2014年10月16日木曜日

田中信行 《Orga 》 ~質としての漆~

黒田辰秋・田中信行-「漆という力」
2013年1月12日[土]-4月7日[日]
豊田市美術館


 ボランティアガイドによれば、田中信行にとって漆は「木の血液」であるという。そう聞くと特に、初期の作品《原型Ⅰ》(1994年)などは、漆の瘡蓋のようだ。しかも、形が崩れないように傷口からそっと剥がした後の不気味さ、生温かい艶めかしささえ感じられる。
 一方、1999年の作品《Orga》は、少し離れた位置から見ると、まず漆黒の表面の艶やかさが印象的である。近づくと、半球に近い形状の作品が見上げるような高さに掛かっている。その半球はゆるやかに歪んでいるため、重さがなく宙に浮かんでいるようだ。さらに近づいてその漆黒の表面を覗き込むと、周りの情景が鏡のように映り込んでいることに気づく。すると漆の皮膜は沈み、目の焦点は虚像の中を浮遊してしまう。アニッシュ・カプーアの《世界の起源》を覗き込んだ時と同じ感覚だ。《世界の起源》をネガとすれば、《Orga》はそれをポジに反転したものとも言えようか。
 さて、田中信行の作品に一貫する特徴は、質感であると言い切ることができる。質感のみで成り立っているといっても過言ではない。もちろん、黒や赤といった色彩は使われているし、明確なフォルムもある。しかし、それらの色や形もすべて質感を際立たせるためにある。ヌラリとした質感、浮遊するような感覚へ誘導するための色であり、フォルムなのだ。田中は、大学において絵画、彫刻、工芸等の学科の中から、消去法で漆芸を選んだという。おそらく、漆という質に出会ったのだ。「耳が私を選んだ」という三木富雄の言説に倣えば、「漆が田中を選んだ」に違いない。また、原口典之の《Oil Pool》に衝撃を受けたという話も聞くと、漆という質への強いこだわりは、素材の質感へのこだわりを特徴とする「もの派」の資質を正統に継承していると思う。
 ところで、人はかすかな音を聴こうとするとき、耳をそばだて、耳を澄ます。田中信行の繊細な質感を見ようとするとき、人は自ずと目をこらし、いわば“目”をそばだて、澄ますのではないだろうか。そのように、静かに見つめると、まるでその漆の皮膜の微細な表情に誘われ、あたかもそれに触れているかのようだ。視覚と触覚が溶け合った共感覚である。瞑想を誘う静謐な質感にこそ田中の作品の本質がある。ただ一方で、田中の作品は、その繊細な表面ゆえに、触れられることを強く拒絶しているようにも感じる。徹底的に目で感じることを強制しているように思えるのである。それは穢れなき何か、神聖な何かに出会った時と同じ、近づきたいが近づき難い、触れたいが触れ難い相克的な情動にも似る。しかも、そのもどかしさは、心地よくもあるという錯綜した感覚でもあるのだ。
 田中作品の多義的な平明さをかみしめた、ゆったりした時間であった。


                                              egg:武藤祐二

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