2014年10月22日水曜日

アントニオ・ロペス・ガルシア――ワーク・イン・プログレスとしての写実絵画

アントニオ・ロペス 現代スペイン・リアリズムの巨匠展
2013年4月27日(土)~6月16日(日)
Bunkamuraザ・ミュージアム


 アントニオ・ロペスは、現代スペインの写実絵画の源流とみなされており、磯江毅や野田弘志ら現代日本の写実系の画家にも強い影響を及ぼしている。もちろんロペスの絵画は単なる写実ではない。しかも、超絶技巧の写実でも、迫真の写実でもない。
 ロペスのモチーフは、極めて日常的な情景、変哲のない事物だ。冷蔵庫やバスルーム、トイレといった室内、マルメロの木などの植物、マドリード風景、人物や肖像。そして、いずれもこれといったドラマを画いているわけではない。あえて物語性を持たせない意図すら感じる。ある特定の人物をモデルにしてはいるものの、あたかも普通名詞の「ヒト」を画いているかのようである。いわゆるトローニーだ。
 数年間をかけて制作することも多い。定点観測のように同じ季節、同じ天候、同じ時間帯を何年もかけて制作する。それでいて、どの作品もどこか未完成感が残る。何の変哲もないモチーフを長期間にわたって制作し続ける。ある場所・モチーフを取り上げ、季節、天候、時間を特定して画き込むことによって、逆説的に実在を超越した不特定性、普遍性を獲得しているのだ。
 ここで、ふたりの画家を連想する。長谷川潾二郎とゲルハルト・リヒター。長谷川も極めて遅筆であった。ある場所やモチーフを画くために、同じ季節の同じ天候の同じ時間帯しか画かない。したがって完成するのに数年間かかることも多く、例えば《猫》は画き始めて6年目で愛描タローがとうとう死んでしまったため、髭が片方だけになった。
 一方、リヒターは「アトラス」シリーズを典型として写真などイメージを膨大に収集する。そしてそれらを基に、写真と関連づけられた人物画や風景画、あるいはカラーチャートのような無機質な絵画、そして、箆で一気に絵の具を塗った不定形な絵画などシリーズごとに制作を重ねている。リヒターの作品はある意味、一点だけでは作品として成立しない。つまり、シリーズとしての連作、リヒター作品全体が「アトラス」=地図のように全体的な構造になっているのだ。こうした長谷川の未完成性、リヒターの連作性にロペスとの通底を見る。いわば、ワーク・イン・プログレスとしての絵画ということだ。
 絵画が写実という役目を写真に奪われてから久しい。その後、絵画は写真では表現できないものを追求してきた。それがミニマルアートである一定の飽和状態、袋小路に突き当たったとすると、この3人の画家はミニマリズム以降の絵画という先の見えない巨大な壁に挑んでいるような気がしてならない。奇しくもロペスはラマンチャ生まれだという。絵画はまだ終わらない。



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