2014年10月22日水曜日

フランシス・ベーコン展 ―マンネリズムを超えて夢のベーコン展へ―

フランシス・ベーコン展
2013年6月8日(土)~9月1日(日)
豊田市美術館


 フランシス・ベーコンは、間違いなく20世紀の重要な画家のひとりである。特に、その主題性を高く評価する論評は多いが、本稿では冒険として辛口の記述を試みる。
 東京国立近代美術館と豊田市美術館を巡回した「フランシス・ベーコン展」は比較的大規模な回顧展で、見ごたえを感じた一方、物足りなさも残った。その理由は、世界中の様々な美術館や個人のコレクションから借り受ける困難さを割り引いたとしても、今回、明らかに代表作や傑作が少なかったからである。そして、その根本原因は、ベーコンの作品がじつは代表作や傑作が思いのほか多くないことにある。
 端的にいえば1965年前後の三幅対シリーズあたりから、作品の訴える力が急速に落ち始めている。三幅対の主題的な重さにもかかわらず、一言でいえば、絵画的に薄っぺらなのだ。例えば、それは、1959-60年《歩く人物像》(ダラス美術館蔵)のデッサンの拙劣さ、1983年《人物による習作》(メニル・コレクション:ヒューストン)の電気の配線やコンセントのおざなりの描写、また、1969年《ジョージ・ダイアの肖像》(ルイジアナ美術館蔵)や、1991年《三幅対》(MOMA蔵)の悪い意味でのポップアート的な表現に顕著に表れている。これらの作品からは、一旦でき上がった様式をテンプレートにした、単なる絵作りの手際の良さしか見えてこない。
 ところで、絵画の歴史上、一目で作者を同定できる様式を確立した画家は勿論そう多くはない。ベーコンは若いうちにそれを成し遂げたわけだが、ベーコンがマンネリズムに陥った原因は、若いうちに様式を確立したこととともに富と名声を獲得したことが大きい。おそらく、経済的余裕と安定した生活を手に入れたことで、作品や自己と真剣勝負する時間を持たなくなったのだろう。そしてベーコン自身が自分の様式をなぞることに陥ってしまったのだ。対照的に、1950年代のローマ教皇のシリーズまでの各作品の画面からは、絵作りに苦闘した痕跡が感じられ、それが絵画的な重厚さに結びついている。
 ちなみに、同じ不幸は、20世紀の具象画の大家であり、主題的にも共通性を持つベルナール・ビュフェにもいえる。ビュフェの場合は、ベーコンより顕著で、第二次世界大戦直後の1940年代後半、針金のように細く縦に引き伸ばされた人物像の様式で、富と名声を確立して以来、ずっと自己模倣に堕してしまっているといってはあまりにも過酷か。
 ところで、傑作が意外に少ないと述べたその舌の根も乾かないうちだが、もし1965年までの次の作品が加われば、奇跡のベーコン展になるだろうと付け加えたい。なぜなら、これらの時期の作品からは、画面との格闘とその裏側の自己への苦悩の痕跡がまざまざと見えるからである。ベーコンを(ちなみにビュッフェも)愛する者のひとりとして、いつかこれらを一堂に鑑賞できる日を夢に見たい。
・1944年《磔刑の下の人物の三習作》テートギャラリー蔵
・1945年《風景の中の人物》テートギャラリー蔵
・1949年《頭部Ⅱ》ウルスター美術館蔵:北アイルランド
・1946年《絵画1946年》MOMA蔵
・1953年《ベラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像に基づく習作》デモイン・アートセンター蔵:アイオワ州
・1953年《2人の人物》個人蔵
・1962年《磔刑図のための三習作》グッゲンハイム蔵


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