者だけが紡ぎだすことのできる魂の叫びなのかもしれない。
 カリキスは1975年テッサロニキ(ギリシャ)生まれ。建築を学んだ後、音、映像、写真、パフォーマンスなどを使った横断的な表現を展開している。オルローは1973年チューリッヒ(スイス)生まれ。マルチメディアのインスタレ-ションやサウンドの研究を行なっている。今作品の制作は「記憶と歴史のランドスケープ」に興味を持ったオルローがカリキスと共同して実現した。