2014年10月22日水曜日

フランシス・ベーコン展

フランシス・ベーコン展
2013年6月8日(土)~9月1日(日)
豊田市美術館


 アジアでは没後初めてのフランシス・ベーコン回顧展。並んだ絵画に描かれている物体は、非常にグロテスクだった。血や内臓が直接的な表現で描かれているわけではない。だが、歪んだ人の顔や肢体を見て心穏やかではいられない。人間の体は肉の塊だということを痛烈に感じた。しかし、どこか皮肉っぽく愛らしくも感じたのだった。
 主な人物のモデルは、ベーコンの身の回りの人たちだったいう。「よくもまあ、友人や知人をこんな風にぐちゃぐちゃに描いたものだな」と思う。気心知れた仲だからこそできたこと、もしくは画家の目にはそのように見えていたのかもしれない。はっきりとした輪郭に比べ、使われている色は桃色や水色などで柔らかい。モデルへの親近感の表れであろうか。しかし、どことなく灰色を含んだ色調は、関係が深いほど生まれる孤独を内包しているかのようである。
 展示された作品には、ガラス板がはめられていた。作家本人の希望であったそうだ。そのため、観る者が反射して映りこむことを狙ったとも言われたそうだが、実はそうではない。できるかぎり反射しないガラスを望んでいたようだ。なので、絵ははっきりと見ることができるのに、表面には触れられない。もちろん、美術館で絵画に触れることは禁止されているが、ガラスがなければ絵の具が接している空気に触れているという感覚をもつことができる。あるのとないのとでは、印象にとても大きな違いがある。ベーコンの描いた絵は、近くて遠く感じた。「統一感が生まれるから」というのが理由らしいが、時代を追って展示された一連の作品がバラエティーに富んだ作風とは思わなかった。その時々の作家とモデルの心象を反映したかのような作品を一所に並べると、本人たちにしか分からない違和感が生じていたのかもしれない。
 ベーコンは、同性愛者であることで生まれた社会に対する複雑な心情をもっていた。不穏な形で描かれた像は、社会では少数派とされる彼らの極めて個人的な問題を強く反映しているようだ。とても閉鎖的な別世界に感じるが、ベーコンの表現は身の回りの人を愛することや恋人を亡くした悲しみに真摯に向き合った上で生まれている。社会が作った枠組みでは分けられない人間の営み、本能的部分に強く訴えかけてくる。それゆえ、多くの人の共感を呼ぶものになったのではないだろうか。 


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