2014年10月22日水曜日

「受け止めて生きる」とは

あいちトリエンナーレ2013 
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知県芸術文化センターほか
風間サチコ 展「没落THIRD FIRE」
2012年12月8日(土)~2013年1月19日(土)
無人島プロダクション

ほか


 美術には「アートの力」があるから、政治とも距離をおく。では、見る側は「原発」を表現した作品をどう見ればいいのだろう。
 2013年の年初 東京 清澄白河にある 無人島プロダクションギャラリーでは、風間サチコの約2年ぶりの個展「没落THIRD FIRE」が開かれていた。狭いギャラリーの壁には2mを超える新作版画が掲げられていた。風間が提示するのは「原子力産業とそれをとりまく力の没落」であると。
核分裂による発熱と発電を第三の火(THIRD FIRE)と呼ぶ。風間の作品は4mを超す新作木版画《噫!怒涛の閉塞艦》と、2m近い作品2点《黎明のマークⅠ》《獄門核分裂235》の3点である。
  この国は被爆国からアメリカのクリーンなエネルギー政策にすっぽり乗っかり、未来の安全性を軽視した姿勢と拙速な建設を選び、1972年福島第一原子力発電所建設と向かう。その後のことも考えず、見事にそれを狙い撃ちするかのように事故という悲劇が起きる。
「記録画は【忘却】の【防波堤】である」という風間は、《噫!怒涛の閉塞艦》で描いたのは広島、長崎、ビキニ、福島の核と原子力にまつわる年代記である。

 作品《黎明のマークⅠ》には、建設中の福島第一原発一号機の格納容器マーク1が描かれている。「陸軍磐城飛行場」これが現在福島第一原発の建つ土地にかつてついていた名称である。米軍の艦載機によって空爆され飛行場は壊滅した。国家総動員法と原子力開発、この土地に埋まっている統制と国策の歴史の地層を風間は掘り(彫り)起こした。
特攻服のように防護服を着込んだ原発作業員をマークⅠ格納容器は操るがごとく「眼」が描かれている。

 敗戦で焦土とかした国土で、また、国民は「クリーンエネルギーこそ未来だ」と疑うことなく邁進してきた。
 この東京の小さな先鋭的なギャラリーで見た後、東京国立近代美術館で藤田嗣治の《アッツ島玉砕》を見たのである。「戦争画」と「原発画」この対比は無理は承知で結びつけたい。
椹木野枝が『「爆心地」の芸術』の中で「現代美術の起源には封印された「戦争画」のトラウマがあり、そのことを正面から問わない限り「戦後美術」について「歴史」というものを持つことなく、反復と忘却に終始する。」と言っている。
 「戦争画」で累々とした屍となった兵士たち、国を問わず銃の前に倒れていった人々 決して、戦争で亡くなった英霊たちではなく、「戦争とはそもそもそういうものだよ」とあざ笑うかのように横たわる。

 あいちトリエンナーレ出展作品である 岡本信次郎《ころがるさくら 東京大空襲》では、累々した死者は描かず、その時代と背景を切り出してゆく。「日本の国のかたち」はこうなりたってるんだよ。そのこと国民一人一人、浮かれて提灯行列に参加して「戦果祝言」を声だかに褒め称えてきたんだろって、ちょっとは「時代を読めよ」って静かな怒りは明るい画面に溢れている。
同じく出展作家である 建築家宮本佳明の作品《福島第一原発神社》そして、《福島第一さかえ原発》はこの対となる提起はなんであろうか。
作家 玄侑宗氏と宗教学者 鎌田氏の共著『原子力と宗教』(角川oneテーマ21)対談の中で、玄侑氏は「原子力は生態系の循環を逸脱している」と同意しつつ、もはや科学の領域だけでは語れないからこそ宗教的な視点で考える必要があると説いている。「福島第一原発神社」が大きな問題を提起している。
 日本各地には、菅原道真の天満宮など怨霊神を鎮める神社があり、もはや人の手に負えない原発もこの流れにあるといえるかもしれない。「たたりを起こさないようになだめる」といった日本人の思想は、従来の怨霊神で、靖国神社の英霊鎮魂もこの文脈で、日本人の言葉で世界に語れば、どれだけ、世界との共通認識に近づけるのだろうかと思う。
 そして、原発神社こそ、人間の自然への奢りを悔やみながら、生活することが明確になるのではないかと思う。宗教と科学を考える大いなる契機が隠されていると広瀬隆「東京に原発を!!」1981年に読んだ時には これこそ「忘れやすい日本人」にとって日常と隣り合わせに合う原発の恐怖ととことん付き合ってゆくべきだと思ったものだ。
 東京から遠く200kmも離れたところにおかなくても、メガロポリス(メタボリズムの建築物たち)の電気需要を自分たちの生活範囲で担えば事足りるのであるのではないか。それができないとする「進歩」の浅はかさを自覚してこそ「未来」がある。自然への恩恵への感謝、畏敬の念それこそ本来の日本人の宗教観に根ざすものではないか。
 最終処分場も自分たちの決められない日本人は原子力発電を続けるべきでない。

 ミカ・ターニラ《The Most Electrified Town in Finland》はそのことを描いていると思う。
 ミカ・ターニラは、フィンランド南西部ユーラヨキ自治州のオルキルオト島に2014年完成予定の原発「オルキルオト3」を撮影した作品である。2基の原子炉を持つこの施設は、西欧ではチェルノブイリ原子力発電所事故後に作られた最初の原発となる。
 エネルギーをめぐりフィンランドには「独立」を重んじる空気が強いという。

 使用済み核燃料をめぐっても、フィンランド政府は自国で最終処分する姿勢を鮮明にした。使用済み核燃料を地下埋設する岩盤の特性を調べるための試験施設「オンカロ」がある。オンカロとはフィンランド語で「洞窟(どうくつ)」「隠す場所」の意味だ。
  エネルギー政策を所管するヤン・バパーボリ雇用経済相は「国民が原発に賛成する理由の一つは、最終処分の対応が明確になっているからだ」と語る。国内で最終処分問題をクリアしているからこそ、原子力政策が推進できるというわけだ。
 日本ではどうだろう。70年代から地層処分の技術的な研究はしていたが、処分事業の実施主体として、電力業界の出資で原子力発電環境整備機構(NUMO)が設立され、02年から処分場選定に向けた調査地の公募を始めた。だが、どこも受け入れないのである。

 その結果、国内の原発では行き場のない使用済み燃料がたまり続け、運転を続ければ数年で貯蔵プールが満杯になる原発も少なくない。原発敷地外で一時的に保管する中間貯蔵施設も、西日本では立地のめどが立っていない。
 「フィンランドは国が責任を持って最終処分の施策を進め、将来世代に先延ばしせずに処分を確立した。日本も処分技術の開発能力は十分あるはずだ。ただ、政治が一体的に方向性を決めなければ進んでいかない」かと、フィンランド雇用経済省エネルギー局のヘルコ・フリート次長はこう指摘する。
ことは、靖国神社での英霊鎮魂とよく似ている。
日本人は物事を、国家として、他国の人々にわかるように語らないのである。

《福島第一さかえ原発》は黄色いラインで1/1で描かれている。10Fの吹き抜け上部から見下ろして見ても、踏みしめて行っても、全体像を見ることはできない。想像力を働かせて、原発とはそもそもどんなものなのかを、国民一人一人が理解しようとしない限り、使用ならざるものであると考える。
   ダークツーリズムとして「福島第1原発観光地化計画」は、批評家の東浩紀が発案し、メディア・アクティビストの津田大介、フリーランス編集者の速水健朗、建築家の藤村龍至らが参画されている。自己の歴史を後世に伝えるとともに、被災地の震災遺構として、「我々は加害者として生きざるをえない人間の負の遺産」を日本人は背負う必要があると思う。



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