2014年10月22日水曜日

志賀理江子の“写真” ―イメージが身体性をもつとき―

あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
岡崎会場


 今や現代アートにおける重要な媒体のひとつとなった写真は、彫刻はおろか絵画に比べても物質感に乏しく、いわば「イメージ」そのものに近い。志賀理江子は、写真に独特の方法で「身体性」というマチエールを与えることに成功している。
 志賀理江子は1980年、愛知県岡崎市に生まれた。子供時代、岡崎市の中でも平凡な住宅がどこまでも続く特徴のない地区で育った。水や電気など何ひとつ不自由のない世界が昔からそこにあったかのような日常に違和感を持っていたという。その空虚を埋めるかのように西洋クラシックバレエにのめり込み、バレエが生活の全てのような暮らしを送っていたと語っている。
 このエピソードに象徴されるように、志賀は自分自身や自分を取り巻く世界に確たる実感を持つことができなかったのではないか。自身の身体を含むこの世界に何かつかみ所のない物足りなさのようなものを感じていたに違いない。
 その後、志賀は17才ごろ、正統バレエの美しい頂点ともいえるシルヴィ・ギエムに敗北感を覚え、バレエをぷっつりとやめることになる。それは自己の身体が思うままにならないという違和感と同時に、矛盾しているようだが、あまりにも簡単に身体が操作可能であるという希薄感の双方に引き裂かれていたのだ。言い換えれば、常に自分自身が自分の身体から裏切られることが決定的に不可避であることを悟ったのである。
 ところで、舞踏家の土方巽は、かつて「命がけで突っ立った死体」とか、ダンスと身体障がいとの通底性を示唆する言説を記した。これも志賀が感じていたのと同質の、自分の身体への抜き差しならない違和感と希薄感を意味している。土方は舞うことによって自分の身体をかろうじて精神に繋ぎとめる手応えを模索していたのだ。重力からの解放を理想としたバレエに対し、土方の踊りが地を這うような“舞踏”であったのが、その何よりの証拠である。志賀は、後に「当時、ピナ・バウシュを知っていたらバレエを諦めなかったかも知れない」と告白していることからも察せられるように、従来のダンスとは別の身体性を求めた土方やピナと同じ問題意識を、写真という表現媒体で具現化しようとしたとも言える。
 そんな志賀の写真は、いわゆるスナップショット写真とは正反対の構成写真である。まず被写体を徹底的に演出し作り込んで撮影。さらに、一度プリントされた写真にカッターナイフや針で切り込みや穴を開け、裏から光を当てながらそれを再び撮影するなど入れ子状の手法をとっている。
 このように写真に切れ込みや針穴を穿ってマチエールを生み出す作業は、直截にいうと、自傷行為のような気がしてならない。自傷行為とは、身体の不確かさ、世界の不確かさに対し、自分を傷つけることによって確かな実感を得ようとする行為である。そうすることによって志賀は、写真という単なる薄っぺらな皮膜に、血を通わせ息を吹き込もうとしたのではないか。志賀の写真を見たときの第一印象が不気味であるのは、そのイメージがまさに観者の皮膚感覚に迫ってくるからなのだ。
 さらにそれにとどまらない。例えばゲルハルト・リヒターや荒木経惟は写真の表面にペインティングを、清川あさみは刺繍を施すことで、それぞれ写真に身体性を持ち込んでいる。それらとの決定的な違いは何か。それは、志賀が最後はあくまでも写真として仕上げていることだ。つまり、再度、イメージの中に身体性を周到に封じ込める。それは、観者がすぐには作品の中の身体性に気づきにくくする効果を持つ。そして、イメージがあたかも観者の身体にゆっくりと突き刺さってくるような凄みを作り出しているのだ。
 志賀理江子の写真の滑らかな表面に仕込まれた鋭い刃に、志賀のただならぬ情念を感じざるを得ない。
egg: 武藤祐二

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