2014年10月23日木曜日

「生きる意味」を考える

アルフレッド・ジャー 《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
名古屋市美術館会場

  
 名古屋市美術館の通常とは反対側に作られた入口を入って直ぐ、アルフレッド・ジャーの作品が見えてくる。正面には、透明なアクリルのケースに5色のチョークを敷き詰めたインスタレーション、両隣の薄暗い部屋の壁には、合計12枚の黒板が掛けてある。A.ジャーは、チリ出身ニューヨーク在住の「アート作品を作る建築家」で、写真、映像、建築等で社会問題を扱う作家として知られている。今回の展示タイトルは、《生ましめんかな》(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)となっている。黒板には、一定の時間毎に、タイトル《生ましめんかな》の文字が、映し出される。
 彼は、3.11で地震と津波の被害を受けた被災地を回った。黒板は、使用できなくなった石巻市の小学校から提供されたもので、反戦詩人・栗原貞子の詩からとられた「生ましめんかな」の文字は、愛知県の小学生によって書かれた。
 この詩は、広島に原爆が投下された夜、地下防空壕に避難していた被爆者のひとりが突然産気づき、赤子を取り出す為に、同じ地下壕内に非難していた1人の産婆が、自らの怪我を省みずに赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。

生ましめんかな   (栗原貞子詩歌集 1946.8)
  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう。
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも

 この詩は、学校の平和学習の時間で取り上げられる事があり、栗原さんもその様な場に参加し、説明をする機会があった。-「『生ましめんかな』は、平和を生むの意味」「『産婆さん』は、平和の日を知らずに死んだ20万人の人々」-
 ここで、A.ジャーの作品の特徴、「イメージの背後にある社会的な関係についての問いかけ」が、始まる。命を賭して新たな生命を送り出した産婆の行為が、3.11後の私たちに問いかけるものは何なのか。地震と津波という自然の猛威の前になす術も無く、一瞬の内に、家族や最愛の人、これまでの人生で築き上げてきた全てを失い、絶望の淵に立っている人に、何を語りかけるのか。
 私は、ビクトール・フランクルの言葉、「どんな人生にも意味がある」を思い出した。ユダヤ人で精神科医だった彼が、ナチスの強制収容所での体験を記録した著書「夜と霧」にある言葉だ。
今も続く仮設住宅での暮しは、被災者の心を蝕み、孤独死の話も珍しくはない。「いったなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな悲惨な人生には何も期待できない」と嘆く。それに対し、フランクルは、それでも「意味はある」と答える。人がなすべきは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」のではなく、困難な状況に直面しながらも「人生から問われている事」に全力で応えていくこと。「誰か」が、「何か」が、あなたを待っているのだと。
 重傷者がひしめく地下室の暗闇の中で、苦痛に呻いていた産婆は、「赤ん坊が生まれる」との言葉で、自分を待つものがいることを知る。彼女は、与えられた使命を果たすべく、全力でぶつかった。自分の人生に届けられた「意味と使命」を全うしたのだ。
 「生ましめんかな」は、生きることがつらい人に対する、「あなたの事を待っている誰かが、あなたによって実現されるのを待っている何かが、きっとある筈」とのメッセージなのだ。


egg:多田信行



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