2014年10月22日水曜日

原発神社が語りかけるもの

宮本佳明《福島第一さかえ原発》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
愛知芸術文化センター会場


 あいちトリエンナーレ2013の特徴のひとつは、建築家の参加だ。そのひとり、宮本佳明は、福島原発に関連した2つの作品を展示している。ひとつは、愛知芸術文化センター8階の展示室に置かれた、《福島第一原発神社》の模型。もうひとつは、芸術文化センター各階(B2F~10F)の床や壁・天井にテープを貼って描いた、原発建屋や格納容器の1/1図面だ。
 8階の展示室入口には、鉄筋が剥き出しになり崩れかけたコンクリート壁のオブジェが、中に入ろうとする者に覆いかぶさる様に配置されている。淡い青を下地に千切れた白い雲を描いたその外壁から、水素爆発によって破壊された福島第一原発を思い出す事はたやすい。重苦しい雰囲気の中を進むと、その内側に、原発の敷地とその周辺を含めた《福島第一原発神社》1/200スケール模型が、展示されている。原発の建屋4棟は、山形県米沢にある上杉家廟から着想を得た和風の大屋根に覆われており、幅82m、高さ88mのまさに巨大神社の様相だ。
 原発問題の要点は、その建屋内に残る、高レベル放射性廃棄物の処理にあるが、現状ではそれらを最終処分する技術的目処が立っていない。結果、廃棄物は、放射線の危険がなくなるまでの、1万年という長きにわたり、その場に安全な状態で保管するしか他に方法はないのだ。難しいのは、1万年という時間だ。宮本は、放射線の危険がなくなる時まで、既に日本人とは言えないであろう未来の人々に対し、この地が危険であると明示する事が必要だと考えた。一見して異様で神秘的な巨大神社建築が、そこに収められている物が何かわからなくとも、危険なもの、近づき難いものとして伝承されていくのだ。
 展示室を出て、2階のフロアを見てみる。黄色のテープが、床の上に何本も貼られて、原発建屋の外壁断面を表している。西入口付近から、南入口までが、原発正面の外壁で、幅は47m程。芸文センターの約半分。また建屋の屋根部分は、丁度、芸文センター10階フロアと同じで、高さ46m。原発建屋は、芸文センターの中にすっぽりと納まる程度の大きさの箱だ。フロア中央付近に、核燃料棒が入る「圧力容器」やそれを囲う「格納容器」の断面も黄色テープが貼られている。格納容器の高さは、33mなので、4Fフロア付近までの高さになる。
 今まで、新聞やTVで何度となく原発事故のニュース写真や映像を見てきたが、実際、そのスケールを体感する事ができず、時折、仮想空間の出来事を見ている感覚にも襲われていた。今回、床に貼られた黄色のテープを見て、ようやくその大きさを実感出来た。建屋や圧力容器、その中の核燃料棒なども、想像していたよりも小さく感じられた。核燃料棒の集合体は、3m角×高さ4.5mの直方体だが、この程度の大きさのものが、半径20kmの地域を人の住めない死の土地に変えたのかと思うと、今更ながら驚きである。
 原発のリスクを考えるとき、2つの側面がある。放射性廃棄物が無害化するまで、1万年またはそれ以上と言われる時間面のリスク。そして、核燃料のメルトダウンが、半径20kmの範囲を人の立ち入れない土地に変えてしまう、空間面のリスクである。これらの問題は、誰も気付かなかったわけではない。ネットで検索すると、容易に、原発に関する様々な情報を収集できる。
 アメリカの心理学者ロバート・J・リフトンは、「心理的感覚麻痺(Psychic numbing)」を提唱している。人間が、大規模な破壊や変動-核兵器の巨大化や深刻な地球環境問題、等-に直面した時、そうしたものの本当の巨大さ・恐ろしさを、直視することから逃避する現象だ。
宮本の作品は、目を閉じ自分の世界に篭っている私たちに向って、現実を見つめよ、目を逸らすなと語りかけてくる様だ。

egg:多田信行


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