2013年4月15日(月) ~ 5月11日(土)
中京大学アートギャラリーCスクエア
森山大道はカメラにこだわりをもっていないという。小型・軽量でありさえすればどんなカメラでも良いらしい。アナログフィルムにも執着がなく、デジタルで十分とのこと。絞りもピントも構わず、ほとんどオートで撮る。それよりなにより、一枚でも多くのシャッターを押すことが大切だという。森山は「ひたすら歩いて見つけて出会って撮る」。しかも、森山は自身の職業を写真家でもカメラマンでもないとすらいっている。
森山自身、あたかも代表作の野良犬のように街を猟歩しカメラで被写体を狩るのだが、それではいったい森山は何者で、何を表現しようといているのか。
森山の写真はほとんどがモノクロームである。モノクロームであるからこそ想像力を掻き立てられる。観る側がモノクロームの街に不安という色彩を施す。今回、珍しく、カラー作品もあったが、どれもけばけばしく安っぽい。我々は、そこに都市特有のドロドロと渦巻く情念、隠微な熱気を見る。森山は観る者の想像力に働きかけ、街をある種得体の知れない不気味な“不安”という生命体に仕立て上げる演出家なのだ。
一時期、森山(らのグループ)のトレードマークは、「アレ、ブレ、ボケ」であった。アレ、ブレ、ボケた都市のテクスチャーは、観る者に不穏な感情をかきたてる。人々は、アレ、ブレ、ボケた画像を見ると、もっとはっきり見たいと渇望する。鮮明に見えない街の映像に言い得ない不安を覚える。なぜなら、我々は、都会の隅々までが光に照らされ了解された世界でないと心を落ち着かせることができなくなってしまったからだ。だが、そんな陰影のない、薄っぺらな世界など本当はどこにも存在しはしない。
我々は、森山というメディアを通して都市を見る。森山のブレた白黒写真を通して、観者はある意味、勝手に己の不安を読み込み、都市に自画像を見ている。森山にとって都会は、たんなる被写体ではなく、演出すべき俳優なのだ。
egg:武藤祐二
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