2014年10月22日水曜日

久野利博展

久野利博展
2013年6月26日~7月13日
ガレリア・フィナルテ


自分は運転の癖で同じ道を選んでいる。いつもの風景が時々どう移ろうのか見たくて同じ道路を通るのである。なだらかなコンクリート製三角形を背景とする黒いベンチはたいてい浮浪者が寝そべっている。いつも信号待ちすると、そのベンチを私は何気に見ることになる。
今日まで、そのベンチを含むなだらかな三角形の構造物が「若宮大通公園 彫刻の広場 パブリックアート」だとはついぞ思わなかったのである。
ギャラリーガレリア・フィナルテで久野利博展を見てきた。神秘的なインスタレーションらしいというイメージだけで、彼のことはまったく知らなかった。
どんな作家か調べていたら、その高速道路の下に置かれた「パブリックアート」が 久野利博1988年作の「アンタイトル」であった。
ギャラリーのホワイトキューブに三点のインスタレーションは鎮座していた。
T字型の木製テーブルの一片が壁に寄り添い、桐箱らしきものが置かれ、手前に鳥居とも物干しともとれるところに木綿生地が掛けられている。遠景から視点をすすめると、上手には白塗りされた煉瓦床の上に床の間に見立てたまな板 壁にかかる蕎麦水切りお玉 下手に神具の八足台に石 そして木綿生地。ほぼモノクロームで、近寄って行くと、3つの桐箱に下手に岩塩 中央に灰 上手に米が納まっている。長手方向の脇にそれぞれフラスコに留まったシリコン それぞれ素材が意味性を持って座している。
静寂な社の奥座で営まれる秘儀の時間が止まっている。入ってはいけない空間に足を踏み入れた ゾッとした冷気があった。
久野利博は1948年愛知に生まれ 1981年から各地で個展を開き、名古屋市美術館での「ポジション1994」では砂・木炭・裸電球・バケツ・木製イスのインスタレーション作品を展示している。今は教鞭をとっている。
車を運転している自分はその「アンタイトル」に座り込んでいる浮浪者を見ている側である。見られる場所あるから、絶対に座ろうと思わないのである。
久野利博の作品は一貫して、反転する身体・時間を想像させるものがある。日常のなかで、聖性と世俗 の境界を我々に示し続けているのかもしれない。



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