2014年10月26日日曜日

「和歌祭・面掛行列の仮面」展
2013年12月7日~2014年1月19日
和歌山県立博物館


 企画展「仮面の諸相―乾武俊氏の収集資料から―」に合わせて行われた常設展。企画展が日本と世界各地の仮面を広く一望する内容なら、こちらは地元の和歌祭の民間仮面に絞った展示で、ぴったり照応していた――と言いたいところだけれど、「常設コーナー」と呼ぶ方がふさわしいほど小さなスペースなのに、呆気にとられるようなインパクトでもって仮面の世界の魅力を増幅していた。
 和歌祭というのは紀州東照宮の祭りで、その中に仮面と仮装で練り歩く面掛行列という行事があるらしい。その祭りで使用されてきた98面のうち、今回は23面が展示された。古い神事面や能面、狂言面、神楽面など貴重なものばかりで、ずらりと並んだ様子はもう壮観。中には天下一友閑など江戸時代前期の超一級面打師の銘を持つ面もある。通常ならお宝として長年手厚く守られている面だ。でもここの面はどれもずっと祭りの中で使われてきており、時の流れがもたらす存在感がひときわ強い。つまり保存状態が良くないのだが、しかも一部はかつて布テープや黄色いペンキで補修されていたという。その事実に唖然とした――いや、もう絶叫しそうになった好事家もきっと大勢いるに違いない。それなのに、同時にその在り方に深い感慨を覚えた。
 このある意味ショッキングな仮面を見て思い出したのは、若桑みどり著『聖母像の到来』で知った長崎県生月島の聖母子像である。隠れキリシタンが厳しい弾圧の下、数百年に渡って納戸の中で守ってきたお掛絵と呼ばれる聖母子像は、元々は宣教師が伝えた西洋カトリック圏の図像だった。しかし古くなると信者の手で描き直される「お洗い」を繰り返したため、次第に日本化され、極度にプリミティブになっていった。絵画の極北のようなその在りよう、その強さが、和歌祭の面と重なって見えたのである。ただしこちらの面にはお掛絵とは真逆の明るさがあるのだが。
 美術工芸品として優れているかどうかや来歴が貴重といった価値観とは別のところで、ある造形物を捨て去ることなく守り継ぐということ、その造形物に人が並々ならぬ何かを仮託するということ。それが遠い古代や未開と言われる地ではなく、近世から現代にかけての日本で行われてきたという事実。他にも事例はたくさんありそうな気がするのだが、虚を衝かれた思いがした。日本的アニミズムの一種というよりは、ここに普遍的な祈りと造型の根源を見て取りたい。
 でもそう言えるのも、今は博物館がこれらの面からペンキやテープを除去し、修復して大切に保存しているという安心感があるからかもしれない。このように同館には和歌祭との関連で面の研究の積み重ねがあり、乾武俊氏が寄贈する仮面にとっても幸福な終の棲家になるのだろう。

                                 egg:神池なお


0 件のコメント:

コメントを投稿