2014年10月22日水曜日

「北釜」なるものを撮る

志賀理恵子《螺旋海岸》
あいちトリエンナーレ2013
2013年8月10日(土) ~ 10月27日(日)
岡崎会場


 訪れた人は、展示会場入口で、戸惑ったのではないだろうか。白い壁に、作品が横一列に架かっている美術館とは、全く異なる世界だ。くすんだ灰色の壁と天井に囲まれた薄暗い部屋、少し傾いた姿見の様に床に置かれた作品群は、どれも違う方向を向いている。所々スポットライトの光が作品に当たり、その反射が作る床の上のさざ波が、写真の森のけもの道を案内しているようだ。


 入口から部屋の中を見ると、黒い背景に眩しい程真っ白な石の作品が何枚も見える。作品は皆ほとんど同じサイズだが、写っている石の元の大きさは様々だ。小さな砂粒を拡大したり、大きな岩を縮小したりして同じ様な大きさの石に見せている。表面の眩しい程の異様な白さは、消石灰の粉を振りかけ、更に強力なフラッシュライトを当てた為だ。砂や石は、北釜の土地から拾い上げられた、言わば北釜の地そのものではあるが、白い化粧を施されると、石ではない何か違うものに見えてくる。何に見えるのかは、その人の記憶やその時の感情により、まるで違うものなって来るのだろう。この事を志賀は、「写真が鏡になる」と表現していた。

 作品には、人物を写したものも多いが、所謂、ポートレート風のものではなく、何かを演じている。人が、体を反らせて上を見上げ、片腕を上にあげた片足の妙なバランスで立っている写真がある。地面は砂地の灰色、上半分は夕焼けの様な真っ赤な空、半分は闇に包まれた夕暮れも終わりの時間。重苦しい雰囲気の中で、人は何を見上げているのか、踊っているのか、叫んでいるのか。一見しただけでは、わからない。志賀の説明では、地元の高校生で、野球部のキャッチャーをやっている男の子だそうだ。この時は、真上にボールを投げてもらったところだが、ボールは画面の遥か上までいったので写らず、おかしな格好の人が残るのみ。説明が無ければ、鑑賞者は、この作品をどう見るのか。そこでは、人の想像力が要求される。奇妙な場面のイメージがトリガーになって、人の心にある記憶を元に、いろんな物語を紡いでいく事を、志賀は期待している。

 作品の間のけもの道をぐるりと回って行くと、最後は中央のスペースに入る。作品は、中心を取巻くように配置されているが、どれを見てもその面は、同じ方向のものは無い。ここでも鑑賞者は、作品の間をぐるぐると歩き回ってみる事になる。

 なにやら動物の屍骸の様なものが、砂浜に打ち捨てられている写真がある。先端は頭部のような形状、その下には短い足、反対側には、短い足か尾びれのようなものが付いている。宮城の海岸には、時折、クジラやその仲間が来るそうだ。中には運悪く砂浜に打上げられ、そのまま死んでしまう事もある。その様な場合、屍骸の処理は、その地区で行なわれる。北釜の浜辺では、過去、3頭のクジラの屍骸が埋められたそうだ。先程の動物の屍骸らしきものは、志賀が毛布の中に砂を詰めて作ったイルカだそうだ。
 志賀は、仙台メディアテークで「螺旋海岸」の展示を行った時、北釜の人々を招待した。皆、作品を見ながら、様々な写真にまつわるエピソードや出来事を話題にして楽しんだそうだ。見た人、それぞれに「螺旋海岸」の物語があるのだろう。それでは、志賀は、「螺旋海岸」で何を表現したかったのだろうか。聞くと、「自分でもわからない」と言った答えが返ってくる。この地に住みつき、北釜のカメラマンやオーラルヒストリーの記述係と言う役割を得て、地元に溶け込みながら何を撮っているのか。それは、志賀にとっての北釜そのものなのだろう。とても言葉では言い表せないものを、写真を撮る事で、その表面をなぞっている。写真の1枚毎の“説明“は、あまり意味をなさない。多くの写真をもって、北釜の輪郭をぼんやりと、つかむ様なものだ。志賀自身にとっての「北釜」は、その土地や風景だけでなく、そこに住む人々とその歴史、これまで紡いできた風土・風習等、それら全てなのだ。東日本大震災で大きな被害を受けた北釜。その風景は一変したが、「北釜は残っている」と志賀は言う。これからも、「北釜」なるものを撮り続けるのだろう。



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