2014年10月25日土曜日

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》

大野一雄《ラ・アルヘンチーナ頌》
第18回アートフィルム・フェスティバル
2013年12月4日
愛知芸術文化センター アートスペースA


 大野一雄は「手」で踊る。
 《ラ・アルヘンチーナ頌》は、大野が10歳のころ、フラメンコダンサー、アルヘンチーナの来日公演で受けた感銘を50年近くもの後、58歳になって初演した大野の代表作だ。
 彫刻にトルソという形式がある。頭や四肢を欠く胴体だけの彫刻形式をいう。彫刻に元々そうした形式があったわけではない。ギリシャ彫刻やローマ時代の彫刻を発掘したとき、頭や腕などが欠けた状態で掘り出されたものは不完全なものと見なされていた。その後、その欠けた姿が美しいという発見があった。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが修復されないまま展示されているのはそのことも理由のひとつだという。そして、はじめから胴体だけの新作がトルソと呼ばれて制作され始めた。
 一方、絵画の場合はどうか。人物画で当然一番難しいのは顔である。顔がうまく出来れば、あとの胴体などは無造作に画きなぐっても絵になる場合もあるくらいだ。そして、顔以上に難しいのが手である。手は関節が多いこともその理由だが、手の表情が、目以上に「ものを言う」のである。
 大野一雄は、そういう比喩で言うと「手」のダンサーだ。58歳というと一般の人間であれば、とうに働き盛りを過ぎた年齢で、体力や気力、運動神経、柔軟性などは既に下り坂になっているはずである。そうした中で、この代表作を生み出した。手だけで踊り全体を表現したのだ。
 大野は95歳のとき、華道家中川幸夫とのコラボレーションとして「空中散華/花狂」を踊った。中川は20万本ものチューリップの花びらをヘリコプターから撒き、それが雨のように、雪のように舞い落ちる中、大野は踊った。そのとき、大野はもうすでに立ち上げることが出来ないほど体力が衰えており、椅子に座ったまま舞った。それでも素晴らしかったのは、中川のおかげでもあるが、大野が「手」の踊り手であったからに他ならない。

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