2014年10月22日水曜日

トリエンナーレと演劇

ままごと《日本の大人》 2013年8月14日
やなぎみわ《東京ローズ 最後のテープ》 2013年8月30日
あいちトリエンナーレ2013 パフォーミングアーツ公演
愛知芸術文化センター小ホール

 2010年から始まったあいちトリエンナーレの特徴は、パフォーミングアーツ公演がトリエンナーレの一部として劇場で上演されることである。ダンス、演劇、現代音楽など、国内外のパフォーマーやカンパニーが代わる代わる会期内の週末に登場する。普段、劇場には足を運ばない現代美術ファンの中に、これを機に劇場デビューしたという人もいるとのこと。愛知芸術文化センターが、美術館と劇場を併設している物理的な理由からであろうか。あるいは、トリエンナーレという祝祭性が、ジャンルごとに専門化された鑑賞者たちに境界線を飛び越える勢いを与えるからであろうか。というわけで、さまざまなジャンルの専門家や鑑賞者が一挙に愛知を訪れるという不思議な現象がおきる。そんな環境の中で上演される演目に求められる条件は、パフォーミングアーツだけのフェスティバルとは違うと言ってよいだろう。そこで今回のトリエンナーレの演劇公演で重視された条件は、初めて劇場に足を踏み入れる人にとっての見やすさ、演劇というジャンルへの入り易さにあったようである。その演劇作品は、《日本の大人》(作・演出:柴幸男)と《ゼロアワー 東京ローズ最後のテープ》(作・演出:やなぎみわ)の2作品だ。
 《日本の大人》は、子供と大人が一緒に楽しめる作品を、と柴氏がトリエンナーレのために創った。ある日、小学6年生の主人公のクラスに、小学26年生(32歳)の男が転校してくるところから物語は始まる。男は、大人になることを拒み子供であり続けていた。一方の主人公の少年は、母子家庭であるために料理などの家事や妹の世話など、大人のように振る舞わざるを得ない。そんな二人のやりとりなどから、観る者に「大人とは?」「子供とは?」という問いが投げかけられる。柴氏の演出は、背景として置かれた舞台装置の本棚を左右に動かすだけで、場面や登場人物の切り替わり、ときには時空をも操作した。それは、観客の想像力を信頼し、観客と共に作品を創りあげているようである。場面転換やそれに伴う暗転などは、物語のリズムを狂わす恐れのあるポイントだ。しかし、柴氏はそのマイナス面を逆手にとり、場面転換を機に舞台上の動きをさらにスムーズにさせているようであった。柴氏の創作活動は、《わが星》でセリフにラップを取り入れたように、演劇が越境するのではなく、他ジャンルを演劇の中に取り込み、演劇の枠を膨張させていっているようである。
 《ゼロアワー…》は、太平洋戦争末期、米軍に向けた謀略ラジオ放送番組『ゼロアワー』の一人の女性アナウンサー“ローズ”をめぐる物語である。英語の話せる日系の女性たちがラジオ局に集められ、番組の製作に協力させられていた事実を元にしたフィクションだ。やなぎみわの演出は、とても“王道”という感じがあった。役者の発声、動き、立ち位置、会話。どれもそつなく、きれいにまとまっていた。“美術家のやなぎみわ”の演出というのはもちろん、装置デザインのトラフ建築設計事務所、音楽のフォルマント兄弟、と演劇が専門ではないスタッフ陣が、演劇の枠をはみ出ることなく1つの作品におさまる。なんとも皮肉のような気がした。
 このようにあいちトリエンナーレ2013の2つの演劇作品は、何か新しいもの、実験的なものというよりも、初めて劇場に足を踏み入れる人にとっての見やすさ、演劇というジャンルへの入り易さが重視された制作、創作であったようである。演劇を普段から観ている鑑賞者としては、トリエンナーレならではの、“何か新しいもの”を観たかったという感想を持たざるをえない。 



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