2014年10月16日木曜日

対象と相似 ~豊田市美術館 黒田辰秋・田中信行|漆という力

黒田辰秋・田中信行-「漆という力」
2013年1月12日[土]-4月7日[日]
豊田市美術館


 豊田市美術館「黒田辰秋・田中信行|漆の力」展は企画意図どおり、二人の作品の対照を鮮やかに際立たせている。黒田のどっしりとした重厚感に対する、田中の滑らかな浮遊感。黒田の用の美に対する、田中の純粋鑑賞漆芸とでもいうべき自律性。黒田の華(花)紋彫刻は大胆で力強い。それに対して田中の作品の皮膜のような表面は、手を触れば窪むかと思えるほど繊細だ。
 また、黒田の作品は、映画監督の黒沢明が使用した通称《王様の椅子》を典型に、あくまでも実用に供されることを前提としている。使い込めば使い込むほど味が出るだろう。一方、田中の作品は手で持ったり使ったりすることはおろか、作品の皮膜は、触れられることに対する強い拒否感、徹底的に“目で触れる”ことを強いるような緊張感に満ちている。ある種の神聖性さえ感じる。
 ところで、今回同時開催の他の二つの企画展は、黒田と田中の対照性に加え、それぞれに相似性も見せている。まず、「さわらないでください!?」展。展覧会名からして視覚と触覚を切り口にしており、田中の作品におけるテーマのひとつである共感覚との相似性という伏線を感じる。個々の作品についても、小清水漸の《作業台・七人と一人の食卓》は、黒田の力強い用の美と響きあっているし、原口典之の《Untitled CD-40》、《Untitled CA-39a》の瞑想的な作品や村上友晴《無題》の寡黙な作品は、田中の繊細な作品の補助線のようだ。中村哲也の《不知火》も現代アートと工芸の間にある通底性という点で、黒田の工芸と田中の現代アートという同一テーマを扱っている。
 さらにもうひとつの「岸田劉生とその時代1910-1930」展は一見無関係のように思える。しかし、その中のブランクーシ《雄鶏》は、田中の作品との関係において、ブロンズと漆という素材上の大きな対照性にもかかわらず、ブランクーシの上昇感と田中の浮遊感、あるいはブランクーシの神々しさと田中の瞑想性という点では共振しているかのようだ。今期の豊田市美術館の展示企画の妙に感服しきりである。

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